第三章 機械の如く

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第二章 各人各様
第四章 思想修正






===== 幕間 存在しない道徳 =====




――人の心は金で動く。




 少年がそれを知ったのは小学六年生のときだった。
 クラス内でいじめがあった。
 金持ちで気弱な『A』が、貧乏で強気な『B』にいじめられていた。
 BはAから金を奪い、思うがままに殴り、罵った。
 毎日毎日飽きもせずBは蛮行を繰り返した。
 誰一人Aを助ける者はいなかった。
 助ける義理が無いから助けなかった、いやBが奪ったお金をわけてくれたからAを助けるメリットがなかったのだ。
 たった数百円。だが、子供相手の口止め料にはそれで十分だった。
 金に目がくらんだ他の子供もいじめに加わった。
 始めは皆『かわいそう』と思っていたかもしれない。
 だが、金を手にした瞬間、子供達の善良な心は熱を加えられたマーガリンのように溶けて消えた。
 子供達は恐喝と強奪を行うただの犯罪者に成り下がった。
 いじめは続き、果ては担任まで加わり、奪えるだけ奪い、辱めるだけ辱めAを自殺に追いやった。
 その一部始終を見ていた少年は、

――自殺に追い込んでしまって初めて、みんな自分達のしでかした罪の重さを思い知るんだろうな。

 と思った。
 だが、Aが自殺しても、皆は楽しそうに毎日を過ごしていた。
 口裏を合わせたせいか、いじめの存在は保護者、警察、世間には認知されなかった。
 Aが自殺したのはAがバカだからと、金のなくなったAに価値はないと、Bを始めとする加害者達は悦に浸っていた。
 Aは遺書を残さなかった。いや、残す気さえ起こさないように自殺に追い込まれた。
 家族に何も言ってなかったため、家族はAがいじめられていることを感じとれなかったらしい。
 故に加害者は誰一人加害者であると認識されず、裁かれることなく、金を得て平穏な毎日をそのままに享受した。

――金の前に道徳はない。

 少年はそれがこの世の真実なのだと思った。
 金のためなら、人は人を救わない。
 教師ですら子供を見捨てる。
 少年はそれまで道徳的な正しさというものを疑わずに生きてきた。
 信号を無視したことは一度もない。
 他人の悪口を言った事は一度もない。
 仮病で学校を休むなんて詐欺師のすることだと考えてきた。
 だが、周りが同じように考えているわけではないと、小学校生活の中で知った。
 皆当たり前のように信号を無視する。
 皆当たり前にのように仮病、万引き、カンニングをする。
 幾度となく不愉快に思ったが、注意はしなかった。
 いつか天罰が下るだろうと、いつかルールを破った報いが訪れるだろうと信じていたからだ。

――道徳的に正しい人間だけが、神様に愛されてその加護のもと、幸せに生きることができる。

 幼い頃から、それを心の支えにしてきた。
 正しさというものを守り、信じることが心地良かったから、他の人がどうであろうと自分は正しくあろうと思っていた。

――だけどA君はお金をとられて、心と体を痛めつけられて自殺した。

 理解できなかった。
 少年が知る限りでAという子供は道徳的な悪では決してなかった。

――なんでA君は救われず、B達が幸せそうなんだろう?
   どうして、B達に天罰が下らないのだろう?

 疑問に思った。自分の生き方や考え方が間違っているのではないかと疑った。
 道徳や神様というものを正しく理解していなかったのだろうかと、自問自答した。
 思えば、少年は道徳の定義を知らなかった。道徳と倫理の違いがわからなかった。
 思えば、少年は自分が信じた神様の名前も、姿も、由来も知らなかった。宗教についても何知らなかった。

――そうか、言葉とかイメージに魅力を感じただけで、自分の頭で何も考えてなかったんだ。

 だから現実が思考にそぐわない。
 少年の中にだけある道徳に背いた人間が、少年の中にだけある神様によって裁かれることは起き得ないのだ。

――だけど、普通に考えておかしいよ。

 いじめが起きた。被害者は死んだ。
 加害者は何一つ報いを受けることなく、奪った金で今日も楽しく生きている。
 納得できなかった。

――理屈なんかじゃない。物事の流れとしておかしい。いや、気にくわない・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 だから考え方を改めることにした。
 なぜ気に食わないのか?
 
――きっと彼らが楽しそうだから気に食わない。
   人を殴り、罵って、金を奪ってなお悪びれもせずに笑う姿が癪に障る。
   彼らはA君をいじめ殺したことについてなんの罪も感じてない。
   もう忘れてる。
 
 結局、自分が楽しければそれでいいのが人間なのだと、少年は結論づけた。
 それで納得が出来た。
 清く正しい人間がいないとは言わない。
 だが、そんな人間はごくわずか。
 大抵の人間は腐っている。
 考えない、感じない、救わない、無慈悲に奪う。
 別に悪いことではない。天罰は下らない。
 バレずに奪い、バレずに殺し、バレずに犯せば法は誰も裁けない。
 ならば必然、自分の快楽だけを追い求める人間が多い世の中、Bのような外道ク ズが多いのは普通のことだったのだ。
 これが人間よのなか
 それで人間よのなか

――やっとわかった。だから彼らは楽しそうだったんだ。
 
 実に面白い、と少年は思った。
 楽しいと感じることをする。
 その原動力を『欲』と呼ぶならば、人にあるのは『我欲』ただひとつ。
 善人であろうが悪人であろうが、結局、人は我欲で生きている。

――なるほど、自分の『欲』のために生きていれば、全ての行動は全て自分に還元される。
   損も得も、愛も憎も、富も貧も、生も死も、全てが万事、自業自得ならば好きなように生きるほうが楽しいに決まっている!
 
 これが少年の辿り着いた答えだった。
 その瞬間から、少年は言葉も、髪型も、行動も、思想も、全てが全て、一変した。
 少年はそれを『猪狩明道くん変革記念』と名づけ、契機づけにいじめの主犯格であったBをなぶり殺しにした。
 放課後の帰り道をつけ、誰も目撃されないように後ろから殴り倒し、近くの森に引きずりこんで嗜虐を尽くした。
 殴り、蹴り、刺し、えぐり、剥ぎ、削り、焼き、冷やし、折り、殺した。

――なるほど、いじめっ子をいじめるというのはとても楽しいことなのだな。

 少年はそんな快楽を見出した。
 そしてなぜそれを楽しいと感じたのか、その根幹にある快楽の理由は何かを考えた。
 いわゆる正義感のようなものではなかった。
 正義があるならば、道徳を心酔していたころにAへのいじめを止めていたはずだ。
 Bを快楽をもって虐殺した自分に正義はない。
 かといって嗜虐趣味があるというわけでもない。
 ただ、『いじめを行うような外道ク ズが、誰かを苦しめた以上に苦しむ姿』がたまらなく心地良かった。

――そうか、『ざまあみろの心理メ シ ウ マ』だ!

 因果応報、自業自得、幸災楽禍。
 誰かが犯した行いに、自分が天罰のごとき苦しみを落とすことへの満足感。
 これこそ我欲が為せる生業。
 自己満足の極致。
 少年はその趣味に『外道虐殺ク ズ ご ろ し』と名前をつけた。
 それ以降、趣味に没頭し続けた少年はただの一度も逮捕されることなく、今もなお虐殺に特化した外道を突き進む。






===== 第三章 機械の如く =====






 平日午後二時。豊跡タウン休憩エリア。
 数にして二十組程度のベンチやテーブル席が等間隔で並んでいる。
 席のほとんどが主婦や高齢者で埋まっており、クーラーの冷気を跳ね返すような雑談と熱気で溢れている。
 その一角、月峰時夜と魅刻悠里は二人がけのテーブル席に腰を落ち着かせていた。
 小さなテーブルの上に食べ物の詰まったビニール袋を置き、周りと同じく雑談にふけっている。
「にしても、取調べ長かったよね~」
 言って、たこ焼きを頬張る悠里。
 時夜は頬杖をつきながら、
「全校生徒相手に聞き取り調査だろ? 一人二十分で一日中って……刑事さん死ぬだろ。全校約八〇〇人を相手に延々と同じ質問をしてメモをする。あれはきっついだろうな」
 これ以上連続殺人事件の被害者を出さないため、早期解決のため、学校では朝から取調べが行われていた。
 全校生徒一人一人を対象に『不審者を見なかったか?』『殺された生徒を恨んでいる人間に心当たりはないか?』など、聞くべき内容をひとつひとつ聞いていた。
「まー、仕事だから仕方ないんじゃない? それより私は、外で待ち構えてるマスコミがイヤだったなぁ。なんかカメラでパシャパシャ取るし、刑事さんに聞かれたことと同じこと聞いてくるし」
 悠里はおごりのペットボトルジュース(2L)を飲みながら不満を口にする。
 時夜は自腹のミニ缶緑茶を飲みながら、
「まー、あっちも仕事だしな。視聴率の取れるネタが欲しいんじゃないか? 『犯人は校長!?』みたいな見出しでも作れたら万々歳だろ」
「『!?』をつけてホントかウソかは知りませんってやり方は嫌いだなぁ。ってか私、学校の事件はあんま興味ないんだよね。男子しか狙ってないみたいだし。それよりも、昨日ここの駐車場で起きた殺人事件のほうが興味があるかな。ちょうど同じ時間帯にここで焼肉を食べてた身としては大変興味深いなぁ」
 演技がかった言い振りで主犯は時夜にニタリと微笑ほほえみかける。
 時夜はその演技にのっかるような口調で、
「……学校のほうも駐車場のほうも、凶器はナイフらしいから、このあたりにはナイフバカが多いのかもしれないな」
「ナイフとか怖いよね~」
 おどけてみせる悠里。 
 時夜はやれやれと肩をすくめ、一呼吸。
「それはそうと、昨日の美術室の殺人……殺された奴を調べてみると、やっぱり迷惑度の高い害悪ク ズだった。飲酒、喫煙、放火、窃盗……ただの一度、魔が差したって話じゃない。殺された奴らは皆、死ねば良いのにと思われてる連中ばかり。つーか俺がこ……説教・ ・する予定だったやつばかりだ。ウチの男子生徒を殺してる奴は同一犯で間違いないだろうな。で、その思想は俺に近い。やっぱり、ウチの生徒か教師が犯人って考えるのが普通だよな。あーでも、ウチの生徒と手を組んで犯行に及んでる可能性もあるよな。うーん、よくわかんねー」
 頭をひねる時夜。その隣で、
「はむ、もぐ、むしゃ、むしゃ」
 悠里は時夜のお金で買ったクレープ、アイス、ジュース、食品コーナーのお惣菜、パンなどをパクパクと平らげていく。
「んーごゃふぉっとあんいんむごっへんぐ!」
 目の前の食べ物にとてもご満悦のようだ。
「口に食べ物を入れながらしゃべるんじゃありません。母国語を大切にしろっつの」
 時夜は悠里に軽いチョップを入れる。
 そのままビニール袋からスナック菓子を取り出し、ひとつひとつ口に運ぶ。
「なんで俺より先に動くんだ? なんで俺より行動がはえーんだ? まさか悠里が……なわけないよな。悠里は『敵』じゃないと手を出さないもんな。じゃあ誰だ?」
 時夜は自分にしか聞こえないような声でぶつぶつと現状分析に努める。
 延々とつぶやき、頭を抱え、スナック菓子を加速度的に口に放り込んでいく。
 傍目から見てわかりやすいほどにイライラした表情でうなり続ける時夜。
 スナック菓子がなくなる。
 その袋を数秒見つめ、不意に勢いをつけてクシャクシャにした。 
「あー、わかんねー! 犯人が気になるー!」
「私は時夜が次に何をおごってくれるのか気になるー! ときや! たべもの! たべもの!」
「ガキかお前は! つーかもう全部食ったのか!? ……ああ、もう目をキラキラさせるな。わーったよ、可愛いから驕る! ……ほら、これでケーキでも買って来なさい!」
「わーい。ありがとーときやおにーちゃーん!」
 悠里は紙幣を片手に嬉しそうにケーキ売り場に向けて走り去った。
「時夜お兄ちゃんか……超アリ!」
 時夜は小さくガッツポーズを決めた。
 数分して、悠里は戻ってきた。
「みてみて時夜、くらりんにケーキおごって貰っちゃった!」
「その呼び方はやめて欲しいな」
 ワンホールのケーキを自慢げに見せ付ける悠里。
 その隣には自称美人物理教師、倉田物成がいた。
「時夜、君の彼女は本当に強引だね。僕は目の前で財布から紙幣を盗られたのは初めてだよ」
 時夜は勢いよく席から立って頭を下げ、
「すまんぶっさん! いや、ホントすまん! むしろごめんなさい!」
 土下座までして謝った。
 そして眉を吊り上げ悠里の両肩を掴む。
「コルァ悠里! お金やったのに何先生の金でケーキ買ってんだァアアア!」
「だってたくさん食べたかったんだもん! ちーずけーきが私に先生のお金盗れって言ったんだもん!」
「言うかボケェエエエエエエエエ!」
 両者声を張上げ合う。
「ははは、君達カップルはおもしろいな。うん、見物料と言うことで、被害届けは出さないことにするよ」
 倉田は腹を抱えてそう言った。
 近くの空いたイスを持ってきて、小さなテーブルを三人で囲む。
「で、学校での取調べはどうなったの? 今、休憩?」
 チーズケーキを食べながら悠里は問いかけた。
「取調べは休憩なしでやってるよ。僕は刑事さんから取調べの結果を聞いて、資料としてまとめる仕事をしてる。事件と関係のある証言が限られてるから途中で休憩できてる。ちなみに校長先生とか他の偉い人は話を聞くだけで、聞いた話のメモは「お前がやれ」ってことで僕が資料作成のお仕事をしている」
「頑張ってるな、ぶっさん」
「頑張りたくないけどね。まあ、事件には興味はあるし、雑用をするフリをして、色々現状を聞けるならアリって感じだよ。というか時夜、『ぶっさん』は『くらりん』以上に悲しくなるから勘弁してくれ」
 倉田は悠里からケーキをひとカケラだけ貰い、口に運んだ。
「あ、倉田さーん!」
 倉田の背後。スーツの女性が話しかけてきた。
 手にはビニール袋。中にはからあげ弁当とお茶缶がふたつずつ入っている。
「お疲れ様です。生徒さん達と雑談ですか?」
 二十代半ばぐらいと思われる女性はにこやかに尋ねてきた。
「お疲れ様です、九道刑事」
 倉田もにこやかに返事を返し、
「本来なら自宅に帰って待機するはずなのに、してない悪い子を見つけてしまったので注意してました」
 おどけた調子で答える。
 時夜と悠里は口をそろえて「うそつきー」とつぶやいた。
「可愛い生徒さんたちですね。でも、ちゃんと自宅待機してないとダメだよ学生さん。もしものことがあったらお姉さん、泣いちゃうぞ」
 九道と呼ばれた女性は頬に指を当てながら言い、
「何が『お姉さん』だ、このヒヨッコが!」
 脳天からいかつい拳を振り落とされた。
「~~~~~っ……!」
 九道は両手で頭を抑え、うずくまる。
「俺たち所轄は他の仕事があんだから、昼メシ買い終わったんならさっさと帰るぞ」
 渋い声。拳の主は同じくスーツを着た男性だった。
 精悍な顔立ちで、歳は三十台後半といったところだろうか。
「痛いですよひどいですよ麻生課長。かわいいかわいい部下の頭にコブができたらどうするんですかぁ」
 九道は涙目になりながら上司に訴える。
 麻生と呼ばれた男性は聞かず答えずで、表駐車場方面へ向けて歩いていく。
「あー! 待ってくださいよー! ……っというわけで、私はこれで失礼しますね。学生のお二人さんはホンットに気をつけてね。もうこれでもかというくらいに警戒してね。防犯グッズとか買い漁ってね。それでは!」
 九道は頭をさすりながら麻生を追いかけていった。
「忙しいね~刑事さんは~」
 チーズケーキワンホールを平らげ終わった悠里がほのぼのと言った。
 時刻は間もなく午後三時といったところだった。 

  






 時夜と悠里は倉田と別れ、豊跡タウン内の百円均一を目指していた。
「刑事さんに言われちゃったし、文具買ったら帰ろっか」
「そうだな」
 二人は通路を歩き、百円均一の区画へ向かう。
 悠里は文具の補充のため、時夜はただの付き添いである。
 百円均一に到着。入り口には図面が置いてあり、どこが何のコーナーかが掲示されていた。
 悠里は文具コーナーを指差し、
「一緒に見る?」
「もちろん」
 店内に入り、文具コーナーを目指す。
 店内を見渡しながら、時夜は感嘆して、
「色々置いてあるなぁ。こういうのって、やっぱ原価が高いのかな?」
「さあ、物によるんじゃないかな? ほら、あそこのナベとか高そ――」 


「なんで置いてないんだよ! ふざけんな!」


 悠里の会話をさえぎるように、二人の近くで大声がした。
 二人は驚きつつ、声がした方を振り返る。
「普通置いてるだろ! 置いてないとか頭オカシイんじゃねえか!?」
 見るに、初老の男性と若い女性店員がもめているようだ。
「わざわざ田舎からバスで来たのにふざけんなよ! バス代返せバカ野郎!」
 男性は怒り、地面を強く踏み鳴らす。
 先ほどまで豊跡タウンを包んでいた客の会話、人の行き交う足音などが止み、店内BGMだけが滑稽と流れ続ける。
「お前いくつ? 学生? ホント客なめてんの? 百均のくせになんでアレないの?」
 男性は女性店員の胸倉を掴み、こめかみに青筋を立てて睨みつける。
「も、もうしわけございません……」
 店員は涙目になり、震えていた。
「あのな――」
 男性は『欲しいものが置いてない』と激昂し、女性店員に罵声を浴びせかけた。
 女性店員は丁寧に商品の取り扱いがないことについて謝罪した。
 だが、男性は謝罪を途中でさえぎり、ひたすらに怒鳴り続けた。
 何度謝罪の言葉を述べても、男性には届かなかった。
 男性はその後、近くにあったコップをいくつか手に取り、地面に叩きつけて去っていった。
 女性店員は怖かったのか、奮え、泣いていた。
 周りの店員が慰めるようにしてその女性店員を裏に連れて行き、残った店員が他のお客さんに頭を下げ、割れたコップを掃除した。
「……」
 時夜はじっと、その光景を見ていた。
 冷静に、機械のように無表情で。
 まばたきひとつすることなく、まるで感情が途絶えたような瞳で、一部始終を何もせずに見過ごした。
 周りの人々が動き出してからも、少しの間、固まったままだった。
 しばらくして、時夜は満足そうに溜息を吐いた。
「なあ悠――」
「良かったね時夜。判断に迷わなくて良い標的ク ズがいたよ」
「……ああ」
 その会話で、全てが決まった。








――壱、弐、参。



 時刻は午後五時三十分。
 豊跡タウンからバスで三十分ほど田舎に行ったところにある、とある民家。
「ホントふざけてやがる!」
 初老の男性は、本日立ち寄った百円均一に心底腹を立てていた。
 あまりに腹が立っていたため、不当な扱いを受けたとして、豊跡タウンのオーナーと百円均一の本社にクレームを入れていた。
 嘘八百を並べ立て、自分が被害者であると訴え、金を請求した。
 裁判を起こすと強く出た。
 接客をした女性店員の名をあげ、解雇するように訴えた。
「誕生日の俺を怒らせたんだ、徹底的に追い込んでやる」
 一人、自宅で口端を歪める。
「客は神。かみの要望を聞けないクズは死ね!」
 怒鳴りながらテレビをつける。
 一人暮らし。散らかった部屋の中でビールを飲み、つまみをかっくらい、テレビを見てはケチをつける。
 先ほど女性店員の胸倉を掴み、ブス、クズといった言葉を何度も浴びせかけたことなど、男性はもう忘れているだろう。
 一方、男性宅の庭。
「……」
 時夜はじっと男性の言動を観察していた。
 外にもはっきり聞こえるほどの大声で、男性は被害者を気取った。
 ただの一度も本当のことを言わず、要望と願望を叫び、論理性のかけらもない暴言を受話器に向かって叩きつけた。
「……」
 時夜の顔は人間であることを辞めたように機械的だった。
 体温すらないのではないかというくらいに、表情には色がない。
「……悠里、ナイフを貸してくれ。十秒で終わらせてくる」
 時夜は淡々と言った。
 悠里は片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを差し出し、
「三秒で終わるよ。今の月峰時夜に不備はない」
 自信満々に、誇らしげに言った。
「随分と買われたもんだ」
「事実を言っただけだよ。キミは殺すと定めた『ク ズ』に対して、私よりも冷徹だよ。貫くと決め、実行すると定まったその意思には綻びがない。だから時夜はきっと、この一回の殺人で違う世界に踏み込める。『より楽しい明日』だっけ? うん、今わかった。時夜は時夜にとってのより楽しい明日に届くよ」
 一旦言葉を切り、悠里は澄んだ瞳で時夜を見つめる。 
「時夜の初志は本物だったんだね。貫徹する覚悟が完璧なら理想に届かないわけがない。その在り方、心の底から尊敬するよ」
 それは悠里が時夜に向けた、始めての賛辞にして最大の敬意だった。
「そっか。じゃあ、初陣をかざってくる」
 時夜は穏やかに微笑ほほえんだ。
「うん、いってらっしゃい」
 悠里は暖かい眼差しでその背中を見送った。








――この心、機械の如く。より楽しい明日のために、最速最短で害悪ク ズ排除さつがいせよ。



 用心のない扉をそっと明け、時夜は居間へと進む。
 無駄のない移動、音のない接近。
 ふすまの隙間から居間をのぞく。
 寝そべる害悪ク ズの背中が見えた。
 無防備。標的とされた害悪ク ズは、己が殺意を向けられていることに気づくことなく、なお、テレビに向かってひとりごとを投げ続ける。
 時夜はナイフを適切な力で握り、もう片方の手をふすまにそえた。
 一呼吸、
「壱」
 ふすまを開け、床を蹴って敵をナイフの斬殺可能距離に捕らえる。
「弐」
 焦点を喉元に定め、標的が気づくより先に銀の斬撃を放つ。
「参」
 一撃で首を切断した。
 演習どおりの一撃必殺。
 頭と体は滑らかに乖離した。
 首から吹き出る血液の飛沫を浴びながら、刎ねられた頭部が床を転がる。
 横向きだった肉体がうつ伏せに倒れ、その拍子でテレビのリモコンが押される。
 液晶は息絶えるように黒に染まった。
 アナログ時計が秒針を刻む音が、カチ、カチと室内に鳴り響く。
 一瞬の出来事。返り血ひとつ浴びることなく、月峰時夜は初の殺人を完遂した。
「はっ、ホントに三秒じゃねーか」
 初めての人殺し、最初に出た言葉はソレだった。
「なるほどな、実際殺してみると、すっげー気分が良いんだな。この世から俺の人生をつまらなくする可能性が消えた。この実感は、紛れもない幸福ってヤツだ。殺人は……許されねーことなのにな」
 血の付いたナイフを眺めながら、陶酔するようにつぶやいた。
「おめでとう時夜」
 背後から声をかけられた。
 振り返ると、悠里が満面の笑みで立っていた。
「祝うことじゃねーって」
 時夜は恥ずかしげに言う。
「普通はね。でも、時夜にとっては祝うことだよ。さ、できる限りの証拠を消して、さっさと帰ろ」
 悠里は時夜に指示を出し、犯行現場を改変した。
 改変後すぐに男性宅を出て、バス停へ向かう。
 道中、
「最速でバレるにしても、二十四時間以内は無理かな。一人暮らしっぽいし、いつ第一発見者が見つけるかにもよる。まあ、ニュースとかネットで事件をチェックして、自分に容疑がかけられそうなときは上手いこと逃げてね。もしものときは一緒に逃げてあげてもいいよ」
 人気の無い田舎道。悠里は遠足を楽しむ子供のように時夜に笑いかけた。
 バス停に到着し、
「えへへ」
 悠里はそっと時夜に近づき、正面に立った。
 時夜の瞳を見つめ、静かに微笑ほほえみながら、
「いらっしゃい、人殺しの世界へ」
 悠里は時夜の唇にキスをした。
 とても優しい、穏やかで柔らかいキス。
 時夜は目を見開いて固まる。
 悠里の唇が離れ、数秒して、
「おじゃまします」
 時夜も満面の笑みを返した。
 もう一度キスをした。
 同時にバスが来た。
 乗らず、熱い抱擁を続けた。
 バスが去る。
 次のバスは一時間後。

「もう一時間、キスができるな」「もう一時間、キスができるね」

 蝉の鳴き声は強く、日差しは時が経つにつれて弱く。
 二人の距離はより近く、より熱く。










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