第一章 副業/本業/外道

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序章 銀色の刻
第二章 各人各様






============= 第一章 副業/本業/外道 =============





 平野に囲まれた小さな山。
 その頂上に、ひとつの学校が建てられている。
 県立豊跡とよあと高校。文武両道を心掛ける普通科高校である。
 七月中旬。昼休みの教室は、返されたばかりの期末テストの話で盛り上がっていた。
「請求の時間だ。期末テストのカンニング補助代、一科目二〇〇〇円×七で一万四〇〇〇円だ」
 二年A組――猪狩明道いかりあきみち男子生徒クラスメイトの前に立ちはだかり、手のひらを差し出す。
「いやー、おかげさまでこの点数。無意味な暗記せずに済んで助かったぜ。んじゃ、約束どおり全額払……あー……うん、明道君、一科目一〇〇円なんてどうかね?」
 男子生徒クラスメイトは苦笑いで財布の中を見つめる。
 明道の楕円眼鏡がキラリと光る。
「わかった。学年主任に自首してこよう。何、気にすることはない。お前が脅したといえば学校側は信じるだろう」
「わー! 待った待った! 払う! 明日までにちゃんと貯金崩してくるから一日待って!」
「良いだろう。ただし、延滞料で一科目につきプラス二〇〇円だ」
「お前は鬼かっ!?」
「残念ながら人間だ。俺が鬼なら金よりお前の肉を食う」
 明道は男子生徒クラスメイトにそう言って、満足げな表情で教室を出る。
 足取りはやや早め、次の目的地へ向かう。
 彼の昼休みは忙しい。
 副業・ ・をたくさん抱えているため、一人の客に時間をかけすぎることは出来ない。



「頼まれた宿題終わったぞ。もちろん、筆跡も真似てある」
「どれどれ……すっごーい、これならバレないね! ありがと!」
 ¥宿題代行 数学 八〇〇円


「文具一式、買ってきたぞ」
「サンキュー! どうしてもこのメーカの文具が使いたくてさぁ」
 ¥買物代行 一〇〇〇円


「友達が出来ない? 安心しろ、俺も友達はいない。が、人生は超楽しい。自分の人生を楽しいと感じる心を持っていれば、毎日は輝かしいぞ」
「そっか……ぼっちでもいいのかも。ありがと」
 ¥悩み相談 孤独 七〇〇円


「やりたいことがないから進路を決められない? なら、働けば良い。生活に金が必要である以上、やりたいことがあろうがなかろうが最終的に為さなければならないのが労働だ」
「でも、良いところで働くためには大学に行ったほうが良いんだろ?」
「そうでもない。何をしようがどこへ行こうが、不況下での就職は運で決まる。
 そもそも『働くこと=雇われること』としか考えられないのは危険だ。
 経済不況デフレが続く以上、どこもかしこも労働環境が厳しくなるのは当たり前、苦しくなるのは当たり前なんだ。
 泥舟だらけの市場の中、安定して航海ができる会社を見つけることすら難しい。
 不況というものを、政治に興味を持たなかった大多数の国民が招いた結果だと考えるなら、世の中の上司になりうる連中はそろいもそろって経済オンチだらけだろうさ。人としてはともかく、ビジネスとして信用できるヤツなどそうそういない。
 だから俺のオススメは、簡単に入れる会社で手を抜いて働きながら、自分個人で稼ぐ方法をみつけることだ。例えば俺のように、お金を払ってくれる生徒を相手に小遣い稼ぎをするのはビジネスの良い練習になる。
 世の中面倒くさいことを代わりにやるだけでお金をくれるお客様がたくさんいるからな。ビジネスの大前提はそこにある。
 まあ、面白いと思えるなら、雇われようという発想おうどうから踏み外してみるといい」
「ちょっと俺には難しい話だなぁ。でも、世の中がどういうふうになってるかを考えるのは大事なんだなって思った。よく考えたら『雇われたい』って思ってる人がたくさんいたら、そりゃ就職やとわれ先も足りなくなるって話だもんな。よし、学校はバイト禁止だから、ビジネスの勉強してみるわ。サンキュー!」
 ¥悩み相談 進路 九五〇円



「今日も小銭集めは順調だ」
 明道は眼鏡の真ん中ブリッジを中指で押し上げ、得意げに廊下を歩く。
 彼の副業は『誰かが面倒くさいと思っていることを代わりにやってあげる』というものだ。
 客探しは単純。面倒くさがっている人間に、例えそれが初対面の相手だろうが話しかける。
 目的は金。善意などではない。

――お前がしたくないことを俺がやってやろう。だから金をくれ。成果報酬で構わん。
 
 実にシンプル。
 一〇〇人、二〇〇人と話しかけ、本当にしたくないことを抱えている者や、興味本位で依頼をする者に出くわすのを待つ。
 そして現れた依頼主の頼み事を完璧にこなす。
 依頼に対して精度の高い結果を返す。
 安い値段で十分に満足する結果が返ってくるなら、そこには信頼が生まれる。
 信頼を得れば、また何かを頼まれる。時には別の誰かが頼み事をもちかけてくる。
 明道は自分に実現可能なことであればなんでもやった。
 中学生の頃からそんなことを続けていたため、校内はもちろん、市内各所にも客は多い。
 最近では、話しかけるより先に、誰かに依頼されることが多かった。 
「所詮副業のクセに、これがどうにも金になる」
 やれやれと髪をかきあげ、愉快そうに笑う。
「猪狩君、また副業してますね」
 背後から声をかけられる。
 振り返ると、ロングヘアーの女子生徒が生徒手帳を片手にしかめっ面をしていた。
 二年B組――吸坂火憐すいさかかれんである。
 火憐はその長くツヤのある髪を揺らし、明道ににじり寄る。
「今日の副業を全部チェックさせてもらいました。
 人の悩み相談に乗るのは良いことです。買い物の代行も特に問題があるとは思いません。それでお金を稼ぐことを悪いとも言いません。
 でも、宿題の代行とカンニングの補助でお金を得るのはダメです。本人達のためにならないからダメです。カンニングの方は一科目二〇〇〇円と単価が高いので、稼ぎ方が超絶気に食わないです。ムカつきます」
 呆れたような、嫉妬のような口調。
 明道は爽やかな笑顔で、
「稼ぎ方が気に食わない、というのは良い表現だ。俺もそう思う。なんせ労力をかければ済む事を、甘言で堕落させてお金を払わせているのだからな。
 あぁ、実に他人をダメにしている。
 だが、彼らがダメになろうと俺の知ったことではない。彼らはあくまで自分で判断してお金を払っている。
 宿題代行もカンニング補助も『ラクをするためにお金を払う』と判断したのは俺ではない。正したいのなら、俺よりも彼ら本人に言うべきだ。
 さて火憐、俺がこう答えるとわかっていた君のターンだ。聞こう、今日はどんな議論をふっかけたいんだ?」
 楽しそうに火憐に問いかける。
 その余裕そうな態度に気を悪くしたのか、火憐は口を尖らせる。
「本人達に直接言えって言うなら、宿題代行を頼んだ女子生徒にはもうとっくに言ってます。
『宿題を自分でやるほうが出費がなくて済みます。そのお金で好きな服を買う方が得ですよ』とか『人生で本当に必要ないと判断した特定の科目があるにしても、無料でやってくれる友達を探す方が良いですよ』とか色々言いました。
 で、それでもやるなら止めませんってのも言ってます。本当にそれで後悔しないのなら、私がとやかく言うことでありませんからね。
 大事なのは『ちゃんと考えてからその行動を取ったのか?』ってところです。考えずに行動することが一番ダメです。
 その行動に明確な意志がないのは究極にダメです」
 一旦会話を途切り、深呼吸。
 ここからが本番だと言わんばかりに、火憐は明道に指を突きつける。
「カンニング補助の件は捻くれ二大巨頭の貴方と彼ですからね。
 今回は猪狩君からお話をさせて頂きます。カンニング補助――これは宿題の代行とは周りに与える影響、不愉快のレベルが違います。
 宿題と違って、テストには順位があります。加えて、欠点を取ったら進級に影響するリスクもあります。だから誰かがラクをしてしまうと、苦労した生徒が妬みを抱いてしまう恐れがあります。
 それは点数の高さ低さに関係なく、『自分が苦労している中、誰かがラクをしている』ということに、人は不満を抱きます。
 小さな妬みや不満は、よからぬ行為の引金になります。例えば男子A君が彼女にフラれて、それはもう不機嫌なときに、猪狩君達の不正行為を見て『次から俺もカンニングするわぁ……』ってなったらダメですよね? もちろん、心の弱いA君自身にも問題はあります。
 ですが、A君のように心が弱っている誰かを不徳の道へ誘いかねない不正行為は控えて欲しいんです。
 ほんのささいな不正が、ソレを見てしまった犯罪予備軍だ れ かの最後のワンプッシュになってしまうこともあるんです」
 凛として言い放つ。校舎の窓から入る日光に照らされた髪が、言葉の熱さを代弁しているかように紅く揺れる。
 だが次の瞬間、火憐は人が変わったかのように歳相応の少女らしい笑みを浮かべ、
「だから正しく健やかに。たったこれだけで日常生活の平穏が維持できるなら、それは素敵なことですよね」
 穢れを知らない天使のごとく、明道に微笑みかけた。
 明道は一連の言動を美酒銘酒を嗜むような表情で眺めて、言葉を返す。
「相変わらず君の意見は聞き心地が良い。
 さて、君のためにあえて質問を投げかけよう。
 皆が正しく健やかであれば平穏の維持はとても容易いだろう。
 だが、人はバカで賢くないからそれができない。
 注意を注意として、素直に反省できる人間はごくわずかだ。
 これが真実なら、例えば今回オ レのような学校教育上不都合な存在――平穏を乱しかねない人間には、注意をするのではなく排除をすることが望ましいだろう。

『そういうことをするなら学校に来るな』。

 これを言う方が、君の望む平穏が出来上がるだろう。
 さて、『今後の人生、君の言葉を真摯に受け止めてくれる人間が圧倒的に少ないというシチュエーション』に直面した場合、政治家志望の吸坂火憐先生はどう動く?」
 仮定の話を火憐に振る。
 与えられた問いに、火憐は三秒ほど思案して答えを出した。
「そのシチュエーションでも、私がすることは変わりませんね。
 人の話を聞かないというのは個人の問題でもありますが、数が多いのであれば、それは教育の問題――道徳や知的レベルの低さの問題です。なので時間をかけて丁寧に、なぜダメか、何がダメか、どうしてダメなのかを一つ一つ教えていくしかありません。
 猪狩君の言う排除という手段はとても手軽ではありますが、最後の手段にするのが望ましいと考えています。人の話を聞けない人がたくさんいる状況――例えば『知的レベル:一』の人が一〇〇〇人いるなら、一〇〇〇人排除するよりも、一〇〇〇人の知的レベルを二にあげるほうが、学校や国家の運営としては効率が良いでしょう。
 極端なことを言うなら、一〇〇〇人殺すよりも、一〇〇〇人真っ当な人を生み出すほうが世の中が円滑に回って皆が暮らしやすくなります。
 やはり、まずは言葉での説得、改心が先でしょう。ストーカーレベルで説得を続けるのは大得意なので、私個人がするぶんには、根負けはありえませんよ」
 回答を終える。
 明道は眼鏡の真ん中ブリッジを押し上げ、
「実に君らしい。そのやり方で毎日がより平穏で暮らしやすくなる日が来るのを楽しみにさせてもらおう」
 期待に満ちた声音でそう言った。
 火憐は自信ありげに、
「その期待、裏切りませんよ。それで、今回は『カンニングの補助はこれっきりにしましょうね』って話でしたけど、ちゃんとわかってもらえましたよね?」
「もちろん。君が注意をしたんだ。納得できなかったはずがない。思慮不足を認めよう。カンニングの補助は二度としない」
 明道は火憐の瞳をまっすぐ見てそう答えた。
「よかったぁ~」
 火憐は安堵したように、胸をなでおろす。
「うんうん、これでまた平穏度が上がるというものです。あ、さっきの話ですけど、もしも私が『猪狩君、もう二度と学校に来ないでください!』って言ったらどうするんですか?」
 純粋な瞳で火憐は疑問を口にした。
 明道はニヤリと頬を歪め、
「普通に登校する。それで火憐が困るなら楽しいだろう?」
「なっ!?」
「そのリアクションが案外好きでね。君は見ているだけでとても面白い動物だ」
「ど、どうぶ……っ!? 侮辱です! ひどいです! 謝罪を要求します!」
 火憐は頬を膨らませじだんだを踏む。
 その姿を見て、明道は腹を抱えて爆笑する。
「はっはっは! この程度で腹を立てていては政治家にはなれんぞ。あれほど侮辱される仕事もない。立派な議員になるのなら、煽り耐性は鍛えておけ。っと……では火憐、後ろで君に話しかけたがってる倉田先生の相手をしてやってくれ」
「え?」
 反射的に後ろを振り返る火憐。
 しかし、教師どころか、誰一人として背後にはいなかった。
 後ろを向いた体を前に戻すと、同じように、誰一人いなくなっていた。
 一瞬の間が空く。
 火憐は肩をわなわなと震わせ、
「嘘はダメーーー!」
 そんな声が、昼休みの校内に響き渡った。








 放課後、猪狩明道の副業は後半戦に突入する。



-- 校内 武道会館 --
「せいっ……!」
「ふんっ……!」
「ふぅ、受けの型しかできないが、役に立てたか?」
「ああ、明道の受けは空手の良い練習になる。ホント、ウチに入れよ」
「遠慮しておく。俺はいざ戦うような事態になれば、遠距離からの攻撃に特化する。空手の受けだけ出来るのは、近接に持ち込まれたときの対策に過ぎない。まあ、拳による肉弾戦はさっぱりということだ」
 ¥練習相手 空手 二〇〇〇円



-- 校内 生徒指導室 --
「二年E組の井上さん、やはり先生の事が好きなようです。が、彼女は『教師と交際することそのもの』に抵抗感があるようです。説き伏せるのは容易ではないでしょう。論理的な説明が通じる性格ではないようなので、安心感……つまりは感覚的なもので彼女の心を撫でてあげると良いかと思います」
「そうか! だよな、やっぱ井上は俺のこと好きなんだよな! うし、助かった明道、アドバイス通り頑張ってくるわ!」
 ¥教師と生徒の恋愛事情 素行調査 八〇〇〇円



--校内 美術室--
「今日は描いたイラストの感想が欲しい。パソコンを見てくれ。どうだ、俺の嫁は美しいか?」
「以前より線が太くなったな。だが、決してごつくは見えない。むしろ肉体の骨の部分や、服の重なった部分などの強弱がついていて印象度が上がった、といったところか。だが、線の色が濃い。もう少し黒を薄めた方が、目に優しい嫁が描けると思うぞ」
「なるほど。助かった。次回も頼む。しばらくは絵の練習をしている」
「応援しよう。そのときまでに、萌え系イラストというものについてもう少し建設的な意見が出来るように勉強しておく」
 \批評、助言 イラスト 一〇〇円(継続的に依頼があるため、特別価格)



 休憩。
 猪狩明道は眼鏡をクリーナーで拭きながら、一階昇降口の近くにある自販機の前に立つ。
 埃をふき取ったレンズを光らせながら、
「自販機、俺はお前に金を払わんぞ」
 としたり顔でつぶやき、隣にあるウォータークーラーの水を飲む。
 生き返る、といった表情で悦に浸る。
「悔しいか自販機、だが思い知るが良い。このデフレ期に貴様に払う金はないのだとな!」
 腰に手を当て、自販機に向かいひとり、優越感に浸る。
 たまたま近くを通り過ぎた陸上部の女子生徒たちはその姿を見て、見なかったことしてそそくさとその場を去っていった。
 明道はそんなこともつゆ知らず、ひとり、自販機にむかい、
「見ろこの金額を! 紙幣を! 俺は今日も稼いで見せた。お前よりも稼いで見せた。経費は〇円だ。俺は俺の能力、労力だけで維持費のかかるお前よりも利益をあげた。さあどんな気持ちだ自販機? なあ自販機? じーちゃん? プギャァー!」
 自販機に指をさし、高々と大爆笑を打ち上げる。
「俺は今月の売り上げで自分の頬だって叩けるぞ」
 明道は自身が稼いだ紙幣で自らの頬を叩く。
「また自慢しに来てやろう。残念だが今日はここまでだ。あと一つ副業が残っているからな。自販機、貴様も貴様で頑張るが良い」
 そういって、自販機に背を向ける。
 本日、明道には最大利益が見込める案件が残っていた。
 依頼人が待つ三階物理教室に向き直り、一歩踏み出して、
「…ラッ……金……よっ!」
 かすかに、荒い声を聞いた。
 男性のもので間違いないだろう。
「……ら、早く……!」
 声は学校を囲う森の中から聞こえているようだ。豊跡高校は平野に囲まれた小さな山の中に建てられているため、校舎の周りは緑色の自然風景が広がっている。
 明道は耳をすまし、声の方角を確定させる。
 足音を消し、森へ踏み入っていく。
 森に入って十数メートル。男子生徒五人の姿が目に入る。
「もっともってねーのかよっ!」
 一人の男子生徒が声をあげる。
 声を上げた生徒の後ろに三人、前に一人の生徒がいる。
 四人で一人の男子生徒を囲っているという構図だ。
 明道は木によじ登り、遠目から生徒達の顔を確認する。
 一人を囲ってる四人の男子生徒には見覚えがあった。
「二年C組の斉藤、佐田、今村、梶原か」
 評判が悪い生徒達だ。
 彼らが万引きや恐喝を行っているという噂は、二年生の間ではそれなりに知られた話である。
 今、明道の視線の先で行われているのは恐喝で間違いないだろう。
「俺よりも彼らに働きかけるべきだな、火憐。いや、君が精一杯勇気をふり絞ってる事は十分に知ってるのだか……」
 明道は小さく溜息をつきつつ、状況を観察する。
「金は? ねえ、もっとお金もってないのぉ?」  
 斉藤達は卑下た笑みを浮かべ、一人の生徒ににじりよる。
 斉藤は男子生徒の胸倉を掴み、金を要求する。
 唾を吐きかけ、髪を引っ張り、恐喝と暴行が続く。
 明道は音を立てないように木から降りる。
 そして校舎に向けて踵を返し、
「彼らの外道を実際に見るのは初めてだったが……よくある事だ。俺以外の誰かが救ってやるといい」
 愉快そうにあさっての方向に言葉を投げて、その場を去った。
 来た時と同じように足音を消し、森を抜けて校舎に戻る。
 校舎に入る手前、自販機の前に立ち、やれやれと肩をすくめる。
 未だ小さな罵声が聞こえる方角を横目で見やり、
「効率の悪い稼ぎ方だろう? 彼らはバカなんだ。財布を狙うなら……」
 何かを言いかけ、何も言わず、明道は目的の物理教室へと向かった。
 その足取りは軽く、どこか愉快そうだった。








 閉校一時間前、三階物理教室では将棋の音が響いていた。
「小さなビジネスは大盛況のようだね」
 白衣を着た女性は柔らかい口調で言い、軽い手つきで『角』を進軍させる。
「日によってはアルバイトよりも稼げますよ。学校がアルバイトを許可すれば、新卒と同じくらい稼げるかもしれません」
 『角』に合わせて『歩』を進めなら、女性の対戦相手――猪狩明道は質問に答えた。
「明道はいつか、大きなお金を動かす人になるのかもしれないね。今は校内でのお金稼ぎが多いようだけど、ネットでもお金儲けとかしてるのかい?」
「アフィリエイトやメルマガのようなものでしたら」
「クリックで稼ぐポイントサイトとかいうのはやってないのかい? アレもそれなりに小遣い稼ぎになるって聞いたけど?」
「ポイントサイトは単価低いから嫌いですね。アフィリエイトやメルマガの方が商品を売るために文章を考えたり、色々調べたりするので、文章力や知識が鍛えられて好きです。
 どうしても『クリックで』というなら、クリック報酬型の広告を自分のサイトに貼り付けておく方が良いでしょう。自分で押すより押してもらう方がラクです。サイトのコンテンツが充実していれば、存分に稼げますよ。
 ネットの副業に興味があるんですか、倉田先生?」
「うん。僕も副業で生活費が稼げれば教師をやめて物理の世界に没頭したいからね」
 倉田と呼ばれた女性教師は深いため息をつき、
「好きなことだけをずっとできる生活。生きるためのお金さえ稼げれば、それができる。あと五年、三十歳までにそんな生活を手にして見せる!」
 語気を強め『飛車』で『歩』を討ち取る。
 憎い敵を打ちのめしたといわんばかりに、明道の『歩』は倉田の手に落ちる。
「誰もが持つ願いですね。努力すれば、いつか叶うかもしれません」
 優しい笑顔で明道は答えた。
 同時に、盤上で討たれた『歩』の後釜に『銀』をあてがい、『飛車』を牽制する。
「話は変わるけど、最近超常現象――横文字にするならオカルト――にハマってるんだけど、明道はそういう話に興味ある?」
「金のネタになりそうなものなら何でも興味を持ちますよ」
 倉田は首をかしげ、
「お金のネタになりそうなもの……。よし、お金になりそうな超常現象の話をしよう」
 楽しそうに語り口を開いた。
「まずは超常現象について。超常現象というのはその名の通り、通常では起こり得ない現象のこと。人によって定義が変わるけど、今から僕が話すのは『人間が意図的に起こす超常現象について』だ。
 透視を例にしてみようか。
 夏だし、透視という超常現象を起こすことができたら毎日幸せだろうね。
 この透視を人為的に実現するためには、

 ・時間帯
 ・季節、天候
 ・宇宙、星の状態
 ・月の満ち欠け
 ・魔法円やアイテムの用意
 ・発声、踊り、祈り
 ・悪魔、天使、妖精との契約、生贄の献上

 などなど、実現したい透視の精度にあわせて、あげればきりがないほどの条件をその都度適切に満たさなければならない。
 もちろん、手順に少しでも間違いがあれば現象は行使されない。
 つまり、超常現象というものを人の手で為そうとすれば、面倒くさい手順を完璧にこなさなければならない。
 手間がかかりすぎて超非効率。どこかで透視スコープを買うほうがマシって話になる」
 倉田は息を吸い、
「そ、こ、で! 昔の頭の良い人達は効率化を図り、超常現象を為すための工程の短縮化、簡略化を図ったわけですよ明道君!」
 急に人が変わったようにテンションが跳ね上がった。
「……スイッチ入りましたね」
 明道はかぼそくつぶやいた。
 倉田は目を輝かせて会話を続ける。
「魔術、呪術、錬金術、占星術といった知的なアプローチもあれば、紋章に現象を圧縮したり、道具に現象操作一式を組み込んだり、その人個人でしか使えないように独創術技化したりと、ホントあったまいいことやったんだ、この星のご先祖さんたちは!」
「先生、そろそろ本題を……俺は金になる話が聞きたい」
「今から本題さ! さて、術式化、道具化、固有化の中でお金になりそうなものは何か? そう、道具化。超常現象を組み込まれた道具こそがモノとしての価値を持つ! 勉強や詠唱が必要なものとはわけが違う。目に見える、形になっている超常現象再現器。例えば透視が可能な眼鏡――超常現象だから透視しても誰にもバレない――なんてものがあれば、僕は五〇万まで出す」
「確かに、透視ができる眼鏡があれば、俺も一〇〇万は出しますね」
「だろう? つまり、そういうことさ。メリットのある道具で希少価値があるもの。その効果をちゃんと証明できれば買い手がいる! あぁ~欲しいなぁ、透視眼鏡! 漫画でしか見たことないけど超欲しい! 若い男の子のカラダ超見たい!」
 他の教員や生徒に聞かせるわけにはいかないようなことを、倉田は力を込めて訴える。
 明道はやれやれといった様子で、
「実際に透視眼鏡がこの世に存在して、でも、バレるわけにはいかないから誰かが隠している。とかだったら面白いですね」
「現実的に考えれば存在しないけど、ロマンはもっていたいよな!」
 倉田は無邪気な子供のように目を輝かせた。
 明道は額に中指を押し当て、思案顔を作る。
「例えば一ヶ月かけて超常現象とやらを宿した道具を見つけて、買い手がいれば五〇万。中々良い黒字になりますね。問題はどうやって探すか」
 具体的に考えようとする明道。
 倉田は手を上げて、
「僕も一回それを考えた事があってね。県の埋蔵文化財センターって知ってるかい? その名の通り、埋蔵物を保管してあるところ。埋蔵物というのは過去の貴重品、道具、武具、遺物などだ。それらの中にはきっと超常現象を宿した埋蔵物があると思う。何回か見学に行ったんだけど、もう全部が全部、一個ずつ研究したい! ガチでマジで!」
 息を荒げながら唸る。
「先生、結構本気で超常現象にハマってますね」
「うん! 超常現象を宿してそうな埋蔵物を手に入れるために、センターの局長さんとコネクションをつくったからね。息子さんがなんと、二年C組の斉藤君。彼に頼んで局長さんに会うところまで頑張ったんだよ!」
 力いっぱい自慢げに話す倉田。
「……で、結果手に入らなかったと」
「……残念ながら、息子に似ず立派な方でね。『センターに保管してあるものを私個人の裁量で譲渡することはできない。局員たちが日々調査、研究を行っているので、見学、議論、公開資料の閲覧は大歓迎ですが、一個人に貸し出すことは出来ない』ってさ。はぁ、息子さんくらい怠惰であればよかったんだけど」
 深くため息をつく倉田。
 明道は笑いを堪えるようにして、
「先生、一応教師なんですから、そういう発言は危ないですよ」
「おとと、一個人として喋りすぎちゃったか。ここは公の場、美人物理教師、倉田物成くらたものなりとして至極真っ当な発言を心がけなければね」
「まったくもって女性らしくない先生の心がけを応援する意味で、俺の『飛車』で先生の『王』を獲らせてもらいます。王手の声も聞こえないくらいに自分の話に熱中してると、遠方から狙撃されてしまいますよ」
「え? あっ! いつのまに!」
 盤上、明道は自身の『飛車』で敵王将を叩き潰す。
 甲高い木製の衝突音。
 勝利は猪狩明道の手に。
「では、買ったのでお金を」
「仕方ないなぁ。はい、一二〇〇〇円」
 しょぼんとする倉田をよそに、明道は満足の限りを尽くした表情で賞金を財布にしまう。
 それと同時に下校のチャイムが鳴る。
 本日の副業はこれにて終了。完全制覇。
 猪狩明道は存分に副業を満喫した。 









――完全無慈悲。外道ク ズを虐殺せよ。



 稼ぎ、稼ぎ、稼ぎ、稼ぐ。
 夜。今からが猪狩明道の本業である。
 豊跡高校がある山を降り、平地をまっすぐ。
 ゆるやかな坂道を登り、住宅街へ。
 学校同様、もともと森林地帯であった場所に作られた居住区。
 区画の端は森で囲まれている。
 時刻は午後八時を回ったばかり。
 猪狩明道は森の中、一本の木の上に身を潜めていた。
 先ほどとは服装を替え、全身を黒の外套で覆い、フードを被っている。
 素肌、顔、体型、性別の情報を外界から遮断するその姿は、まるで暗殺者のようである。
 肩には猟銃を収めたガンケース。
 手元にはハンドバッグ。中には靴、双眼鏡、銃弾、ナイフなど、様々な道具が綺麗に収納されている。
 明道は双眼鏡を取り出し、一五〇メートル遠方の公園を監視する。
 人気のない夜の公園。
 夏服の学生達がブランコの周囲にたむろしていた。
 男子生徒が四人。
 紙幣二枚を得意げに広げ、品のない笑い声をあげている。
 数時間前、豊跡高校を囲う森の中で恐喝を行っていた生徒達である。
 彼らは万引きや恐喝を行った後、必ずここに来る。
 この公園でこの時間帯に、自らがやった行いを賛美し、缶コーラで祝杯をあげる。 
 今宵も例に漏れず。
 明道の双眼鏡には宴会気分の少年四人が写っている。
「実に幸せそうだ。が、今まで誰もお前たちを救わなかったことを、俺の前でその外道ク ズを晒した事を悔やむが良い」
 つぶやき、手持ちの装備を一つ一つ確認していく。
 今夜の装備は、
 
・散弾銃『BERETTA 686E BLACK LIMITED』 ※所持弾種×4 各六発 上下二連、ともに銃弾未装填
・ダガーナイフ×2
・手投げナイフ×6
・CDラジカセ×1    ※CDセット済み。盗品。
・自作ミニ四駆×1  ※コックピット部にピンポン玉製スモーク弾装填
・防刃手袋      ※両手装着済み
・盗んだ靴×2セット ※一足はすでに着用済み。ハンドバックにスペア。

「さて、本業・ ・といこうか」
 ハンドバックを木に隠すようにして置き、猟銃を収納した皮製のガンケースを肩に背負う。
 木から降り、右手にミニ四駆、左手にCDラジカセを携える。
 どう見てもただの変質者。
 しかし、冗談の欠片も持ち合わせない気配がそこにある。
「set――」
 もう一度瞼を閉じて深呼吸。
 一拍。のち、目を見開いて、
「――hunt」
 ここに、猪狩明道の"外道虐殺ク ズ ご ろ し"が開幕を告げた。







 
「マジ、超大儲け」
 斉藤力也はご満悦だった。
 いつものように恐喝を成功させ、あたりまえのように夜の公園で缶コーラの祝杯をあげる。
 チームのリーダーである彼は、残る三人――佐田、今村、梶原――と次のターゲットについて話しながら、買い置きしていた次の缶コーラに手を伸ばす。
「……ん? 何の音だ」
 缶コーラに触れた瞬間、周囲からドリルの音を小さく、甲高くしたような音が聞こえた。
 遠くから、小さなレースカーらしき物が近づいてくる。
「何アレ、ミニ四駆?」
「昔アニメでやってたやつか?」
「ガキの頃見てたわ~」
 周りの三人も気づいたらしく、それぞれが喋りだす。
「見たことねーマシンだけど、誰か知ってる?」
「知らん。でもミニ四駆って今も漫画でやってるらしいぜ。最近のじゃね?」
「何にせよ、俺がハマってたころを思い出して懐かしいぜ!」
 公園の砂地を、ゆるやかな速度で四駆は走る。
 楕円軌道を描き、人が歩く早さで力也達の元へ迫る。
「ふーん。昔からあるオモチャなのか……」
 力也は缶コーラを置き、立ち上がる。
 ミニ四駆がこちらに来るより先に、その小さな車体に近づき、拾い上げる。
「へー、結構よくできて――うわッ!?」
 拾い上げた直後、ミニ四駆はコックピットから灰色の煙を吐き出した。
 その車体からは予測できないほどの煙量が、消火器を控えめにしたような音とともに高速で噴出する。
 力也は反射的にミニ四駆から手を放していた。
 ミニ四駆は正常位のまま地面に着地し、走りながらなおも煙を撒き散らす。
 楕円軌道を描き、周りにいた三人の方へ向かう。
「おっ、こっちに来るぞ」
「アレ何の煙?」
「さあ? でもカッケーなぁ」
 周りの三人は多少驚きはしたが、楽しそうに煙を吐き散らす小さな走行車を眺めていた。
 この謎のサプライズに喜んでいるようだ。
 煙で視界が覆われ、誰がどこにいるのかを視認できなくなったが、三人にそんなことを気にする様子は見られない。「ひゅー!」などと、楽しそうに口笛を吹いている。
「よくわかんねぇなぁ……」
 力也がそう言い終わるのと同時に、三人の方角から何かのメロディが流れてくる。
「お、この曲もしかし――でぇっ!?」
 煙の向こう、何かを言おうとした佐田の声が途中で途絶えた。
 短いイントロが終り、明るいメロディとともに可愛らしい女性の、少女と思われる歌声が響き始める。
「おい、佐田、どうし――ァ!」
 次は今村。
「ャ――!!!」
 そして梶原の声も途絶えた。
 決してうるさいとは言いきれない音量で曲が流れ続ける。
 だが、曲のせいで、視界を覆う煙のせいで、力也は三人に何が起きたのかを推測できない。
「ど、どうしたってんだよ。おい、お前ら! お前ら、返事しろ!」
 返答はない。
「な……なんだってんだ」
 力也は身を屈め、じっと煙の向こうを注視する。
 人差し指を太腿にあて、一秒おきに軽く叩く。
 待つように、観察するように力也は静止した。
 ただ時間が経過していく。
 消火器のような音はいつ間にか止んでいた。
 不意に曲も止まった。
 視界がだんだんと晴れていく。
 灰色の気体は闇に溶け、なじんだ公園の景色が力也の視界に帰ってくる。
「ッ――!?」
 見慣れたはず公園は、いつもより赤かった。
 かつてないほどに、視界を赤が埋めていた。
「し、死んでんのか……?」
 見慣れた友人の血で染まっている異常な惨景。
 佐田は首にナイフを突き立てられていた。胴体には複数の赤いシミがあり、ナイフで何度も突き刺されたことが連想される。
 今村は顔面を汚く切り刻まれていた。鼻が潰れ、首がひしゃげ、腕が本来とは違う曲がり方をしている。
 梶原は右眼球、首、左腕、右手、左腿、右足首に小さなナイフが刺さっていた。心臓にもえぐりこむように、佐田の首にあるものと同じナイフが突き刺さっている。
 三人はスピーカーを囲むように倒れて、いや、死んでいた。
「な……は……?」
 尻餅をつき、後ずさる。
「良いマシンだったろう? シャーシ、ボディ、モーター、ギア、電池、全て自家製オリジナルだ」
 力也の背後から低い、男性とおぼしき声が聞こえた。
「曲の方は――」
 振り返ろうとして、後頭部に何かを突きつけられていることに気づき、振り返ることをやめた。
「――すまん、曲名をド忘れした。まあ、流行の二次元アイドルの曲だ。死ぬなら明るい気持ちで死にたいと思ってな。特別に用意した。感謝しろ」
 声と同時に力也の肩が蹴り飛ばされる。
 身体が反転し、仰向けになる。
「ここからが本番だ。喜べ主犯。紙幣二枚のぶん愉悦、しっかり教えてやる」
 月のない夜空を背に、全身を黒の外套に包んだ殺人犯が猟銃を構えている。
 銃口が力也の喉元に固定される。
 力也は言葉を発しないまま、ただ目を見開いて汗を垂れ流す。
 その息は荒く、何度も何度も唾を飲む。
「おいおい、お前は恐喝が得意なんだろう? 銃口を押し当てられたくらいで怯えてどうする?」
 外套の殺人犯は愉快そうに言う。
 力也は奮え、ただひたすらに唾を飲む。
 殺人犯は「やれやれ」とつぶやき、
「ひとつ同情するなら、お前達は運が悪かった。今日この日まで、誰もお前達を救わなかった。どこかで更正していればこうはならなかった。どこかで道徳的に正しく軌道修正していればこうはならなかった。そう、お前達の周りに誰か一人でも、お前達のことを叱ってくれる人、注意してくれる人がいれば血を見ることはなかった。いや、一人だけいたか? まあ、彼女の話を聞かなかったのなら、自己責任だな」
 とても優しい声で殺人犯は言う。
 猟銃を力也の首に押しこみ、引金に指をあてがう。
「さあ、死ね」
「や、やめてくれっ!?」
 殺人犯がいざ殺さんと引金を引こうとした瞬間、力也はようやく言葉を発した。
 殺さないでくれと、何か悪いことをしたのなら謝ると、懇願した。
 殺人犯は引金の手を止める。
 そしてため息をつき、
「お前があまりにもみじめだから、ひとつ、提案をしてやろう」
 殺人犯は力也の顎に銃身を当て、顔を上向かせる。
「俺が今やってることはただの恐喝、いや、強盗殺人か? まあ、目的は金だ。お前があり金を譲り、今日の出来事をすべて黙秘できるなら、こいつらみたいに殺さなくてもいい。できるか?」
 力也は静かに、首を縦に振る。
 それと同時に力也の喉を銃口が突き、嗚咽を漏らそうと開かれた口に銃口が押し込まれた。
「答えは言葉で返すといい。意思を明確にしないのなら、俺はお前が死にたがっていると判断する」
 力也を見下す殺人犯は、一向に顔を見せないまま楽しそうに良い放つ。
 銃口を口から抜き、返答を促す。
「な、何も言わない。全部、なかったことにする。こ、殺さないでくれ、いや、殺さないでください!」
 それが斉藤力也の答えだった。
「よかろう。金、服、携帯、すべて残して全裸で去れ」
 その脅しに驚きながらも、力也はその要求を全てのみ、公園を走って立ち去った。
 何かを隠し持っていないかということで、口内、肛門、陰茎、耳穴、髪の中などを確認されたが、生き延びれたことの方が嬉しかったのだろう、恐怖にまみれながらも、力也の口元は生還の喜びで歪み緩みきっていた。
 汗、涙、涎を垂らしながら、自宅へ向けて全裸で疾走する。
 その後ろ姿を見つめ、
「なんだ、思った以上に彼は素直な性格らしい」
 殺人犯は公園の隅で小さなマシン音を鳴らす自作ミニ四駆と、佐田、梶原に刺したナイフを回収しながら小さく笑う。殺した三人のポケットから財布を奪うのも忘れない。
 CDラジカセからCDだけ回収し、ケースに入れて外套にしまう。
 今村にCDラジカセの持ち手を握らせ、もう片方の手でラジカセをぺたぺたと触らせる。
「おめでとう、ラジカセを盗んだ真犯人は君に決まりだ」
 とても楽しそうな声で言う。
 ついで、三人の死体から髪の毛を思いきり引っ張り、抜く。
 そのうち数本を、ラジカセのスピーカー部分に丁寧に差し込む。 
 外套から小さな円筒状のケースを取り出し、蓋を開ける。
 中には様々な色、太さの髪の毛が入っている。
 そこに残った三人の髪の毛を加え、蓋を閉じ、外套の奥にしまった。
 一旦森に戻り、ハンドバッグにミニ四駆とCDをしまい、スペアの靴に履き替える。
 ガンケースを置き、猟銃のみを手に取る。
 先ほどは未装填だった十二口径の上下二連に、七.五号の散弾を装填する。
 装備確認。
 猟銃。ナイフ。防刃手袋。
「よし、休憩終了」
 殺人犯は力也が逃げ去った方角を向き、歩き出した。
 黒の外套は闇夜に溶け、その本業を継続する。







 
「なんで! 俺が! こんな目に!」
 夜の住宅街を全裸で走る人影。
 斉藤力也は殺されなかった喜びと、殺されそうになった怒りを混じ合わせたような表情で、コンクリートの路面を駆け抜ける。
「金を盗っただけ、そんな大それた悪事じゃない。ただ金を盗っただけ、なのに、なんで! なんで! なんで!」
 繰り返し同じことをつぶやきながら、息が切れても休むことなく、自宅へ駆けた。
 幸か不幸か、誰にも目撃されず自宅まで帰り着いた。
 自室に入り、ベッドにもぐりこむ。
「でも、俺は殺されなかった。アイツらは殺されたけど、俺は生き延びた。きっと、俺は、特別」
 ガタガタと震えながら、笑みを浮かべてタオルケットに包まる。
 膝を抱え、恐怖を忘れるように目を閉じて、
「大丈夫、大丈夫」
 という言葉を重ねていく。
 何度も「大丈夫」を重ね、十五分ほど経過する。
「だい、じょう、ぶ」
 つぶやきすぎたせいか、喉が渇いてうまくしゃべれなくなっていた。
 力也はベッドから出て、服を着た。
 喉を潤すために、台所へ向かう。
 親は外出中。父親から『今夜は母さんとご飯を食べに行く。作り置きのうな重を食べてくれ』とメールがあった。
 台所の電気はつけっぱなしのようで、廊下まで光が漏れている。
 斉藤家ではよくあることだ。
「俺がこんな目にあってるときにのんきな……」
 眉間にシワを寄せながら台所の引き戸をスライドさせる。
「ん? 何だ、お前からこっちに来たのか。このうな重を食べてから会いに行こうと思ってたんだがな」
 小さな台所に中型の長方形テーブル。
 そんな見慣れた風景の中で、フードを被った黒い外套の人間がうな重を食べている姿を目の当たりにした。
 しかも土足である。
「おっ、おっ、おっ、おまっ、おまえ!?」
 力也は家宅侵入者に人差し指を向けて狼狽する。
 予想外の出来事だったらしく、腰を抜かし、ただひらすらに「お」と「ま」の発音を繰り返す。
「いやな、お前の携帯メールに『作り置きのうな重を食べてくれ』と書いてあったんだ。なら、俺はうな重を食わざるを得ないだろう?」
 顔を隠したまま、不法侵入者は満足げに笑い声を上げ、うな重をかっくらう。
 その傍らには先ほどの猟銃が置かれている。
 生物を殺す銃火器が、嫌味なまでに黒光る。
「ひ、ひいい――」
 力也は声をあげ、逃げ出した。
 が、反転したところで髪を掴れ地面に叩きつけられる。
 そのまま猟銃を口に押し込まれ、
「騒ぐな。本当に死ぬことになるぞ」
 注がれる殺意。力也に為す術はない。
 力也は涙を浮かべ、体を震わせる。
「安心しろ、俺は他の用事でここに来た。殺す気はない。本題は別だ。お前の父親が埋蔵文化財センターの局長をやっていると聞いてな。この家に、ひとつでも埋蔵物を持って帰ってないか?」
 問いと同時に、押し込まれた銃口の圧力が緩む。
「し、知らない」
「そうか、なら、お前の父親の部屋にあった鉄金庫。あれの開錠方法はわかるか? 四ケタのダイヤル式のようだが、俺が思いつく範囲の数字では開かなかった」
 侵入者は問いかける。
 力也は脱水症状になるのではないかというくらいに汗をにじませながら、
「金庫、四ケタ、親父、数字、埋蔵物、局長……」
 頭を抱えて、単語をつぶやく。
「思い出すことをオススメする。それで君の平穏は確定する」
 その言葉のせいか、少年は呼気を荒げ、単語を紡いで行く。
「親父、趣味、外食、お袋、飯、ディナー、メニュー……値段! そうだ! 親父とお袋が外食するとき、いつも食べてるメニューがある。その値段!」
 瞳をぐっと開き、少年は解答を出す。
「よし、答え合わせだ」
 力也は銃を背中に突きつけられたまま父親の部屋まで歩かされ、金庫の開錠を要求された。
 銀のダイヤル式施錠をひねり、数字を合わせていく。
 力也が震えながら選んだナンバーは『一八八〇』。
「なるほど、中級の肉を満喫してるといったところか」
「いや、うな重だ」
「……」
 一瞬の間。
 外套の侵入者は「うな重一家か……」とうらやむような声を出し、金庫を銃身で開く。
 金庫の中には、
「水晶玉? 紋様が入ってるが……何だ?」
「さ、さあ?」
 力也の反応は嘘をついているようには見えない。
「そうか。では、約束通り、俺はお前を殺す気がないから――」
 銃口の圧力が少年の背中を解放する。
 力也は疲れ切った表情で、しかし、限りなく安堵したといわんばかりに息を大量に吸い込み、

――俺の思想しんじょうに従って死ぬと良い。

 乾いた炸裂音と共に頭蓋を吹き飛ばされた。
 即頭部からの零距離射撃。
 散弾銃『BERETTA 686E BLACK LIMITED』より発射された散弾は、標的の頭肉を放射状にえぐり、吹き飛ばした。
 肉が散り、壁にこびりつくように付着する。
 散弾一発に込められた小粒――数にして二九四の鉛が人体頭部を挽肉ミンチにした。
 射者は外套のフードを取り、満足げに頭部が削られた死体を見る。
外道ク ズは虐殺する。それが俺の生きがいでね。まあ、運が悪かっただけさ。来世ではもっと上手く恐喝をすることだ」
 満足げに殺人犯――猪狩明道は死体の喉仏を人差し指でぐりぐりとねじる。
 なんとも幸せそうな表情で、死体を眺め、触る。
「――great。俺、満足」
 外套から円筒状のケースを取り出し、その中から多種多様の髪を数える程度につまむ。
 台所や玄関、各寝室とトイレに行き、謎の髪の毛を一、二本ずつ添える。
 その後うな重の食器と箸を洗い、台所にあったビニール袋に入れ、力也父の部屋に戻ってきた。
「家宅での殺人は色々と面倒で困る……」
 愚痴を吐きながら、明道は力也の髪を引き千切り、円筒ケースに入れ、外套の中にしまった。
 うな重の食器類を入れたビニール袋を床に置く。
「さて……」
 金庫の水晶に向き直る。
 見たことのない、ヘンな紋様が刻まれた直径十二センチほどの水晶玉。
 淡い緑色を帯びている。
 金庫から出そうとして、
「おい、これは触っても大丈夫なのか? ……ああそうか、さっき喋れなくしてしまったか」
 倒れた死体に話しかけたが、当然返事はない。
 視線を己の手に移す。
 防刃手袋をした両手。
「触るだけであれば、仮に盗難防止用に毒が塗られていても大丈夫だろう」
 眼鏡を整え直し、両手を交互に見やる。
「よし」
 と小さくつぶやき、明道は左手を水晶に伸ばした。
 右手で猟銃を持ち、銃床――銃を構えたときに肩に当てる部分――を水晶に向ける。
 防刃手袋をした左手が水晶に触れる。何も起きない。
 左手が水晶を掴む。何も起きない。
 金庫から水晶を持ち上げて取り出す。何も起きない。
 水晶は明道の手中に収められた。
「……ふぅ」
 安堵の表情、何もなかった安心からか、手に持つ水晶に顔を近づけて見やる。
 その瞬間、水晶が唐突に光を帯び始めた。
「なっ……!」
 明道は反射的に水晶から手を離し、後方に跳躍する。
 宙に投げ捨てられた水晶はさらに光を強め、緑色の発光を撒き散らす。
 光の奔流は結集し、勢いを持って明道の左肩に飛び掛かった。
 その速さはまさに光の如く。
 音速を超え、光速で空間を駆け抜ける。
 跳躍中の明道にかわす術はない。
「ぐ……ぁッ」
 発光体は明道の左肩を突き刺すようにして侵入した・ ・ ・ ・
「―――――!!!」
 声にならない声をあげる。
 外套は緑光で焼き千切られた。
 右手の猟銃が落ちる。
 左肩から肉が焼ける音がする。
 豚肉よりも良い音を奏で、緑光は人体を貪り喰う。
 明道は血が出るほどに唇を噛みしめ、顔面を歪める。
 だが、出血ならば左肩の方が酷い。
 焼き切られたとはいえ、服があったから出血が飛び散ることはなかった。
 だが、すでに左腕は真っ赤。
 血液は腕を滴り、床に落下せんと水滴化している。
「ッ――!?」
 外套を剥ぎ、零れ落ちる血液の下に敷く。
 間一髪。出血が床に付着するようなことはなかった。
 そのまま流れるような作業で落とした猟銃に手を伸ばし、銃口を左肩に向ける。
 薬室には散弾があと一発残っている。
 左肩でなおも緑光を放ち続けている部分のみに照準を合わせる。
 右手と左足で銃身を固定し、右足親指を引金にあてがう。
 数秒固まる。瞼を閉じ、渋い顔で重い息を漏らす。
 さらに数秒して、意を決したように靴下越しのトリガーに力を加えていく。
「ァ――――!」
 緑の発光が強まり、明道の呼吸が一瞬止まる。
 引金への加圧が中断される。 
 体内を侵食する熱は殺す勢いでさらに強まっていく。
 明道は力強く目を見開き、
「一秒躊躇う毎に肉体が殺されていく……っ!」
 先ほど吹き飛ばし、脳がこびりついた壁を見る。
「脳が飛び散るよりマシだ。証拠隠滅も諦める。生きて、逃げればそれでいい……っ!」
 自身に言い聞かせるように強く訴えかける。
 唇を噛んだまま、断裂する呼吸のまま、右足親指に力を込めた。











――引くな。
 
 引金を引こうとしたまさにその瞬間、明道の脳裏に得たいの知れない感覚が炸裂した。
 視界が赤く明滅し、明道の呼吸が停止する。
 数秒で明滅は収まり、呼吸ができるようになった。
 明道は咳き込みながら左腕を見やり、
「撃つべきではない……のか?」
 自身が感じたことを口にした。
 脳裏を電流のように奔った直感のような警告モ ノ
 何の理論的根拠もない警鐘モ ノ
「だが……感じた」
 音のような、文字列のような、どうしてもそれを言葉にするなら、
「第六感……? はっ、馬鹿な」
 首を振った。
 患部を切除しなければ熱は体を焼き殺す。
 そのような状況で、第六感などという感覚モ ノがなぜ警告を出すのか。
 どうしてそれを信用できようか。
「……」
 だが、引金を引こうとするたびに警告ソ レは頭に響く。
 引金から指を離せば警告ソ レは収まる。
 何度繰り返しても警告ソ レは反応する。
「『結果起こりうる損傷ダメージを予測』してるとでも言うのか」
 疑問が脳内を駆け巡る。
 しかし、解決するための情報がない。
「なら……起きたことを事実として考えろ」
 自身を叱咤する。
 だが、起きたことを事実として捉えたところで、出来ることは『引金を引かない』ことだけだ。
「はぁ――はぁ――」
 呼吸が乱れる。
 明道にはもう気力が残っていない。
 身体は緑光と熱に犯され、体力はほぼすべてもっていかれた。
 意識も視界も時間と共に薄れていく。
 慣れたのか、神経が死んだのか、だいぶ痛みを感じなくなっていた。
 緑光も淡い光り方で、先ほどよりも穏やかだ。
 見ると、いつのまにか出血は止まっていた。
 再出血防止のために、外套を千切って左肩に巻く。
 あとは放っておくことしかできない。
 できることは何もない。
「寝る……死んだら……知らん」
 ゆっくりと立ち上がり、他人の父親のベッドに倒れこもうとして、

――逃げろ。

 頭の中を痛みともなう警告音が駆け抜けた。
 脳に銃弾をねじり込むような痛み。
 最速で意識が覚醒する。
 視界が赤く明滅し眼球が熱く滾る。
 眉間を抑え、数秒静止。
 その後呆れたように小さな笑みを浮かべ、
「警告を出してるのは、俺自身……だな。本能って奴か?」
 正解はわからない。
 しかし、確かに自分自身の内側から警告が発令されていると理解した。
「で、何から逃げろと?」
 警告を素直に受け入れたとして、具体的に何が起きているのかが把握できなければ適切な行動は取れない。

――今日のうな重も美味しかったわね、貴方。
――ああ。力也にも食べさせてやりたかったが、まあ、妻と二人きりで食事をしたい時もある。

 明道の耳にそんな会話が届く。
 頭をかき、
「……ヘンな声が聞こえる。この家に向かっている足音が聞こえる。おいおい、何で俺はそれが死体コ レの家族だって思うんだ? ああもう、意味がわからんが撤退だ!」
 明道は犯行の証拠を残していないか確認し、猟銃、食器が入ったビニール袋等を抱えて会話と反対方向へ移動する。
 庭の窓をそっと開け、家から脱出。
 塀をまたぎ、住宅路へ。
 息を荒げながらも、無音での移動は決して崩さない。
「さて、どう逃げ……れば誰にも見つからないのかも、教えてくれるわけか!」
 頭に響く警告音は、どこへ逃げるべきかを感覚的に掲示してくれる。
 丁寧にも、ハンドバッグの回収を忘れるなという助言つき。
「本当に……第六感というヤツか」
 疑いようがなくなってきていた。
 取るべき行動を本能が通知し、それを確信できるなど、本来ありえないことだ。
 しかしそれを言うならば、明道の左肩で熱を放つ緑の光がすでにありえない。
「殺されそうになって本能が目覚めたのか、もしくは、この緑の光が俺の本能を刺激しているのか……いずれにせよこの第六感。信用できるうちは頼らせてもらう!」
 瀕死の明道からしてみれば、誰にも見つからずに安全地帯へ移動できる事は大変都合が良い。
 信頼できるものがあるのなら信用し、活かすべきだと判断した。
「論理的ではない、感覚的なものに頼るとはな……ああ、だから人間は機械になれないのか」
 頭に響く痛みを忘れるようにつぶやき、警告のままに住宅路を駆け抜ける。
 しばらく走り、肉体の限界を五度ほど悟った頃、第六感が導いた安全地帯に到達する。
「……」
 声が出なかった。だが、溜息は出た。
 明道の目の前に現れた光景は『排水路』。
 かさの浅いにごった水がゆるやかに流れている。
 にごりとともに、油汚れのようなものが見て取れる。
 空き缶が半分突き刺さるようにして水路に埋まってる様を見る限り、清掃などとは無縁の状態で放置されているようだ。
 清掃されていない水路は当然のように、異臭を放つ。
 高さと幅はちょうど一人の人間が進んでいける程。
 つまり、入れということだろう。
「俺の第六感は、少々キチガイめいた感覚を持っているようだ」
 第六感の判断に文句をつけつつ、屈み、水路を進む。
 ある程度進んだところで身を落ち着かせた。
 いつの間にか、痛みは引いていた。
 だが、身体は重く、左腕にいたっては感覚はあるが動かすことができない。
 ぼーっとしていると、急に視界がぐにゃりと曲がった。
 ゴミでもついたのかと、眼鏡を外す。
「?」
 すると、眼鏡をかけたときよりも視界が鮮明になった。
 眼鏡をかけると、歪む。
 外すと、良くなる。
「……あとで考えるとしよう。面倒だ」
 つぶやき、ため息を吐く。
「……惨めで、無様だ」
 そう自嘲する。
 だが、犯行現場にも逃走路にも一切の証拠を残さなかった。
 細かく言えば、証拠になりうるものは極少数残っているが、事件発覚後すぐに猪狩明道を犯人だと断定できる犯行現場にならないように努めた。
「それで十分、及第点だろう。今度こそ……寝る」
 壁を背にしたまま瞼を閉じる。
 猪狩明道は今宵の本業を終え、悪臭漂う水路にて眠りにつく。
 得た資金は紙幣二枚と、小銭だらけの財布四つ。
 金額で言えば、副業の方が儲かった。
「すぅ……すぅ……」
 安らかな寝息。
 左肩。巻かれた布の下では、なおも緑光が淡い光を放っていた。
 肩はただ焼かれただけでなく、そこに奇妙な紋様をのこしていた。
 訴えるように強く。
 叫ぶように雄々しく。






序章:銀色の刻へ
第二章;各人各様へ
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