序章 銀色の刻

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第一章 副業/本業/外道





============= 序章 銀色の刻 =============





――より楽しい明日の追求。それこそが人生だ。





 少年が小学生の時のこと。
 平凡な毎日の中で『楽しかった』と強く感じた日があった。
 だから明日は今日よりも楽しく生きようと思った。
 目標どおり、明日を楽しく生きることができた。
 なら、明後日はもっと楽しく生きられるはずだと思った。
 明後日も楽しく生きることができたから、明々後日も、今週も、来週も、来月も、再来月も、半年後も、来年も……毎日加速するように楽しく生きられると思った。
 しかし一ヵ月後。
 加速するはずだった楽しい日々は減速するように、昨日の楽しさを越えることが難しくなっていった。
 なぜだろうと考え、
 遊びの幅を広げたり、
 友達を増やしたり、
 本を読んだり、
 大人と話したりと、
 未知のモノ、知らないモノに手を出すことを心掛けた。
 が、数ヶ月で限界が訪れた。
 新しい物事に手を出すことは確かに新鮮だったが、少年はまだ小学生だ。
 考えつく遊び、
 作れる友達、
 理解できる本の内容、
 話を合わせてくれる大人、
 すべてにおいて幅、数、質に限界があった。
 しかし、少年は挫けず、限界を超えるまで愚直な行動と思考をしつこく重ねた。
 それだけで大抵の限界は突破できた。
 限界に挑戦する中で『苦労をともなって何かを為す楽しさ』のようなものを知った。
 それは達成感というものらしく、三ヶ月はそれにハマッた。
 が、三ヶ月と一日目には飽きてしまった。
 より楽しい明日を求める道は険しいのだと、改めて思った。
 だが、限界に挑戦をしたことは無駄ではなかった。
 ひとつ、より楽しい明日に届くための根幹となる考え方を手に入れた。
 それは『何か一つの難易度:一〇〇』に挑むよりも、『ありとあらゆる難易度:二〇以下』に触れる方が楽しいということだ。
 例えば『算数』は楽に出来たが、中学レベルの『数学』になると少年にはさっぱりだった。
 時間をかければなんとか理解できたが、その間、別の簡単な難易度モ ノをひとつ突破するほうがよっぽど意味があると思った。
 達成感の心地良さは捨てがたいが、それよりも他の『楽しい』を複数手に入れるほうがお得だったのだ。
 それ以来『楽しいに至るまでの労力』や『手に入る楽しさ』といったものをその時々で秤にかけ、『効率的にほどよい質と量の楽しさ』を求めるようになった。
 もちろん、楽しさの追求に『こうしなければならない』というルールはない。
 最終的に手に入る楽しさの質が莫大ならば『難易度:九〇』に挑んだ。
 逆に、気分的に安価な楽しさが欲しければ『難易度:一』の物事に幅広く手をつけた。
 他人から見れば極端なのか柔軟なのかよくわからない子供だっただろう。
 しかし、少年の中では、その時欲しいと思った楽しさを最速最短最効率で手に入れるという、少年なりの一貫した考え方を貫き通していた。
 このようにして、少年は効率重視のより楽しい明日を構築するに至った。
 だが、それでも少年は満足できなかった。
 確かに今日という日は嘘偽りなく最高に楽しい。
 だけど、昨日よりもプラス〇.〇一しか楽しくなっていない。
 考えうる最高効率の行動を取っている。
 なぜもっと楽しくならないのかと考えて、考えて、考えた結果、

――そうか、他人だ! 俺じゃない、俺以外の人! みんながもっと楽しければ、雰囲気とか空気が明るくなって楽しくなるかもだ!

 そういう発想に至った。
 今までは自分が楽しく生きるために、自分に直接還元される楽しさというものを突き詰めてきた。
 だからこそ、未知の領域、他人から与えられる楽しさというものを考えた。

――俺は一人だけど、俺以外俺以外・ ・ ・はたくさんいるんだ! だったら、他の人が世の中を楽しくしてくれれば、俺はもっと楽しく生きられるかもしれない!

 少年は自分にとって面白い人を探すという視点で世の中全体を見回してみた。
 もっとも面白いと感じたのは『一生懸命頑張る人』だった。
 ここでいう面白いは『オモシロオカシイ』の意味ではなく、心をひかれ、心底応援したくなる、生きることをより素晴らしいと感じさせてくれる人を指している。
 正論で戦う政治家、経済好転を目指す評論家、医療問題の改善を訴える医師、人のために働く民間企業、己の限界に挑み続けるアスリート、人の心を熱く強く豊かにするエンターテイナー……例をあげればきりがないほどに『何か一つの難易度:一〇〇』に挑み、理想と戦う人々がいた。
 その姿、その在り方を美しいと感じた。
 焦がれ、応援したいと、何か自分にできることはないかと思うほどに、戦う勇者ヒ ト達に感動した。
 
――他人、スゲェ……っ!!!

 少年は思い直した。
 自分もすでに『より楽しい明日を目指すことにおいて、難易度:一〇〇』を目指していたのだと。
 特化している人達は『難易度:一〇一』を、それよりさらに高い難易度を目指して戦い続けているのだと。
 自分にもまだできることはある。
 まだ楽しく生きることができるはずなのだ。
 懸命に頑張る人の姿に心と魂が揺さぶられたのならば、より楽しい明日を求めて戦わないわけにはいかない。

――で、何をしようか?

 懸命な人達が世の中を素晴らしいものにしてくれている。
 自分はその姿にチカラを貰った。
 貰ったチカラでより楽しい明日に届くことができた。

――さらに楽しい明日を手に入れるためには、懸命な人がより素晴らしく生きられるように『何かをする』ことが必要なのかな?

 嘘偽りなく、懸命な人達のために『何かをしたい』と思った。
 何かをすることで、自分がもっと楽しく生きられる確信があった。
 だが、何をしたらいいかわからなかった。
 考えても考えても、自分に出来ることはなかった。
 だからもっと考えて、考えて、考え抜いた。
 そして小学校を卒業した日、ふと思い浮かんだ。

――つまらない人間がいなくなれば、世の中は素晴らしいもので満ち溢れるのかな?
 
 他人を排除する。そういう考え方をしてみた。
 例えば雨の日に傘を盗む奴がいる。
 スーパーで万引きする奴がいる。
 夜中に暴走する奴がいる。
 少年はその手の輩は排除さつがいするべきだと思った。
 楽しいものを追い求めてきた少年にとって、そんな『殺しても何の問題もないつ ま ら な い人間が生きている』ことは大きな疑問だった。
 なぜ排除さつがいしないのか、できないのかがわからなかった。
 小学校六年間、何度考えても答えが見つからなかった。
 結果、排除しても問題ない人間のことを害悪ク ズと呼び、無視し続けて来た。

――中学生になったし、もう一度考え直してみよう。

 世の中には無限に害悪ク ズがいる。
 他人の心を踏みにじり、
 他人の身体を弄び、
 他人の財産を貪り尽くす。
 何一つ面白い事をしない、何一つ面白い物を生まない、取るに足らない我欲のために迷惑を撒き散らす害悪。
 無限と表現するほどに、正義のない、理念のない、酌量するべき叙情など何一つない、本当に腐りきった害悪ク ズがこの世にはいる。
 殺人、恐喝、強盗、詐欺、強姦、放火、器物損壊、通貨偽造、電子計算機損壊等業務妨害……罪状を数えることすら疲れるほどに、害悪ク ズは不徳を為す。
 なぜか害悪ク ズは絶滅しない。
 なぜか見飽きるほどに目につく。

――でも、自分に害がないから捨て置いた。楽しくないから無視してきた。

 鬱陶しいと思ったことはある。
 死んで欲しいと思ったこともある。
 なんなら自分が殺してやろうかと思ったことさえある。
 だが、正義感のようなもので害悪ク ズを殺しても、少年には何の得もない。
 ただ殺人犯になるだけだ。
 だから何もしなかった。
 正義などとというものは、少年にとってなんら行動する動機にはなりえなかった。
 動く理由がない以上、動く必要はない。
 無視するのが一番良い、相手にしないほうが楽しい。
 そう考えてきた。

――だが、それでいいのだろうか?
  害悪ク ズはいずれ、素敵で楽しいこの世界を面白くないものにしてしまうのではないだろうか?
  面白いこの世をつまらなくしてしまう害悪ク ズは取り除かれるべきではないだろうか?

 しかし、世界、国、県、市、町、村、家庭……少年が調べる限りで、マニュアル化された害悪ク ズ排除さつがいする仕組みシステムは存在しなかった。
 当然と言えば当然。
 害悪ク ズの定義は人それぞれで、一概に断定できるものではない。
 出来るのは『犯し終えた迷惑な行動』が『どれだけ迷惑だったか』を判断して処分を下すことだけだ。
 あらかじめ『あいつは害悪ク ズだから排除しよう』ということはできない。
 処分を下す際に『どれほど害悪ク ズなのか』が考慮されるが、優先順位は『具体的にどの法を犯したか』の方が高い。
 そして下される処分は、禁固、罰金、懲役のようなものが大半で、死刑はめったにない。
 少年はそこが気に食わなかった。
『死刑』のハードルが高いことが、どうにも納得できなかった。
 少年が特に納得できなかったもののひとつに、小学六年生の時に市内で起きた『少女連続準強姦事件』というものがある。
 手口はすべて同じ。犯人は少女に睡眠薬を飲ませ、昏睡させてから猥褻行為に及んだ。
 暴行や脅迫を行うことはなく、昏睡させて姦淫を行ったので、強姦ではなく準強姦と呼ばれた。
 犯人は自分なりの美学を持っていたのか、『必ず少女を眠らせてから姦淫に及び、その光景を少女の携帯電話で撮影し、登録されている全ての宛先に写真を添付したメールを送信する』という行動を取っていた。
 恥をかかせることが目的だったのか、脅迫を行い被害者に金銭や再度姦淫を迫るようなことはなく、誰一人、被害者を殺さなかった。
 だが、精神的には殺されたようなものだろう。
 自分が犯されたという事実を知り合い全員が知っている。
 心の傷は、常人には理解できないほどに深いはずだ。
 精神的な苦痛に耐え切れず、被害者二十九名のうち七名が自殺を図った。
 また、七名のうち三名は、家庭が貧しかったため、引っ越すなどの事件を忘れるための手段を考えたが実行できずに自殺した。
 犯人は三十人目の被害者を出す前に逮捕された。
 動機は『一番欲情できるシチュエーションで性処理をしただけ』とのことだった。
 これは少年が定義するところの害悪ク ズに完全一致、完璧に該当する。
 我欲のために害を撒き散らし、迷惑のみを振りまく、生かしているメリットがわからない者だった。
 もちろん、それはあくまで少年の考えでしかなく、テレビのコメンテーターの中には『犯人の家庭には問題があったはずだ』『犯人の心情、事情を慮るべきだ』『犯人はまだ若いんだから、未来がある。刑を重くするべきではない』という違う見方、意見をする者もいた。
 少年にとってその考え方は受け入れられるものではなかったが、冷静に流した。
 少年が冷静でいられたのは『犯人は死刑になる』と確信していたからだった。
 女の子にひどいことをして、結果自殺にまで追い込んだ犯人が、法の下で裁かれないなどありえないと信じていた。
 それゆえ、誰が犯人をかばうような事を言っても、呆れて笑うことが出来た。
 最終判決は少年が中学二年生の時に出た。
 懲役三十年、決して死刑などではなかった。
 てっきり死刑になると思っていた少年からすれば、それは予想外の出来事。
 気になって調べてみたところ、犯人が行ったのはあくまで『少女を眠らせて犯し、その一部始終を写真にとって、少女の知り合いに写メを送っただけ』で、殺人をしたわけではない。
 強姦は性犯罪の中でもっとも重い罪とされているが、死刑は犯人自らが被害者を死に至らしめた場合でないと適用されないようだった。
 被害者の女の子が処女だった場合、処女膜を破ったら強姦致傷という罪にもなり得るらしいが、それだけで死刑になったという前例を見つけることはできなかった。
 中学二年生ししゅんきということもあり、少年は処女の意味などには興味も関心もあって当たり前のように知っていた。
 周りの女子にとって、とても大事なものなのだと思っていた。
 だからなおさら死刑にしない意味がわからなかった。
 
――間違いなく心を殺しているのに、なんで犯人は死刑にならないんだ?

 疑問に思い、強姦に関する罪で死刑になった人がいるのかどうかを調べてみた。
 県の図書館にあった資料などを見る限り、強姦で死刑になったのはいずれも殺人を犯した強盗強姦罪、強姦致死傷罪、強姦罪で、数える程度しかなかった。
 この事件は眠らせて犯しただけの準強姦。
 処女を奪っただけの、致ではない――死に至ってない――強姦致
 これでは死刑にできない。他の罪とあわせても懲役が伸びるだけで死刑にはできない。いや、しない・ ・ ・というのが現状の法律ルールなのだと、少年は把握した。
 それがこの国を作ってきた人たちが定めた、強姦という罪への考え方なのだろうと、悔しく思った。
 せめてもっと重い罪を科して欲しいと自分一人が思っても、国という大きな存在が決めたルールなのだから、抗いようがない。
 考え方が、解釈が根本から違うのだろう。
 だが、この違いに対する憤りのようなものがなければ、世の中はより美しい姿を目指すことはなかったかもしれない。
 世の中は絶えず問題を抱えていて、常に改善されて今がある。
 もしかしたら、強姦罪への疑問を自分以外にも抱えている人がいるかもしれない。
 同じ疑問を持つ人が多くなれば、いつかきっと、改善されるだろう。
 少年はそう結論づけた。
 だが、ふと、

――いつか強姦罪に死刑が適用されるようになったとしても、罪を犯し終えたあの性犯罪者が『今』死刑になることはない。

 不満の根本に辿り着いた。

――そうか。俺は、害悪ク ズとわかった段階で、そいつに死んで欲しいんだ。

 法や倫理といったものはどうでもよく、食欲や性欲のような欲求で害悪ク ズに死んで欲しい。
 懸命な人がより素晴らしく生きるために害悪ク ズを排除できたら良いのではないか、というのが思考のスタートだったが、それとは別に、自分自身にとっても不愉快だから害悪ク ズに消えて欲しいというゴールに辿り着いた。
 徹底的に害悪ク ズを無視してきたがゆえに、単純な事に気づいていなかった。
 より楽しい明日を目指す少年にとって、不愉快たる害悪ク ズを排除することは自分自身にとってもメリットがあることだったのだ。
 ならば、自分の手で害悪ク ズ排除さつがいするのはどうだろうかと考えてみた。
 そもそも、法の中身を一言一句完全に暗記して意識して生活している人間などいないのだから、

 起きた出来事に対し、   /害悪ク ズを発見したら、
 為すべき行動を判断し、  /殺すか否かを裁定し、
 結果に至れば良い。    /有害ならば排除する。

 深く考えずに、たったそれだけのシンプルなスタンスで良いのではないかと、少年は思った。
 それはまぎれもなく殺人で、強姦よりも罪は重い。
 だが事実として、死ぬべき者が死に、生きるべき者に危害が加わらないなら、そんな世の中は自分により楽しい明日を提供してくれるだろう。
 
――自分が本当にそうすべきだと思ったことを貫くのなら、例え法からズレたとしても間違いじゃないはずだ。

 そう考えた時、少年は『準強姦犯の事情を慮るべきだ』という見方、考え方を素直に納得することができた。
 少女を眠らせて犯すことで、犯人が『より楽しい明日』を手に入れる事ができるのならば、その部分に関して、犯人は自分と一致する。
 自身の欲求に素直であるという点で、全ての人間ヒ トは等しく同じ動物だ。
 ただ欲求と、ソレをどうやって満たすのかが違うだけ。

――そうか、これが人の違いか。どうりで世の中争いが絶えないわけだ。

 もちろん、少年にとってくだんの準強姦犯は殺すべき害悪ク ズでしかない。
 犯人はただ性欲に身を任せただけ。
 そんな害悪ク ズが減るに越したことはない。
 この世に蔓延はびこ害悪ク ズを殺して何が悪いというのだ。
 故に『害悪排除ク ズ ご ろ し』――それこそが世の中の面白さを損なわない、最も効率的な害悪ク ズへの対処方法なのだという結論に少年は至った。 
 自分一人が道を外すことでこの世の面白さ、素晴らしさが穢れないのであれば、自分が外道ク ズに身を落とすのも悪くない。

――皆の変わりに、俺が害悪排除ク ズ ご ろ しを代行しよう。
 
 そう考えた。
 そして考えるだけにとどめた。
 ソレを実行するのは狂っている。
 コレは考えるだけにどとめておくべき類のことだ。

――害悪ク ズを無視したって、俺の、月峰時夜つきみねときや日常たのしいは何ひとつ壊れない。

 他人のために、自ら外道に成り果てる理由はない。
 自分の楽しさは十二分に確保できている。
 他人のために行動するなんて、そんな自己犠牲は出来ない。
 それが中学三年間で辿り着いた、月峰時夜の結論だった。
 もう中学校を卒業するのだから、『害悪を排除する』などということを考えるのも卒業するべきだと思い、考えることをやめた。
 人間らしく、ごく普通の立ち回りで生きることを選んだ。
 もとより、少年にとって一番大事なことは、より楽しい明日を目指して生きることだ。
 懸命な人が健やかに生きることができれば世の中がもっと面白くなると思った。
 その結果、自分がもっと楽しく生きれると思った。
 そのために害悪を排除したら良いと思った。
 だが、害悪ク ズを排除しなくとも、少年の毎日が楽しさで満ちたりていることに変わりはない。

――なら、自分ために自分の『楽しい』を求めるだけ。今までのやり方で十分だ。

 月峰時夜は普通の高校生になる道を選んだ。
 







 時は経過し、月峰時夜は高校二年生になった。
 二年生が始まって二ヶ月と少々。
 本日より着用許可が降りた夏服を着て、
「夏服最高ぅ!」
 などと喜びながら、放課後、市内中心地である豊跡とよあと駅前に来ていた。
 駅から見た概観は大きく分けて三つ。

 左手:商店街やデパートなどの買い物エリア。
 正面:会社ビル郡、銀行などのビジネスエリア。
 右手:県庁、図書館、古城などの公共エリア。

 時夜は買い物エリアの商店街を闊歩していた。
「ゲーセンで格ゲーするもよし、本屋で漫画を買うもよし、服屋で服を買うもよし、さて、何すっかなー!」
 自分の楽しさだけを求めると決めた彼にとって、悩みを切り捨てた日々は愉悦の限りであった。
 元々明るく行動派だったため、交友関係も広ければ、趣味の幅も、遊びの幅も広い。
 中学時代に彼が『害悪排除ク ズ ご ろ し』などという思想を持とうとしていたことさえ、誰一人知る者はいない。
 加速する幸福と快楽は、右肩上がりに無限に伸びていく。
 少年は極楽気分で意味もなく、ただ楽しむためだけに商店街をぶらぶらと歩き回る。
 ふと携帯電話を開き、現在の時刻を確認する。
 画面のデジタル時計は午後七時を表示していた。
「よーし、メシだメシ!」
 商店街飲食店エリアに入り、迷わず一軒のラーメン屋に入る。
「オヤジ、今度の麻雀で俺の勝利が確定してっから、今日はチャーシュー麺大盛り半額な!」
「ざけんなクソガキ。オレが役満出すから二倍払ってけ!」
 いつものようにそんなやり取りを行って、夕飯を快適に過ごす。
 その店、その店主とだけではない。
 色んな場所で色んなノリを楽しみ、色んな人と知り合い、毎日をより明るく、楽しく進化させていく。
 それが月峰時夜の極楽向上循環式ハッピースパイラル
 小学校時代に築き上げた、彼だけに適用される絶対理論。
 頼り頼られ、教え教えられ、守り守られ、相互扶助、共存繁栄の中でより楽しい明日を手に入れて人生を謳歌する。
 今日という日が昨日よりも〇.〇〇一以上は楽しくなっていることに満足して、少年はこの日常とこの世界に感謝した。



――ところで、今よりもっと楽しい明日ってあんのかな?






 駅前、午後十一時半。
 各商店はとうに営業を終了し、人も片手で数えられるくらいになっていた。
 時夜は意味もなく当たりをうろつき、暇を楽しむ。
 駅周辺を、何度も歩いた道々を散策する。
 日課のようなものだ。
 用もなく、あてもなく、意味もなく、ただなんとなく駅前に来て、歩いて、帰る。
 たまに本や服、ゲームを買ったり、少し離れた位置にある古城を見たりして帰る。
 自分はこの場所が好きなのだろう。時夜はそう理由付けていた。
 楽しいと感じているのだから、きっとそれがより楽しい明日に繋がることなのだろう。
 自分は満たされている。
 美味しいものを食べ、適度に知り合いにちょっかいを出して、ぶらぶらとおだやかな時を過ごす。
 不満などない。
 何も考えずに、今日という日も平和のまま、楽しいままタイムリミットまで駅周辺を散策すれば良い。
 そう思っていた。
「……さ、ちょっとだけ、……っと一緒に何か食べようってだけじゃん?」
 ふと、耳に不快感のある音が届いた。
 その方角を見やり、次に踏み出す一歩をそちらに向ける。
 建物と建物の間。
 狭い路地裏。
 通路幅二メートル。
 奥行きは十メートルで行き止まり。
「そのお誘いを断ってるんだけどなぁ。もう帰りたいし。ファミレスで寝すぎたせいでこんな時間だし。友達に置いてかれちゃったし。ご飯食べたからもう食べる必要ないし」
「そんなこといわずにさぁ」
 どうやらナンパの現場らしい。
 高校生らしき男子が六人と女子が一人。
 六人で一人を囲むようにしてアプローチをかけている。
「私一人でそっちが六人じゃバランスが悪いよ」
 女子生徒は壁を背に答える。
 明らかに嫌そうだ。
 少しハネ気味の髪をかきながら溜息をついている。
 男子生徒達はそんな女子生徒の気持ちなど知ったことではないというように、執拗にデートを強要する。
 時夜はそのやり取りを遠くから眺め、

――運が悪かったんだろうな。

 と、心で冷たく吐き捨てた。
 時夜には、だらしのない口調で誘いをかける男子生徒達がこのあとどういう行動に出るか手に取るようにわかった。
 男子生徒たちはプログラムされたように、性欲に忠実に、女子生徒に害を為すだろう。
 現在目の前で起きているやり取りは、まだ事が荒立っていないだけ。

――ま、俺には関係な……いとは言い切れないのか。

 いつものように・ ・ ・ ・ ・ ・ ・、よくみかける光景を視界から切り離して立ち去ろうとした。
 だが、女子生徒の制服が時夜と同じ学校の夏服モ ノだったことに気づき、とどまった。
 女子生徒の名前は知らない。暗闇でくっきりは見えないが、知っている顔と声でないことは確かだ。
 つながりは同じ学校と言うだけ。ただそれだけの縁。
 無視しても問題はない。
 むしろ、今まで何度も捨て置いてきた縁。

――見て見ぬ振りは、これを含めれば人生通算一〇〇〇回目か。四桁……。

 時夜の脳裏に、見捨ててきた映像が蘇る。
 暴行、恐喝、窃盗、盗撮、猥褻、侮辱、詐欺、隠蔽、差別……。
 同じような害悪ク ズが、同じようなシチュエーションで何度も何度も罪を重ねてきた。
 その都度、助ける理由がないから無視してきた。より楽しい明日を目指す自分にとって、そんな光景は無視と遮断さえすれば何の害もなかった。
 所詮ミクロの出来事。
 他人のために自分を犠牲にするやり方では、自分がより楽しい明日に至ることができないから行動しなかった。
 だが、さすがに一〇〇〇回も見過ごしたとあらば、もう二度と『より楽しい明日』が手に入らないのではないかと、自分にそれを求める資格はないのではないかと思い、立ち止まった。
 時夜は遠くからナンパの様子を眺めつつ、考え直すことにした。
「いやホント、帰らせてくれないかな?」
 逃げようとしても逃がしてもらえない状況で、少女はめんどくさそうに言葉を投げる。
「大丈夫だって、朝帰りでも別にいーじゃん。オレら全然気にしねーし」
 少女の要望は相変わらず男子生徒達に届かない。
「いーじゃん、いーじゃぁ~ん。うへへ」
 男子生徒の一人が薄気味悪い笑みを浮かべ、鼻の下を伸ばし、少女に近寄っていく。
 釣られたように、周りの男子生徒達も動き出す。
 視線を女子生徒のふくよかな胸元に向け、一歩一歩にじりよる。
「はぁ……ついてないなぁ。せめて誰か一人、好みのタイプでもいればいいのに。そろいもそろってDQNばかり」
「どきゅ……? よくわかんねーけど、俺たちとズコズコパンパンしよーぜ。つーか、させろよ」
 男子生徒は頬を緩め、伸びた鼻下をさらに伸ばし、女子生徒の胸に向けて手を伸ばす。
 指をにぎにぎさせながら少女の膨らみを求めた手は、
「……うぜぇんだよ害悪ク ズ
 時夜の手に進路を防がれた。
「な、なんだお前!?」
 手首をつかまれた男子生徒がおののく。
 周りの男子生徒達も一歩引いた。
「俺にもよくわかんねえよ……っと!」
 時夜は女子生徒をかばうように立ち、そのまま男子生徒の喉元めがけて拳をめり込ませた。
 小さな嗚咽が漏れる。
 男子生徒がよろけたところを狙い、頭部めがけて膝蹴りを入れる。
 そのまま髪を掴んで地面に引き落とし、首を踏み潰そうとして、
「ざけんな!」
 周りの男子生徒が時夜を殴った。
 時夜が仰け反ったところを狙い、別の男子生徒が落ちていた石を投げつける。
 手のひらサイズの石は見事時夜の頭に命中し、出血するほどの損傷を与えた。
「今だ、叩き込めー!!!」
 そこから反撃する猶予もなく、時夜は男子生徒五人から一方的な暴行を受けた。
 髪をつかまれ、反撃する間もなく、殴られ、蹴られた。
 少しして、最初にのされた一人が起き上がり暴行に加わる。
 一対六。勝ち目はない。

――ってアレ? 俺いつのまにでしゃばった? つーか、なんで喧嘩売ったんだ?

 自分がなぜそうしたのかがわからずに、月峰時夜の脳内は疑問符で埋め尽くされた。
 意識と視界が高速で薄れていく。

――痛ぇ、楽しくねぇ。








 男子生徒六人による月峰時夜への暴行は、およそ七分ほど続いた。
 最初に喉を殴られ膝蹴りを受けた生徒は心底腹を立てており、何度も何度も時夜を殴った。
「カス! ボケ! バカ! サル! ブタ! ザコ! キチガイ!」
 カタカナの罵倒を並べ立て、執拗に時夜を殴り続ける。
 女子生徒はいつのまにかいなくなっていた。
 時夜は両腕をはがいじめにされたまま、かすれそうな意識の中で、

――俺、何やってんだ?

 誰とも知らない人のために行動し、痛い目を見ている。
 今までのように、いつものように、普通の人と同じように・ ・ ・ ・ ・女子生徒を見捨てればよかったはずだ。
 何気ない散策の中で、幾度となく同じような現場を見捨ててきた。
 何度頭に選択肢を浮かべ、何度「助けても自分にメリットがない」と逃げてきたことか。
 それが一〇〇〇回。四桁に達したからなんだというのだ。
 自分が千回ならば、自分より年齢を経た人間は、一万回、十万回、百万回と害悪ク ズを見過ごしている。
 それでも世の中は回っている。
 それでも生活は成り立っている。
 それでも月峰時夜は楽しく生きている。
 
――他人のために自分が戦うなんて、そんなリスクを背負う理由が、信念が、俺にはない。

 中学を卒業するときに辿り着いた答え。
 辿り着いたのに、なぜか、未だその答えに抗っている。
 でも、殴られる中で気づいた。

――俺は『より楽しい明日』のために、違う答え・ ・ ・ ・を求めてる。

 だが、答えに届く言葉がない。
 答えに届く理念がない。
 取るべき行動だけは――『害悪排除ク ズ ご ろ し』という方法だけはわかっている。
 だが、どういう理念でソレをするかが定まらない。
 壊れない理論武装がない。
 魂の真髄に深く宿る、鉄の意志と呼ぶべきモノがない。
 そういったものがなければ、『害悪排除ク ズ ご ろ し』には踏み込めない。
 中途半端な思想で害悪ク ズは殺せない。
 やることは人殺しだ。
 踏み外すと決めたなら、もう引き帰す事が出来ない。
 引き返したところで、待つのは死刑、それだけだ。
 だからこそ、揺るがない信念がなければならない。

――でもそれがない・ ・んだ。

 より楽しい明日を目指して生きてきた。
 そんな目標を心に掲げ、求め、欲すくせに、答えまで見えているくせに、今本当にすべきだと思った行動を取ってない。
 効率的に最高の楽しさを求めていた頃の自分がいつの間にかいなくなっている。安価で質の低い、今求めてない楽しさで満足できるように、自分の心にうそぶき続けている。 

――何が、より楽しい明日だ。欲しいくせに、いつのまにか諦めてんじゃねえか……。

 何がきっかけだったのか、心は怠惰に溺れていた。
 いつの間にか、難易度の高いモノから目を背けるようになっていた。
 到達不可能なら諦めれば良い。
 実現不可能なら求めなければ良い。
 妥協の先には誰もが手にする安い幸せが待っている。
 この世で他人がどうなろうが、自分の楽しい毎日は壊れない。
 例え〇.〇〇〇一ずつしか楽しくならない毎日になったとしても、それの何が悪いというのだ。

――情けねぇ……。

 〇.〇〇〇一。
 そんなわずかなプラスで『昨日より楽しくなっている。自分は楽しく生きれている』などと思うようになっていた。
 毎日一〇〇ずつ楽しくしようと全力だった小学校時代あのころの自分は、どこでいなくなってしまったのだろうか。
 成長して、常識が身についただけで、どうしてこうも心はヘコたれてしまったのだろうか。
 わからない。

――心に嘘をついてたって、俺は本当に楽しく生きれてる。
  なのにどうして、それを捨てるような生き方がしたいんだ。
  『害悪排除ク ズ ご ろ し』をすることでより楽しく生きれると、なんで俺の心は確信してるんだ。

 悩むうちに、殴られていることすら忘れ、思考に没頭した。
 きっとこのまま殴られ続ければ、思考に埋没したまま殺されるだろう。
 理念を手にしないまま、思想こたえを秘めて死ぬのだろう。

――つーか、なんであのを助けようとしたんだろうな。

 ふと、そんなことを思った。
 あったこともない、話したこともない、ただ学校が同じなだけの女子生徒。
 思い出してみると、ちょっと可愛かったような気がする。
 スタイルもよかった。
 ハネ気味の髪も好みだった。
 叶うのなら、あの豊かな胸に顔をうずめてみたかったかもしれない。

――どうせ死ぬなら最後に痴漢のひとつくらい……なんだ、俺も害悪ク ズなんじゃねーか。

 最後に思うことがエロで情けないと思った。
 だが、納得した。
 自分が害悪ク ズであるならば、『害悪排除ク ズ ご ろ し』に踏み出せなかったことに納得が行く。
 自分という人間がより楽しい明日を求めるだけの、ただ我欲にまみれた害悪ク ズであるならば、思想を為すための理念を手に入れる事ができなくて当然だ。
 
――死ねよ、クズ

 その宣言に沿うように、拳と脚が時夜を襲う。
 もはや体の感覚は残っていない。
「死ね! このクズ野郎!!!」
 月峰時夜を殺す最後の拳撃が繰り出される。
 目を開けて、それを見つめることにした。
 コマ送りで近づいてくる拳。
 逆上を込めた全身全霊の悪意は、速度を上げて時夜の絶命を渇望し、



――"……空…固定…止"



 銀色の線によって分断された。
 切断された腕がを撒き散らしながら宙へ浮く。 
 腕をなくした男子生徒の表情は怒りに満ちたまま。
 今から腕が飛んだことに驚愕し、痛みに悲鳴をあげる姿が予測される。
 が、次に奔った銀線に首を断たれ、叶うことはなかった。
 周囲の男性生徒達は驚きのあまりか、それぞれその場で凍り付いていた。
 それとは対照的に、銀の滑走は勢いを強め、時夜を囲う残り五体へ向けて飛翔する。
 銀色の直線と曲線が中空に引かれ、そのたびにヒトの体が裂けていく。
 血飛沫七つ。三人殺されたところで、時夜はようやく銀の担い手と、その手に握られた片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを視認した。
 担い手は孤高ひとり。淡々と、されど活き活きと、線を描き死を創る。
 線が重ねられる度に醜い血液が夜を汚す。
 だがそれゆえに、銀は闇夜コ コ
で絶美を主張する。
 標的に悲鳴は許されない。
 この殺人において、標的に許されたのは『死』のみだ。
 主役の殺劇に狂いはない。ならば畜生わきやくは舞台を映えさせるただそれだけのために死ぬのが道理である。
 織り成される銀撃は絶対不可避。
 一挙一動は機械の如く、洗練された軌道に沿って敵を斬殺する。
 人体六個の断命はわずか三秒で為し遂げられた。
 まばたきひとつするより先に、月峰時夜は窮地を救われた。
 四秒まではまだ遠い。
 吹き上がった血液が地面に降り注がれるまでにはまだ時間がある。
 余韻と呼ぶべき殺人の残滓。
 銀の担い手たる演者しょうじょは女神のように静謐せいひつな笑みを浮かべ、場にいっそうの風情をもたらした。
 少年の頬を一滴の涙が伝う。

――あぁ……きっと、この光景ありかたこそが。

 急緩整った銀色のとき。それは命の尊さを忘れる芸術さつじん
 再演にチケットがいるのなら、喜んで差し出そうと思った。
 意識は彼方に持っていかれ、湧き熾る感情が脳を焦がす。

――超、かっけー。

 子供のような感想。
 だが、それ以外に言いようがなかった。
 銀色の殺人が魂を惹きつけた。
 あの表情、あの動作、あの強さ。
 楽しそうで、機械的で、圧倒的。
 憧れなければ嘘だと思った。
「キミのおかげで楽に殺せたよ。ありがと」
 優しい声をふりかけられる。
 時夜はそれに答えようとして、声が出ず、意識の限界を迎える。
「寝てていいよ。キミの体は私が安全なとこまで運んでおくから」
 その声音に安心したように、時夜は瞼の力を抜いた。
 ただひとつ、見知らぬ少女へ焦がれながら、月峰時夜の意識は暗転した。
「おやすみ、勇者くん」
 殺人劇は、その一幕を優雅に閉じた。









第一章:副業/本業/外道へ
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