第四章 思想修正

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第三章 機械の如く
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===== 幕間 目撃 =====




 吸坂家。自室。
「また人を殺したんですね」
 火憐はベッドに仰向けになってつぶやいた。
「月峰君と悠里はどういった思想で人を殺したんだろう?」
 これで二度目。
 昨日と今日、火憐は月峰時夜と魅刻悠里が人を殺める姿を目撃してしまった。
 一度目は学校裏手、豊跡タウンの裏側駐車場。
 二度目は田舎のとある民家。
美術室のも合わせると・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・と、合計三回」
 一度目の犯行を見た日。その日は昼休みにも校内で人が殺されているのを発見してしまった。
 午前中の授業で美術室に忘れ物した。
 昼休みが終わるまであと五分という時に気づき、取りに行った。
 すると美術室前、男子トイレのドアが壊れていて、中から赤い液体が流れていた。
 その奥で男子生徒が死んでいた。胸を刺され、右手を切断されて口に入れ込まれているという猟奇的な光景に吐きそうになった。
 通報した後、刑事の事情聴取に対して答える際も、その光景が脳裏に蘇り何度も吐きそうになった。
 精神的に疲れ、保健室で仮眠を取らせてもらった。
 放課後もすぐに帰る気になれず、学校の裏門によりかかり、空を眺めて長い時間を過ごした。
 ようやく帰ろうと思い、立ち上がったのが午後十時。
 裏門から山道を下り、豊跡タウンの裏側駐車場の自販機でジュースを買おうとしていたら、視界の隅に赤いナニかが映った。
 遠目からでも十分に把握できた。昼に見た赤い、人間の血液。
 夜闇の中、美しい銀の線が一本奔り、人が死んだ。
 担い手は一人、見知った親友だった。
 傍らに一人、見知った友人がいた。
 到底、人を殺すとは思っておらず、声が出なかった。
 殺人が終わり、二人は去っていった。
 火憐は最後まで話しかけられず、膝を突いて放心状態になっていた。
 しばらくして鞄から携帯電話を取り出し、一一〇番通報をした。

――また、見てしまいました。

 通報し、昼間話した刑事を相手に、違う殺人現場の第一発見者として答えた。
 殺人を見たショックで、知り合いが人殺しをしていたという衝撃で、上手く話せなかった。
 月峰時夜と魅刻悠里の名前を出せず、ただ、人が死んでいたことだけを伝えた。
 精神的に参り過ぎていたため、聞き取りはまた明日、学校で、ということになった。
 翌日――つまりは今日。学校で事情聴取が行われた。
 たった数日間で豊跡高校の男子生徒が七人も殺されたということで、急遽全校生徒を対象に事情聴取が行われることになった。
 火憐は昼と晩、二件の殺人事件の第一発見者になってしまったため、朝から別室で聴取が行われた。
 思い出したくない光景を何度も思い出しながら、捜査の力になれればと思い、答えた。
 月峰時夜と魅刻悠里の犯行現場を見たこと以外は、全て正直に、見たことをそのまま伝えた。
 長い事情聴取の後は、一人、体育座りでグラウンドから空を眺めた。
 その後、文具を買って帰ろうと思い、学校裏手のショッピングモール、豊跡タウンに向かった。

――百均でクマさんの消しゴムを買おうと思ってただけなのに……。

 火憐が豊跡タウンに着き、冷房の効いた施設内に入ると、男性の怒鳴り声がした。
 何事かと思い、声がした方、百円均一に向かった。
 到着したときには騒ぎが治まっていて、周りの客は何事もなかったかのように自分の買い物をしていた。
 気にはなったが、疲れているときに変なものを見ずに済んだと思った。
 自分の用事、消しゴムを買いに来たことを思い出し、文具コーナーに向かうと、

――あのときの月峰君……怖かった。

 文具コーナーには、見知ったふたつの顔があった。
 月峰時夜と魅刻悠里。
 二人を見て、思わず隠れた。
 商品棚の隙間から二人の顔をのぞいた。
 時夜の顔は、普段の姿からは想像できないほどに無表情で機械的だった。
 反対に、悠里はとても優しい顔をしていた。
 二人はバス停に向かった。
 火憐は、二人がまた誰かを殺すのではないかと思い、追跡した。
 バレないようにバスの後部座席に乗り、二人が降りた次の停車地点でバスを降りた。
 停車間隔が短かったおかげで、降りた田舎ばしょが殺風景だったおかげで、比較的簡単に二人を見つけることができた。
 遠目から動向を眺め、ひとつの民家に向かうのを見た。
 しかし二人は家の中に入らず、庭でじっとしていた。
 しばらくして時夜が家の中に入った。
 数秒して、悠里も家の中に入った。
 数分後、二人は楽しそうに家から出てきた。
 時夜の表情が機械から人間のものに戻っていた。
 二人はバス停に戻り、キスをして、帰った。 
 火憐はその一部始終をじっと見ていた。
 民家で何があったのか気になった。
 だが嫌な予感がして、民家に直接確かめに行けなかった。
 民家の位置と今の時間を覚えて、帰宅した。
 夜には速報で――ついたった今――連続殺人事件の新たな被害者として、その民家に住んでいた人が殺されたと報じられた。
 見つけたのは被害者男性の誕生日を祝うために訪れた息子だったらしい。二ヶ月前に妻をなくし、日に日に荒れていく父親の心情をなんとかなだめたいと思っていた矢先のことだったという。
 だが、殺される直前、豊跡タウンで怒鳴り、店員に暴言を吐き、店内の物を壊していたという話もあるらしく、単純に同情できる事情ではないようだった。
 テレビを切り、大きく息を吐く。
「話、できるかなぁ……」
 火憐は明日のことを考えていた。
 明日は通常通り、学校がある。
「いや、してみせる。大事な友達だから、間違った思想があるなら修正してあげないと!」
 胸に手をあて、吸坂火憐は高鳴る鼓動を押さえる。
「怖いけど、負けない!」
 深呼吸をして、明日に備える。
 瞼を閉じ、眠りに入る。
 その夜は、あまり良く眠れなかった。








 翌日。
 火憐は起きて、制服のまま寝てしまったことに気づき頭を抱えた。
「私のばか!」
 ベランダに干してあった予備の制服を手に取る。
 アイロンをかけながら、テレビをつける。
 朝のニュース番組が見知った地域の映像を写し『豊跡市連続殺人事件、その真相に迫る!?』と銘打って特集を組んでいた。
 これまでの事件の流れを説明してくれている。

 一ヶ月前:私立高校Yの男子生徒六人が殺害された。
 四日前 :県立高校Tの男子生徒四人殺害された。
 一昨日 :県立高校Tの男子生徒がさらに三人殺害された。同日夜、豊跡タウン駐車場で二十代の青年三人が殺害された。
 昨日  :田舎で初老の男性が一人、自宅で殺害された。
 
 計十七人。高校名はふせられていたが、県立高校Tというのは豊跡高校で間違いない。
 それぞれどんな事件だったか、殺された被害者はどんな人物だったのか、警察の発表や生徒、家族、知人へのインタビューが簡潔にまとめられていた。
 豊跡高校の男子生徒殺害に関して言えば、他の生徒が知っていることと同等レベルの情報が正確に伝えられていた。
 他の殺人事件に関しては詳しく知らないが、ただひとつ、火憐が知っていて、メディアも警察も知らないことがある。
「十七人のうち、四人は月峰君と悠里が犯人。……もしかしたら、他の殺人も、あの二人なのかな……はぁ」
 肩を落とし、深いため息を吐く。
『――速報です。四日前、豊跡刑務所から一人の受刑者が脱走したと、豊跡県警に一一〇番通報があったことが明らかになりました。 
 脱走したのは五年前、豊跡市内で起きた少女連続準強姦事件の針谷芯はりやしん受刑者。何らかの手法で職員数人を昏睡させ、脱走をはかったとみられています。
 県警は今回の殺人事件に関わっている可能性を視野に入れ、行方を追っているとこのことです』
 初耳のニュースが目に入る。
 五年前といえば、火憐はまだ小学生でこの地域の住民ではなかった。
 中学と同時にこの地域に引っ越してきたのでその事件のことはさっぱりだった。
 だが、浮上した人物が連続殺人事件の犯人であるならば、早く捕まって欲しいと思った。
 というよりも、時夜と悠里が他の殺人を起こしてなければそれでよかった。
 彼らが罪を犯していればいるほど、このあと話しかけるのが怖くなる。
「不安だなぁ。でも、ちゃんと話を聞かなきゃ!」
 アイロンをかけ終わった制服に着替えなおし、携帯で本日のニュースヘッドラインに目を通す。
 政治、経済、芸能、科学、スポーツ、コラム……部屋から出て、家族とご飯を食べながら気になるニュースを横目でチェックする。
 歯を磨き、鏡を見ながらポニーテールにするかどうかを迷い、何もせずに家を出る。
 異様なほどの警察官が多い通学路を歩きながら、学校へ向かう。
「いざ、勝負!」
 校門前、火憐は一人、気合を入れた。 
 




===== 第四章 思想修正 =====


 昼休み。
 炎天下の中、月峰時夜と魅刻悠里はいつものように屋上にいた。
「――初志貫徹。それがこの短刀の名前だよ」
 悠里はどこからともなく片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを取り出し、時夜に放り投げた。
 同時に、クーラーボックスから小皿にラッピングされたマグロの刺身を取り出した。
「やっぱ特別なナイフなんだろ? 包丁が空中で止まってたし。アレか、影縫いってやつ?」
「特別なナイフなのは正解。影縫いは不正解。影縫いは忍術の類だからね、私には心得がない。そのナイフに秘められた能力は時間の停止・ ・だよ」
「時間の停止……一昨日のアレは『包丁がその場所でその時間に括り付けられてた』って考えればいいのか?」
「正解。もうちょい深めて言うと、『時間を止める』っていうのは超常の現象で、物理的な力を外から加えられてるわけじゃないから、物理的な力で抗うことができない」
 悠里の説明に時夜は感心し、いつもの鍛錬を開始する。
「で、俺にも使えんの?」
 壱、弐、参、の動作を繰り返しながら問いかける。
「使えないよ。能力は短刀ナイフ絆脈パ スが繋がってる一人の所有者しか使えない。絆脈パ スが繋がってるって言うのは、短刀ナイフと魂が感覚的にリンクしてるって意味。右手を意識しないで動かせるとの同じように、短刀ナイフが身体の一部になってるって感じだよ。ロボットで言うなら本体への追加パーツかな」
「とにもかくにも、俺には使えないってわけだ」
「そゆこと。まあ、私が所有権を捨てたくなったら、時夜に譲ることもあるかもしれないね」
「じゃあ、念のため仕組みだけ聞いとくか」
 時夜は鍛錬を続けながら、悠里に初志貫徹の使用方法を尋ねた。
 悠里はマグロの刺身を一皿間食し、時夜と二皿目を交互に見やり、
「……いいよ、説明してあげる」
 初志貫徹についての解説をはじめた。
「初志貫徹は魅刻家に伝わる時を止める能力を秘めた短刀。時間を止めることだけに特化してるから、時間の加速、減速、移動とかは無理。
 具体的な使い方は口頭で、もしくは脳内で能力を発動させるための言葉スペルを詠唱すればOK。
 現象を行使している間、肉体は無酸素運動状態――短時間、高負荷の運動をしている状態――になる。
 使用するエネルギーは非乳酸系。より詳しく言うなら、ATP/CP系のエネルギーを使う。
 逆に物凄く簡単にいうと、一〇〇メートル持久走とかで消費するエネルギーを使う。
 "時を止める"っていうのはそれ自体が奇跡の中の奇跡だから、当然、現象の行使は肉体に最大負荷を強いる。
 例えば包丁を止めたのは『対物空間固定静止』っていう現象。
 ナイフで触れた物体を、その名の通り空間に固定、静止させる現象。
 これを時夜がやろうとしたら、だいたい三秒が限度だろうね。私なら十秒。
 私と時夜で差がある理由は、ATP/CP系のエネルギーを作るのに必要なクレアチンやリン酸といった体内物質の量と、その生産力。
 私は魅刻家由来の肉体を持ってるし、家の食事――調理方法やメニューラインナップが独特だから、無酸素運動の持続可能時間に関しては普通の人よりも優れてる。
 ついでに言うと、肉体自体もすごぶる健康。お肌もピッチピチで、胸もこのとおり超豊か。火憐のまな板ボディとはわけが違うのだよ。どや」
 自慢の胸をそらし、悠里は説明を終えた。
 時夜は鍛錬の手を止め、その強弱の均衡がとれた肢体を見つめてしまう。
「誰の胸がまな板だってぇ~?」
 声と同時に屋上入口のドアが開いた。
 時夜は慌ててナイフを隠す。
 ドアの奥からふてくされたような表情の吸坂火憐が現れた。
「悠里の胸が大きいのは頭に栄養がいかなかったから。それ以外は認めない。いや、そんなことはどうでもよくって……」
 火憐は首を振り、紅く長い髪をゆらす。
「二人にお話があって来ました。単刀直入に言います。殺人の理由を教えてください。二人が人を殺すのを見ました。豊跡タウンの駐車場で一回、田舎の老人宅で一回、計二回目撃しました」
 火憐は時夜と悠里の瞳を交互に見つめる。
 時夜は顎に手をあて考えるような仕草をとり、悠里は感心するように「へー」とつぶやいた。
「通報はまだしていません。刑事さんの事情聴取で二人のことを話したりもしてません。私は殺人の理由を聞いて、その考え方に間違いがあるなら修正したい。それだけです。だから答えてください」
 火憐は少し早口になりながら二人に尋ねる。
 悠里はなんでもないといった表情で、
「私は正当防衛だよ。豊跡タウンの件では、『敵』が時夜を殺そうとしたから殺した。それだけー」
「俺は『より楽しい明日』のために害悪ク ズの排除が必要だと思ったから、迷惑度の高いあのジジイを殺した」
 悠里、時夜の順で回答した。
 悠里は普通に、時夜は機械的な面持ちで。
「なるほど……悠里は正当防衛の考え方ですね。なら、特に私から言うことはありません。問題は月峰君ですね。貴方は正当防衛以外の考えで人を殺す選択をした。その思想、詳しく聞かせてください」
 火憐は時夜の瞳をみつめ、至近距離に仁王立つ。
 妬けつく視線が機械の視線と交じり合う。
 時夜は機械的な瞳で、しかし、普段の口調で、
「俺の思想は『害悪排除ク ズ ご ろ し』だ。それは『より楽しい明日が欲しい』ってところから来てる。
 自分なりに『より楽しい明日』ってのを突き詰めていった結果、俺が求めるより楽しい明日は、自分一人では創れないことに気づいた。
 自分が今楽しいと思えてるのは、自分だけの力じゃない、色んな人の努力や勇気があってのことなんだ。
 簡単に言うと、たくさんの面白い人が世の中を面白くするために頑張ったからこそ、俺は歴史上最先端の現在で、効率的に楽しいものを追い求めることができてる。
 自分以外の誰かのおかげで自分の毎日が楽しいのなら、より楽しく生きるためには、自分以外の誰かにもっと良い世の中を作って貰わなければならない。そこで必要となるのが、住みやすい環境。心理的、肉体的に平穏な毎日。それは害悪ク ズを排除することによって成り立つと俺は考えている」
 自身の主張を終える。
 火憐は眉をよせ、眉間に中指をあてる。
 小さく「なるほど」をつぶやき、目を瞑り、時に髪をかきあげ、時夜のまわりをうろうろと歩く。
 しばらくして、
「月峰君の考えは、『害悪ク ズを殺す事で、皆が快適に暮らせるようになる。快適に暮らしている人が世の中を素敵なものにしてくれれば、その恩恵が回りまわって自分に還元されて、より楽しい毎日を過ごすことができる』というものですね?」
「ああ。人が成長するために、反面教師として害悪ク ズが必要だっていう意見をもらったことがある。それに関しては、『必要だとは思う、だが、害悪をそのまま生かしておくメリットがない』って考えだ」
「なるほど、では、違う視点から質問します。
 月峰君が人を殺したことにより、刑事さんや遺族や会社や友人の方々が仕事に駆り出されたり、葬式の準備をしたり、仕事の割り振りを変更したりと、望まない行動を強いられます。
 忙しい中、殺人という案件を抱えなければならない警察にとって月峰君という犯人は迷惑でしょう。
 もし殺した相手が一家の大黒柱であれば、遺族にとって月峰君は害悪でしょう。
 害悪ク ズであろうと、仕事上重要な存在であれば、月峰君はどこかの会社の利益を大きく損なう行為をしたことになります。
 その結果会社が倒産して路頭に迷う人が出れば、その人たちにとって、月峰君は害悪です。
 こういったことを考えて、それでも殺すべきだと判断した殺人ですか?」
 その質問に、時夜の機械的だった瞳が人間的な色味を帯びる。
 照りつける太陽のせいか、頬を汗が伝う。
 時夜は眉をひそめ、口を開く。
「一人殺した結果、仕事や交友関係がどれだけ動き、どれだけ社会的に影響が出るのか……考えが足りなかった。場合によっては、殺さないほうが毎日が楽しくなる可能性があるかもしれねぇ……」
「さらに言うなら、害悪な人間を説得し、その心を改変することができれば、自分にとって都合の良い生き方をする人間にすることもできます。加えて言うなら、被害者のおじいさんは二ヶ月前に奥さんを亡くしてて、心理的に病んでいたそうです。もちろん、お店で怒鳴り散らしたりしたのはダメですが、穏便に、二度と同じ事をさせない方法はあったと思います。心理的な誘導を仕掛ければ、ボランティア要員として活用できたかもしれません」
「……すまん、俺には反論できる言葉がない」
 ばつが悪そうに時夜は視線を逸らし、謝った。
 火憐は時夜の手を取って、
「大丈夫です。話を聞いてわかりました。月峰君はまだ、殺人の経験が多くありませんね?」
「え? ああ、昨日のが始めてだ」
「今後も、人を殺しますか?」
「……ああ、考えこそ浅かったが、俺にとって、害悪ク ズの排除は貫くべきだって、心の底から感じたことだ」
 悔しそうな表情で時夜は答えた。
 しかし火憐は優しい表情で言葉を続ける。
「なら、貫くことが正解です。法的には間違っていますが、月峰君が真に心に誓ったことなら、私はそれを責めません。でも、もっとちゃんと考えることを怠らないでください。月峰君の思想は、磨けばきっと、考えていけばきっと、真実として『害悪排除ク ズ ご ろ し』として成り立つでしょう。今はただ、実践前の判断力と思考力が未熟なだけです。思想は育ちます。諦めずに、頑張ってくださいね」
 火憐は時夜の手を優しく放し、微笑ほほえんだ。
「ってか火憐、人殺しを注意したり止めたりしに来たんじゃないんだね」
 悠里は意外そうにしながら二皿目のマグロの刺身をぱくぱくと食べる。
 時夜も不思議そうに、
「確かに、いつも『ヘイオンがー』っていうから、てっきり説教を散々くらって自首しろって言われるもんだと思ってた」
 火憐は二人の質問に、二人よりも不思議そうにして、
「え? 世の中が平穏であるためには、どうしても人を殺す必要があるって思いませんか?
 世の中には平穏を乱して何とも思わない人がたくさんいますから、理由さえちゃんとしてれば、多くの人にとって不利益になる人間を殺すことは正しい行いとして成立すると思います。
 そもそも私は死刑賛成派です。最大限の慈悲を与えてなお更生の余地がないなら、殺して家畜のエサにしたほうが多くの人に平穏を与えられると考えます。
 大事なのは、他の人にかかる迷惑、労力を最大限に抑えて、真実として殺すべき時に殺すべき人間を殺せるかどうか、です。
 私も政治家を目指す身ですから、世の中の平穏維持に最も最適な正論になり得るのであれば、月峰君の言う害悪排除は賛成です。
 もちろん、私個人の行動としては害悪な人に説得を試みて、その心を改善してあげたいです。
 それでもどうしようもないのなら、私以外の誰かに殺されてください。と、考えています。
 そういうとき、月峰君のように『結果、平穏をもたらす人殺し』ができる人がいたら助かるんですよね」
 それが当たり前であるかのように言った。
「したたかだな」「したたかだね~」
 時夜と悠里は声をそろえて火憐を見やる。
 時夜は疲れ切った表情で、
「何にせよ、やっかいごとが増えなくて良かった。正義の名の下に火憐先生に成敗されずに済んだ」
「快楽殺人ではない、先ほどのような理由での殺人でしたら、私は警察に通報したりはしません。月峰君の殺人が、さらなる世の中の平穏に繋がるよう祈ってます。今度また、お話させてください。思想に修正が必要だと思えば、意見させて頂きます……っと悠里には悠里で聞いておかないと」
 火憐は思い出したように悠里に振り返る。
「今まで殺した人数と、動機を教えてください」
「覚えてないくらいたくさん。『敵』として私に危害を加えようとしたから」
「警察沙汰になってないのはどうしてでしょう?」
「殺すときは人目につかないように、証拠を残さないように心掛けてるから」
「じゃあ、私に目撃されたのが人生初?」
「かも。私のハジメテは火憐ってことだね! おめでとう!」
「……悠里の性格を考えると、確かに正当防衛でしか人を殺してないと思うんだけど……。例えば悠里が殺人の容疑で逮捕されそうになったとき、自分を捕まえようとする警察官を殺しそうで心配なんだけど、その辺どう?」
「え、それは殺しちゃだめでしょ。『敵』じゃないもん。仕事で逮捕、もしくは極悪犯だから魅刻悠里を殺すべきだーってなったとしても、私個人に対して明確な敵意や悪意を持って殺そうとしてるんじゃなければ、気絶させつつ逃げるって感じかな」
「そっか。悠里は大丈夫だね。うん、二人とも、人を殺さないにこしたことはないけど、今後も考え方だけはちゃんとしておいてくださいね。それでは」
 吸坂火憐は満足そうに屋上を去っていった。
「火憐って、思ったよりキチガイなんだな」
「そだね~」
 昼休みの屋上。炎天はなおも続く。








 昼休み。物理教室。
 猪狩明道と在素創壱は雑談をしていた。
『人はなぜ人を殺すのか?』『この世で最も稼げるビジネスは何か?』『エンターテイメントと商業主義の中で最も上手くいった例は何か?』など、高校生らしくない会話をずっと行っていた。
 ともに論理的な会話を好み、ひとつひとつ、自身の考えを明確に相手に伝え、ともにより正しい考え方を追求していた。
 それはまさに議論と呼べるものであり、思考の研鑽であった。
「さて本題。昨日の事情聴取はどうだった?」
 明道は創壱に問いかけた。
「ああ、おかげさまでヘンに疑われることはなかった。というよりも、警察側が疲れすぎていて、聴取に集中しきれていなかった」
「だろうな。短期間でこれだけの人数が殺されているんだ。寝る暇もないだろう」
「運良く疑われずに済みそうだ。それで明道、お前の外道虐殺ク ズ ご ろ しというのは、どういうものなんだ?」
 創壱はノートパソコンに文字を打ちながら尋ねた。
 パソコン画面にはテキストエディタが起動されており、『題材:外道虐殺ク ズ ご ろ し』という新しいタブが作られている。
 明道は創壱が文字を打ち終わるのを待って、
「俺が外道ク ズと思った人間を殺すだけだ。時間があればいたぶるし、時間がなければ即死を狙う。俺個人の望みとしては、できる限り苦しめて外道ク ズを殺したいと考えている」
「その人殺しは正義感から来るものなのか?」
「いや、ただの趣味いきがいだ。自分が外道ク ズと思った人間が笑うこと、金を得ることがどうにも不愉快でね。奴らが笑うくらいなら、俺が殺して笑う。奴らに金が回るくらいなら、俺が奪って使う」
「最初に人を殺したのはいつだ? あと、今まで殺した人数と、どんな人間を殺してきたか」
「小学六年生の時。九十七人だったはず。基本的に犯罪者かマナー違反が過ぎる人間を殺してきた。殺す上で最も躊躇わずに済んだのは生活保護の不正受給者。金の得方が気にくわなすぎて拷問器具を用意するほどだった」
「殺しに使う道具は?」
「猟銃とナイフが基本。あとはその時々、必要だと思ったものを持参、もしくはその場で調達」
「独自の殺し方があれば教えてくれ」
「基本的にそこらへんの猟奇殺人犯となんら違いはない。たまにBGMを用意したり、ミニ四駆を使ったりするのは独特かもしれん。殺人音を紛らすため、注意を引くため、目をそらすため、遠距離から攻撃するため、ノリでなんとなく……というふうに使っている。ちなみに、ミニ四駆にはピンポン玉とアルミホイルで作った簡易スモークを搭載している。時には爆薬や閃光弾を仕込んだりもする」
「最近の連続殺人事件、明道以外の殺人についてどう思う?」
「俺の獲物候補を盗るとはとんだ困ったちゃんだ。外道虐殺ク ズ ご ろ しは俺の独占市場。新規参入は認めん」
「左肩の紋様――狩猟の紋章――について新しくわかったことは?」
「埋蔵文化財センターに行って資料を読んだり、色々試してみたところ、発見できた機能は四つ。

①視力調整:眼球に力を込めると、視界距離が拡張される。1.5km~2.0kmの範囲まで見ることができる。
②聴力強化:意識すれば、直径三十メートルくらいまでの音を聞き取れる。
③嗅覚強化:意識すれば犬レベルで有機物の匂いを感じ取ることが出来る。
④第六感 :コイツはわけがわからん。身に危険が迫ったとき、頭の中で感覚的な警告が奔る。電流のような、上手く言葉に出来ないが、自動警告機能がついている。

 こんなところだ」
「なぜ紋様は明道に宿ったんだ?」
「さあな。そこに理由をつけるのなら、子供の頃から祖父の狩猟に付き添っていたからからだろう。本来狩猟には免許がいるんだが、こっそりやっている。先週末にも普通に狩りをした。今使っている銃も、祖父にもらった猟銃おふるだ」
 明道が話し終える。
 創壱はインタビューの結果を嬉々として打ち込んでいく。
「よし、今日はこれぐらいで良い。とても美味しいネタだった。助かったぞ明道。作品に活かさせてもらう」
「例には及ばん。また何かわかったら報告しよう」
「ところで、文化財センターに行って怪しまれなかったのか? 斉藤家から狩猟の紋章の中身を奪った直後に、元々の保管場所である文化財センターに紋章の資料が見たいと言ったら怪しまれるだろう?」
「いや、『倉田先生の紹介で来たオカルト初心者で、センター内すべての埋蔵物について知りたい』って設定にしたら逆に喜ばれたぞ。
 局員は良い人ばかりで、センター内の道具について丁寧に解説をしてくれた。
 紋様が消えた水晶うつわもセンターに戻っていた。もちろん、紋様がないせいで保管室行きだった。
 もともとあの水晶は、研究のために真正な手続きのもと、局長が持って帰っていたそうだ。
 だが、俺が斉藤力也を殺したときに『中の紋様だけ消えてしまった』ということで、局長さんは減給処分になったらしい。
 もし水晶ごと盗まれていた場合はもっと処分が重くなったそうだが、『中の紋様がいつ、どうして消えたのかがわからない』から、ただの『管理不十分に対する警告処分』で済んだ。
 あのとき、水晶を持ち去らなかったのは正解だったようだ。まあ、そんな余裕もなかったんだが」
「なるほど……と、インタビュー代を渡しておかないとな。受け取れ」
「……さすが在素、君は満足すればするほど報酬を弾んでくれるから好きだ」
 明道は紙幣を受け取り、満足げにそう言った。








 平日午後三時。豊跡タウンから少し離れた位置にある豊跡フリーモールエリア。
 スーパー、本屋、レストラン、ホームセンター、ネットカフェなどが小規模に乱立する一画に、その交番はあった。
「麻生課長ぉ~私死んじゃいますよぅ~」
 豊跡南警察署管轄、中央第一交番。
 交番内奥の休憩室で、眠気眼で憔悴しきった九道刑事がいた。
 髪もボサボサである。
「うるせーヒヨッコ。死ぬほど事件を駆けずり回るのが刑事だ。二時間後の捜査会議が終わったらここで寝かせてやるから、報告することまとめとけよ」
 隣にいた麻生が低く小さい声でいう。
 明らかに覇気がなく、今にも倒れそうだ。
「いやもう人死にすぎ、捜査進まなさすぎ、殺人以外の事件も多すぎ、人員少なすぎでもう無理ですってホント。来年の離職率、記録更新確定ですよコレ」
「知るか。ヘタレはさっさとやめりゃ良いんだよ。キツくても信じた正義があるヤツが生き残れば十分だ」
「そうかもしれないですけど、もっとじっくりがっつり寝る時間が欲しいです……」
「なら、体に鞭打って事件を解決するこったな。そしたら寝れる。嫌なら辞めろ」
「意地でも辞めないので、がんばります。……ええ、頑張りますとも。大好きな地元ですからね、必殺仕事人気取りの犯人なんて絶対捕まえて見せますよ」
「その意気だ理沙。殺人は殺人。きっちり落とし前つけさせねーとな」
「ですね……あれ? 今、名前で呼んでくれました?」
「気のせいだろ。つーかもうムリ。限界、オレ、寝る」
「私も寝ますー」
 二人は同時に畳に倒れ伏した。
 よほど疲れていたのだろう、すでに熟睡の域である。
 休憩室の引き戸が開き、
「お疲れさ……」
 交番勤務の巡査がお茶を持ってきた。
 二人が寝ていることに気づき、言葉を止めた。
 畳の上に散らばった資料を整え、テーブルに置く。ロッカーからタオルケットを取り出し、二人にかける。
「捜査会議に間に合うように、あとで起こしに来ますね」
 小さくつぶやき、そっと休憩室を後にした。








「やっと、普段どおりの放課後」
 吸坂火憐は一人、平穏な放課後を噛み締めていた。
 いつもどおりの放課後。豊跡タウンの本屋で政治、経済の本を立ち読みし、じっくり読みたい一冊を買い、ファミレスにて再読にふける。
 注文はいつも同じ、
「なんこつのからあげとドリンクバーお願いします」
 目的は周りの会話に聞き耳を立てることである。
 政治家を目指す火憐にとって、他人の日常会話から零れ落ちてくる情報はとても貴重なものらしく、必要に応じてメモを取るようにしていた。
 火憐が注目しているのは『人の不満』。

――不満とは解決するべき何らかの問題を含んでいる。

 そう考えて、他人の不満を引き起こしている大元の原因を分析する。
 たとえば給料が低いという不満であれば、その会社の事情を推測しつつ、世の中の経済不況について考える。
 勉強が面白くないという不満であれば、会話から知的レベルを推測しつつ、教育というものについて考える。
 より正論を求め、より正しい解決方法を考え、思考の研鑽を重ねていく。
 よりリアルな現状認識を求め、具体的な不満を知り、咀嚼する。
 それが本来の彼女の日常である。
「皆さん、平穏ですか?」
 本を読みながら、小さくつぶやく。
「平穏……良いことです」
 今日のファミリーレストランでは『人の不満』は見受けられないようだ。
 周りはドラマや漫画、ファッションの話で盛り上がっている。
 オレンジジュースを口に運び、火憐は読書を続ける。 
 周りが平穏であれば、読書に集中することができる。
 結局その日は読書だけを堪能し、午後九時にはファミレスを出た。
 そのまま自宅を目指し、歩く。
「ふふ、これこそ、私の平穏な日常♪」
 火憐は満面の笑みだった。
 昨日、一昨日のような殺人は起きない。
 車通りのない帰宅路を歩く。
 火憐の自宅は学校から徒歩で通えるものの、自転車通勤がギリギリできない場所にある。
 市内中心部とは反対方向の田舎に向けて約一.九キロ。
 歩けば歩くほど田舎になり、人気も車もなくなっていく。
 そのぶん、夏特有の虫の鳴き声が聞こえてくる。
「ふんふふーん♪」
 火憐は鼻歌交じりに夜道を歩く。
「……ん?」
 自宅まであとちょっとのところ。
 歩行路の真ん中に人が立っていた。
 視界左手は田んぼのみ。
 視界右手には用水路をはさんで田んぼ、適度な間隔で住宅、道路、小学校といった概観だ。
 まったく人気がない通路の真ん中で突っ立っていることは、この時間帯であれば迷惑でもなんでもない。
 だが、
「……私の方を見てるのは、怖いですね」
 小さくごちる。
 火憐の視界二十メートル先、外灯の明かりにやや照らされながら道の真ん中に立つ人影。
 男性のようだ。
 男性はだらしなく肩をぶらさげて、ゆらり、ゆらりと火憐に近づいてくる。
「あのー、酔ってたりしますかー?」
 火憐はゆっくりと後ろに後ずさりしながら、男性に声をかける。
「……」
 男性からの返答はない。
 火憐は一定の距離を保ち、近づかれないように注意する。
「ってうわっ――!」
 自分の足につっかえて後ろ向きにこける。
 背中から落ちたが、大事にいたるということはなかった。
 地面にうちつけてしまった腰や背中をさすり、制服が破れてないかを確認する。
 少し汚れたが、やぶれているところはなかった。
「大丈夫かい?」
「え、あ、はい、だいじょ……」
 顔を上げると、さきほどの男性が目の前にいた。
 火憐と男性の目線が至近距離で交差する。
 男性の表情がニヤリと歪む。
 火憐は手を地面に押し当て、立ち上がろうとするが、
「動いちゃダメだよお嬢ちゃん。動くとキレイな体に傷がつく」
 男性はバタフライナイフを火憐の喉もとに突きつける。
「も、目的はお金ですか?」
 額に汗をにじませて火憐は問いかける。
「いいや、もっと別の、素敵なモノが欲しい」
 男性は火憐の首にナイフを当てたまま、火憐の背後に回りこむ。
 ポケットから小さな注射器を取り出し、火憐に見せ付ける。
「今からお嬢ちゃんを素敵な世界に連れて行ってあげるからねぇ……」
 耳に吐息を吐きかけ、首筋に舌を這わせる。
 火憐の目が見開かれ、顔が青ざめる。
 男性は楽しそうに、
「さあ、おねむの時間だよ……」
 注射器を火憐の首、静脈めがけて突き刺す。

――ぺきん。

 はずだった。
 火憐の首静脈に向けて突き出された注射器は、火憐の手の甲に衝突し、砕けた。
 正確に言うならば、手袋を装着した左手の甲によって打撃を受けた注射器の針が破壊された。
「な……っ!?」
 男性の目が見開かれる。
 火憐は当然のように右手にも分厚い手袋を装着しており、自身の首筋に当てられたナイフを掴んでいた。
 火憐は素早く体を反転させ、ナイフを持つ男性の手首に掌底を放つ。
 とっさの出来事に対応できなかったのか、ナイフはいとも簡単に男性の手から離れ、通路横、田んぼの用水路に落ちる。
 男性は舌打ちし、一旦後方に飛びずさる。
 その間に火憐は自身の通学鞄を拾い上げ、開いた冠裏かぶせうらを閉じる。
 先ほどまで閉じていたカバンが開いていたということは、男性が背後に回ったときに、隠れてカバンを開き手袋を装着したということだろう。
「……なんだ、その手袋は?」
 男性は眉をひそめ、火憐の手袋を凝視する。
 手を一回りか二回りは大きく見せる厚手袋。
 夏の夜に似つかわしくない暑い・ ・装備。
 明らかに、何かを仕込んでいる手袋だ。
「防刃手袋」
 火憐はつぶやき、通学カバンを持ったまま、構えを取る。
「私は政治家を目指す者です。この身この心は平穏を求めるために失うことができない大切な器。起こりうる危険を想定し、貴方のような暴漢に襲われる可能性も当然考慮しています。私はこのまま警察を呼ぶことも出来ますが、貴方が事情を話し、素直に立ち去るのであれば、見逃します」
 闇夜の中、凛然とした瞳が男性をまっすぐ見つめる。
 拒否されたときのため、スカートのポケットから携帯を取り出し、あらかじめ電話帳に登録しておいた一一〇通報番号の画面を出す。
 あとワンプッシュで通報できる。
 男性は余裕そうに両手を広げ、
「断る。呼んでいいよ、今度は捕まらない・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 火憐に特攻した。足裏で勢いよく路面を蹴り飛ばし、間を詰める。
 火憐は男から視線を離さずに、後方にバックステップを重ねながら通話ボタンを押す。
 数秒、コール音が一度なるたびに、二人の距離は加速度的に接近していく。

<<はい一一〇番です。事件ですか、事故ですか?>>

 電話が繋がる。
 しかし、その時すでに男は火憐に追いつき、薙ぐ様に右手刀を放っていた。
「っ……!? じけ……襲われています!」
 体を後ろにそらし、かわしきったところで現状を伝える。
 同時に通学カバンをフリスビーの如く投げつける。
「場所は南警察署管轄の中央第一交番から見える豊跡小学校の近くです! 田んぼの方に向かっていただければ――」
 男性が学生カバンを避ける間に一気にまくし立てたが、言い終える前に再度手刀を放たれた。
 火憐は会話を止めて回避に専念する。
 男性から放たれる拳打を回避するためには両手で『払い』を行わざるを得ず、会話をしながら防御を継続することはできないようだ。
 ひとえに体格差の問題だろう。
 火憐は一気に追い込まれた。
 気を抜けば男性の一撃を体に受け、苦痛のまま倒れてしまうことが予測される。
 火憐は息を切らせながら、
「自分の防御を過信してました。私の方こそ、実戦経験と思考が足りてない……っ!」
 力強く、悔いるように反省する。
 周辺を見やり、一番近い家、その明かりを注視する。
「すいません、こんな時間ですけど、助けてくださいね」
 つぶやく。
 これからかけるであろう迷惑を先に謝り、大きく息を吸う。
「た――」
 火憐は近くの住民に助けてもらおうと、大声を出すつもりだったのだろう。
 だが、声を出しかけて、カクンと膝を曲げて倒れた。
「?」
 何が起こったのだろうと言う顔で、火憐は男性を見やる。
 男性はニヤリと笑い、
「言ったろ、おねむの時間だって……」
 その言葉が終わると同時に、火憐は瞼を閉じ、安らかな呼吸を繰り返した。 







 

第三章 機械の如く

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第二章 各人各様
第四章 思想修正






===== 幕間 存在しない道徳 =====




――人の心は金で動く。




 少年がそれを知ったのは小学六年生のときだった。
 クラス内でいじめがあった。
 金持ちで気弱な『A』が、貧乏で強気な『B』にいじめられていた。
 BはAから金を奪い、思うがままに殴り、罵った。
 毎日毎日飽きもせずBは蛮行を繰り返した。
 誰一人Aを助ける者はいなかった。
 助ける義理が無いから助けなかった、いやBが奪ったお金をわけてくれたからAを助けるメリットがなかったのだ。
 たった数百円。だが、子供相手の口止め料にはそれで十分だった。
 金に目がくらんだ他の子供もいじめに加わった。
 始めは皆『かわいそう』と思っていたかもしれない。
 だが、金を手にした瞬間、子供達の善良な心は熱を加えられたマーガリンのように溶けて消えた。
 子供達は恐喝と強奪を行うただの犯罪者に成り下がった。
 いじめは続き、果ては担任まで加わり、奪えるだけ奪い、辱めるだけ辱めAを自殺に追いやった。
 その一部始終を見ていた少年は、

――自殺に追い込んでしまって初めて、みんな自分達のしでかした罪の重さを思い知るんだろうな。

 と思った。
 だが、Aが自殺しても、皆は楽しそうに毎日を過ごしていた。
 口裏を合わせたせいか、いじめの存在は保護者、警察、世間には認知されなかった。
 Aが自殺したのはAがバカだからと、金のなくなったAに価値はないと、Bを始めとする加害者達は悦に浸っていた。
 Aは遺書を残さなかった。いや、残す気さえ起こさないように自殺に追い込まれた。
 家族に何も言ってなかったため、家族はAがいじめられていることを感じとれなかったらしい。
 故に加害者は誰一人加害者であると認識されず、裁かれることなく、金を得て平穏な毎日をそのままに享受した。

――金の前に道徳はない。

 少年はそれがこの世の真実なのだと思った。
 金のためなら、人は人を救わない。
 教師ですら子供を見捨てる。
 少年はそれまで道徳的な正しさというものを疑わずに生きてきた。
 信号を無視したことは一度もない。
 他人の悪口を言った事は一度もない。
 仮病で学校を休むなんて詐欺師のすることだと考えてきた。
 だが、周りが同じように考えているわけではないと、小学校生活の中で知った。
 皆当たり前のように信号を無視する。
 皆当たり前にのように仮病、万引き、カンニングをする。
 幾度となく不愉快に思ったが、注意はしなかった。
 いつか天罰が下るだろうと、いつかルールを破った報いが訪れるだろうと信じていたからだ。

――道徳的に正しい人間だけが、神様に愛されてその加護のもと、幸せに生きることができる。

 幼い頃から、それを心の支えにしてきた。
 正しさというものを守り、信じることが心地良かったから、他の人がどうであろうと自分は正しくあろうと思っていた。

――だけどA君はお金をとられて、心と体を痛めつけられて自殺した。

 理解できなかった。
 少年が知る限りでAという子供は道徳的な悪では決してなかった。

――なんでA君は救われず、B達が幸せそうなんだろう?
   どうして、B達に天罰が下らないのだろう?

 疑問に思った。自分の生き方や考え方が間違っているのではないかと疑った。
 道徳や神様というものを正しく理解していなかったのだろうかと、自問自答した。
 思えば、少年は道徳の定義を知らなかった。道徳と倫理の違いがわからなかった。
 思えば、少年は自分が信じた神様の名前も、姿も、由来も知らなかった。宗教についても何知らなかった。

――そうか、言葉とかイメージに魅力を感じただけで、自分の頭で何も考えてなかったんだ。

 だから現実が思考にそぐわない。
 少年の中にだけある道徳に背いた人間が、少年の中にだけある神様によって裁かれることは起き得ないのだ。

――だけど、普通に考えておかしいよ。

 いじめが起きた。被害者は死んだ。
 加害者は何一つ報いを受けることなく、奪った金で今日も楽しく生きている。
 納得できなかった。

――理屈なんかじゃない。物事の流れとしておかしい。いや、気にくわない・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 だから考え方を改めることにした。
 なぜ気に食わないのか?
 
――きっと彼らが楽しそうだから気に食わない。
   人を殴り、罵って、金を奪ってなお悪びれもせずに笑う姿が癪に障る。
   彼らはA君をいじめ殺したことについてなんの罪も感じてない。
   もう忘れてる。
 
 結局、自分が楽しければそれでいいのが人間なのだと、少年は結論づけた。
 それで納得が出来た。
 清く正しい人間がいないとは言わない。
 だが、そんな人間はごくわずか。
 大抵の人間は腐っている。
 考えない、感じない、救わない、無慈悲に奪う。
 別に悪いことではない。天罰は下らない。
 バレずに奪い、バレずに殺し、バレずに犯せば法は誰も裁けない。
 ならば必然、自分の快楽だけを追い求める人間が多い世の中、Bのような外道ク ズが多いのは普通のことだったのだ。
 これが人間よのなか
 それで人間よのなか

――やっとわかった。だから彼らは楽しそうだったんだ。
 
 実に面白い、と少年は思った。
 楽しいと感じることをする。
 その原動力を『欲』と呼ぶならば、人にあるのは『我欲』ただひとつ。
 善人であろうが悪人であろうが、結局、人は我欲で生きている。

――なるほど、自分の『欲』のために生きていれば、全ての行動は全て自分に還元される。
   損も得も、愛も憎も、富も貧も、生も死も、全てが万事、自業自得ならば好きなように生きるほうが楽しいに決まっている!
 
 これが少年の辿り着いた答えだった。
 その瞬間から、少年は言葉も、髪型も、行動も、思想も、全てが全て、一変した。
 少年はそれを『猪狩明道くん変革記念』と名づけ、契機づけにいじめの主犯格であったBをなぶり殺しにした。
 放課後の帰り道をつけ、誰も目撃されないように後ろから殴り倒し、近くの森に引きずりこんで嗜虐を尽くした。
 殴り、蹴り、刺し、えぐり、剥ぎ、削り、焼き、冷やし、折り、殺した。

――なるほど、いじめっ子をいじめるというのはとても楽しいことなのだな。

 少年はそんな快楽を見出した。
 そしてなぜそれを楽しいと感じたのか、その根幹にある快楽の理由は何かを考えた。
 いわゆる正義感のようなものではなかった。
 正義があるならば、道徳を心酔していたころにAへのいじめを止めていたはずだ。
 Bを快楽をもって虐殺した自分に正義はない。
 かといって嗜虐趣味があるというわけでもない。
 ただ、『いじめを行うような外道ク ズが、誰かを苦しめた以上に苦しむ姿』がたまらなく心地良かった。

――そうか、『ざまあみろの心理メ シ ウ マ』だ!

 因果応報、自業自得、幸災楽禍。
 誰かが犯した行いに、自分が天罰のごとき苦しみを落とすことへの満足感。
 これこそ我欲が為せる生業。
 自己満足の極致。
 少年はその趣味に『外道虐殺ク ズ ご ろ し』と名前をつけた。
 それ以降、趣味に没頭し続けた少年はただの一度も逮捕されることなく、今もなお虐殺に特化した外道を突き進む。






===== 第三章 機械の如く =====






 平日午後二時。豊跡タウン休憩エリア。
 数にして二十組程度のベンチやテーブル席が等間隔で並んでいる。
 席のほとんどが主婦や高齢者で埋まっており、クーラーの冷気を跳ね返すような雑談と熱気で溢れている。
 その一角、月峰時夜と魅刻悠里は二人がけのテーブル席に腰を落ち着かせていた。
 小さなテーブルの上に食べ物の詰まったビニール袋を置き、周りと同じく雑談にふけっている。
「にしても、取調べ長かったよね~」
 言って、たこ焼きを頬張る悠里。
 時夜は頬杖をつきながら、
「全校生徒相手に聞き取り調査だろ? 一人二十分で一日中って……刑事さん死ぬだろ。全校約八〇〇人を相手に延々と同じ質問をしてメモをする。あれはきっついだろうな」
 これ以上連続殺人事件の被害者を出さないため、早期解決のため、学校では朝から取調べが行われていた。
 全校生徒一人一人を対象に『不審者を見なかったか?』『殺された生徒を恨んでいる人間に心当たりはないか?』など、聞くべき内容をひとつひとつ聞いていた。
「まー、仕事だから仕方ないんじゃない? それより私は、外で待ち構えてるマスコミがイヤだったなぁ。なんかカメラでパシャパシャ取るし、刑事さんに聞かれたことと同じこと聞いてくるし」
 悠里はおごりのペットボトルジュース(2L)を飲みながら不満を口にする。
 時夜は自腹のミニ缶緑茶を飲みながら、
「まー、あっちも仕事だしな。視聴率の取れるネタが欲しいんじゃないか? 『犯人は校長!?』みたいな見出しでも作れたら万々歳だろ」
「『!?』をつけてホントかウソかは知りませんってやり方は嫌いだなぁ。ってか私、学校の事件はあんま興味ないんだよね。男子しか狙ってないみたいだし。それよりも、昨日ここの駐車場で起きた殺人事件のほうが興味があるかな。ちょうど同じ時間帯にここで焼肉を食べてた身としては大変興味深いなぁ」
 演技がかった言い振りで主犯は時夜にニタリと微笑ほほえみかける。
 時夜はその演技にのっかるような口調で、
「……学校のほうも駐車場のほうも、凶器はナイフらしいから、このあたりにはナイフバカが多いのかもしれないな」
「ナイフとか怖いよね~」
 おどけてみせる悠里。 
 時夜はやれやれと肩をすくめ、一呼吸。
「それはそうと、昨日の美術室の殺人……殺された奴を調べてみると、やっぱり迷惑度の高い害悪ク ズだった。飲酒、喫煙、放火、窃盗……ただの一度、魔が差したって話じゃない。殺された奴らは皆、死ねば良いのにと思われてる連中ばかり。つーか俺がこ……説教・ ・する予定だったやつばかりだ。ウチの男子生徒を殺してる奴は同一犯で間違いないだろうな。で、その思想は俺に近い。やっぱり、ウチの生徒か教師が犯人って考えるのが普通だよな。あーでも、ウチの生徒と手を組んで犯行に及んでる可能性もあるよな。うーん、よくわかんねー」
 頭をひねる時夜。その隣で、
「はむ、もぐ、むしゃ、むしゃ」
 悠里は時夜のお金で買ったクレープ、アイス、ジュース、食品コーナーのお惣菜、パンなどをパクパクと平らげていく。
「んーごゃふぉっとあんいんむごっへんぐ!」
 目の前の食べ物にとてもご満悦のようだ。
「口に食べ物を入れながらしゃべるんじゃありません。母国語を大切にしろっつの」
 時夜は悠里に軽いチョップを入れる。
 そのままビニール袋からスナック菓子を取り出し、ひとつひとつ口に運ぶ。
「なんで俺より先に動くんだ? なんで俺より行動がはえーんだ? まさか悠里が……なわけないよな。悠里は『敵』じゃないと手を出さないもんな。じゃあ誰だ?」
 時夜は自分にしか聞こえないような声でぶつぶつと現状分析に努める。
 延々とつぶやき、頭を抱え、スナック菓子を加速度的に口に放り込んでいく。
 傍目から見てわかりやすいほどにイライラした表情でうなり続ける時夜。
 スナック菓子がなくなる。
 その袋を数秒見つめ、不意に勢いをつけてクシャクシャにした。 
「あー、わかんねー! 犯人が気になるー!」
「私は時夜が次に何をおごってくれるのか気になるー! ときや! たべもの! たべもの!」
「ガキかお前は! つーかもう全部食ったのか!? ……ああ、もう目をキラキラさせるな。わーったよ、可愛いから驕る! ……ほら、これでケーキでも買って来なさい!」
「わーい。ありがとーときやおにーちゃーん!」
 悠里は紙幣を片手に嬉しそうにケーキ売り場に向けて走り去った。
「時夜お兄ちゃんか……超アリ!」
 時夜は小さくガッツポーズを決めた。
 数分して、悠里は戻ってきた。
「みてみて時夜、くらりんにケーキおごって貰っちゃった!」
「その呼び方はやめて欲しいな」
 ワンホールのケーキを自慢げに見せ付ける悠里。
 その隣には自称美人物理教師、倉田物成がいた。
「時夜、君の彼女は本当に強引だね。僕は目の前で財布から紙幣を盗られたのは初めてだよ」
 時夜は勢いよく席から立って頭を下げ、
「すまんぶっさん! いや、ホントすまん! むしろごめんなさい!」
 土下座までして謝った。
 そして眉を吊り上げ悠里の両肩を掴む。
「コルァ悠里! お金やったのに何先生の金でケーキ買ってんだァアアア!」
「だってたくさん食べたかったんだもん! ちーずけーきが私に先生のお金盗れって言ったんだもん!」
「言うかボケェエエエエエエエエ!」
 両者声を張上げ合う。
「ははは、君達カップルはおもしろいな。うん、見物料と言うことで、被害届けは出さないことにするよ」
 倉田は腹を抱えてそう言った。
 近くの空いたイスを持ってきて、小さなテーブルを三人で囲む。
「で、学校での取調べはどうなったの? 今、休憩?」
 チーズケーキを食べながら悠里は問いかけた。
「取調べは休憩なしでやってるよ。僕は刑事さんから取調べの結果を聞いて、資料としてまとめる仕事をしてる。事件と関係のある証言が限られてるから途中で休憩できてる。ちなみに校長先生とか他の偉い人は話を聞くだけで、聞いた話のメモは「お前がやれ」ってことで僕が資料作成のお仕事をしている」
「頑張ってるな、ぶっさん」
「頑張りたくないけどね。まあ、事件には興味はあるし、雑用をするフリをして、色々現状を聞けるならアリって感じだよ。というか時夜、『ぶっさん』は『くらりん』以上に悲しくなるから勘弁してくれ」
 倉田は悠里からケーキをひとカケラだけ貰い、口に運んだ。
「あ、倉田さーん!」
 倉田の背後。スーツの女性が話しかけてきた。
 手にはビニール袋。中にはからあげ弁当とお茶缶がふたつずつ入っている。
「お疲れ様です。生徒さん達と雑談ですか?」
 二十代半ばぐらいと思われる女性はにこやかに尋ねてきた。
「お疲れ様です、九道刑事」
 倉田もにこやかに返事を返し、
「本来なら自宅に帰って待機するはずなのに、してない悪い子を見つけてしまったので注意してました」
 おどけた調子で答える。
 時夜と悠里は口をそろえて「うそつきー」とつぶやいた。
「可愛い生徒さんたちですね。でも、ちゃんと自宅待機してないとダメだよ学生さん。もしものことがあったらお姉さん、泣いちゃうぞ」
 九道と呼ばれた女性は頬に指を当てながら言い、
「何が『お姉さん』だ、このヒヨッコが!」
 脳天からいかつい拳を振り落とされた。
「~~~~~っ……!」
 九道は両手で頭を抑え、うずくまる。
「俺たち所轄は他の仕事があんだから、昼メシ買い終わったんならさっさと帰るぞ」
 渋い声。拳の主は同じくスーツを着た男性だった。
 精悍な顔立ちで、歳は三十台後半といったところだろうか。
「痛いですよひどいですよ麻生課長。かわいいかわいい部下の頭にコブができたらどうするんですかぁ」
 九道は涙目になりながら上司に訴える。
 麻生と呼ばれた男性は聞かず答えずで、表駐車場方面へ向けて歩いていく。
「あー! 待ってくださいよー! ……っというわけで、私はこれで失礼しますね。学生のお二人さんはホンットに気をつけてね。もうこれでもかというくらいに警戒してね。防犯グッズとか買い漁ってね。それでは!」
 九道は頭をさすりながら麻生を追いかけていった。
「忙しいね~刑事さんは~」
 チーズケーキワンホールを平らげ終わった悠里がほのぼのと言った。
 時刻は間もなく午後三時といったところだった。 

  






 時夜と悠里は倉田と別れ、豊跡タウン内の百円均一を目指していた。
「刑事さんに言われちゃったし、文具買ったら帰ろっか」
「そうだな」
 二人は通路を歩き、百円均一の区画へ向かう。
 悠里は文具の補充のため、時夜はただの付き添いである。
 百円均一に到着。入り口には図面が置いてあり、どこが何のコーナーかが掲示されていた。
 悠里は文具コーナーを指差し、
「一緒に見る?」
「もちろん」
 店内に入り、文具コーナーを目指す。
 店内を見渡しながら、時夜は感嘆して、
「色々置いてあるなぁ。こういうのって、やっぱ原価が高いのかな?」
「さあ、物によるんじゃないかな? ほら、あそこのナベとか高そ――」 


「なんで置いてないんだよ! ふざけんな!」


 悠里の会話をさえぎるように、二人の近くで大声がした。
 二人は驚きつつ、声がした方を振り返る。
「普通置いてるだろ! 置いてないとか頭オカシイんじゃねえか!?」
 見るに、初老の男性と若い女性店員がもめているようだ。
「わざわざ田舎からバスで来たのにふざけんなよ! バス代返せバカ野郎!」
 男性は怒り、地面を強く踏み鳴らす。
 先ほどまで豊跡タウンを包んでいた客の会話、人の行き交う足音などが止み、店内BGMだけが滑稽と流れ続ける。
「お前いくつ? 学生? ホント客なめてんの? 百均のくせになんでアレないの?」
 男性は女性店員の胸倉を掴み、こめかみに青筋を立てて睨みつける。
「も、もうしわけございません……」
 店員は涙目になり、震えていた。
「あのな――」
 男性は『欲しいものが置いてない』と激昂し、女性店員に罵声を浴びせかけた。
 女性店員は丁寧に商品の取り扱いがないことについて謝罪した。
 だが、男性は謝罪を途中でさえぎり、ひたすらに怒鳴り続けた。
 何度謝罪の言葉を述べても、男性には届かなかった。
 男性はその後、近くにあったコップをいくつか手に取り、地面に叩きつけて去っていった。
 女性店員は怖かったのか、奮え、泣いていた。
 周りの店員が慰めるようにしてその女性店員を裏に連れて行き、残った店員が他のお客さんに頭を下げ、割れたコップを掃除した。
「……」
 時夜はじっと、その光景を見ていた。
 冷静に、機械のように無表情で。
 まばたきひとつすることなく、まるで感情が途絶えたような瞳で、一部始終を何もせずに見過ごした。
 周りの人々が動き出してからも、少しの間、固まったままだった。
 しばらくして、時夜は満足そうに溜息を吐いた。
「なあ悠――」
「良かったね時夜。判断に迷わなくて良い標的ク ズがいたよ」
「……ああ」
 その会話で、全てが決まった。








――壱、弐、参。



 時刻は午後五時三十分。
 豊跡タウンからバスで三十分ほど田舎に行ったところにある、とある民家。
「ホントふざけてやがる!」
 初老の男性は、本日立ち寄った百円均一に心底腹を立てていた。
 あまりに腹が立っていたため、不当な扱いを受けたとして、豊跡タウンのオーナーと百円均一の本社にクレームを入れていた。
 嘘八百を並べ立て、自分が被害者であると訴え、金を請求した。
 裁判を起こすと強く出た。
 接客をした女性店員の名をあげ、解雇するように訴えた。
「誕生日の俺を怒らせたんだ、徹底的に追い込んでやる」
 一人、自宅で口端を歪める。
「客は神。かみの要望を聞けないクズは死ね!」
 怒鳴りながらテレビをつける。
 一人暮らし。散らかった部屋の中でビールを飲み、つまみをかっくらい、テレビを見てはケチをつける。
 先ほど女性店員の胸倉を掴み、ブス、クズといった言葉を何度も浴びせかけたことなど、男性はもう忘れているだろう。
 一方、男性宅の庭。
「……」
 時夜はじっと男性の言動を観察していた。
 外にもはっきり聞こえるほどの大声で、男性は被害者を気取った。
 ただの一度も本当のことを言わず、要望と願望を叫び、論理性のかけらもない暴言を受話器に向かって叩きつけた。
「……」
 時夜の顔は人間であることを辞めたように機械的だった。
 体温すらないのではないかというくらいに、表情には色がない。
「……悠里、ナイフを貸してくれ。十秒で終わらせてくる」
 時夜は淡々と言った。
 悠里は片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを差し出し、
「三秒で終わるよ。今の月峰時夜に不備はない」
 自信満々に、誇らしげに言った。
「随分と買われたもんだ」
「事実を言っただけだよ。キミは殺すと定めた『ク ズ』に対して、私よりも冷徹だよ。貫くと決め、実行すると定まったその意思には綻びがない。だから時夜はきっと、この一回の殺人で違う世界に踏み込める。『より楽しい明日』だっけ? うん、今わかった。時夜は時夜にとってのより楽しい明日に届くよ」
 一旦言葉を切り、悠里は澄んだ瞳で時夜を見つめる。 
「時夜の初志は本物だったんだね。貫徹する覚悟が完璧なら理想に届かないわけがない。その在り方、心の底から尊敬するよ」
 それは悠里が時夜に向けた、始めての賛辞にして最大の敬意だった。
「そっか。じゃあ、初陣をかざってくる」
 時夜は穏やかに微笑ほほえんだ。
「うん、いってらっしゃい」
 悠里は暖かい眼差しでその背中を見送った。








――この心、機械の如く。より楽しい明日のために、最速最短で害悪ク ズ排除さつがいせよ。



 用心のない扉をそっと明け、時夜は居間へと進む。
 無駄のない移動、音のない接近。
 ふすまの隙間から居間をのぞく。
 寝そべる害悪ク ズの背中が見えた。
 無防備。標的とされた害悪ク ズは、己が殺意を向けられていることに気づくことなく、なお、テレビに向かってひとりごとを投げ続ける。
 時夜はナイフを適切な力で握り、もう片方の手をふすまにそえた。
 一呼吸、
「壱」
 ふすまを開け、床を蹴って敵をナイフの斬殺可能距離に捕らえる。
「弐」
 焦点を喉元に定め、標的が気づくより先に銀の斬撃を放つ。
「参」
 一撃で首を切断した。
 演習どおりの一撃必殺。
 頭と体は滑らかに乖離した。
 首から吹き出る血液の飛沫を浴びながら、刎ねられた頭部が床を転がる。
 横向きだった肉体がうつ伏せに倒れ、その拍子でテレビのリモコンが押される。
 液晶は息絶えるように黒に染まった。
 アナログ時計が秒針を刻む音が、カチ、カチと室内に鳴り響く。
 一瞬の出来事。返り血ひとつ浴びることなく、月峰時夜は初の殺人を完遂した。
「はっ、ホントに三秒じゃねーか」
 初めての人殺し、最初に出た言葉はソレだった。
「なるほどな、実際殺してみると、すっげー気分が良いんだな。この世から俺の人生をつまらなくする可能性が消えた。この実感は、紛れもない幸福ってヤツだ。殺人は……許されねーことなのにな」
 血の付いたナイフを眺めながら、陶酔するようにつぶやいた。
「おめでとう時夜」
 背後から声をかけられた。
 振り返ると、悠里が満面の笑みで立っていた。
「祝うことじゃねーって」
 時夜は恥ずかしげに言う。
「普通はね。でも、時夜にとっては祝うことだよ。さ、できる限りの証拠を消して、さっさと帰ろ」
 悠里は時夜に指示を出し、犯行現場を改変した。
 改変後すぐに男性宅を出て、バス停へ向かう。
 道中、
「最速でバレるにしても、二十四時間以内は無理かな。一人暮らしっぽいし、いつ第一発見者が見つけるかにもよる。まあ、ニュースとかネットで事件をチェックして、自分に容疑がかけられそうなときは上手いこと逃げてね。もしものときは一緒に逃げてあげてもいいよ」
 人気の無い田舎道。悠里は遠足を楽しむ子供のように時夜に笑いかけた。
 バス停に到着し、
「えへへ」
 悠里はそっと時夜に近づき、正面に立った。
 時夜の瞳を見つめ、静かに微笑ほほえみながら、
「いらっしゃい、人殺しの世界へ」
 悠里は時夜の唇にキスをした。
 とても優しい、穏やかで柔らかいキス。
 時夜は目を見開いて固まる。
 悠里の唇が離れ、数秒して、
「おじゃまします」
 時夜も満面の笑みを返した。
 もう一度キスをした。
 同時にバスが来た。
 乗らず、熱い抱擁を続けた。
 バスが去る。
 次のバスは一時間後。

「もう一時間、キスができるな」「もう一時間、キスができるね」

 蝉の鳴き声は強く、日差しは時が経つにつれて弱く。
 二人の距離はより近く、より熱く。