第二章 各人各様

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第一章 副業/本業/外道
第三章:機械の如く






============= 幕間 憧憬 =============





 月峰時夜の意識が戻ったのは、深夜午前二時の事だった。
 集団暴行から救われて約二時間。
 周囲には車の音も人が行き交う音もない。
 時夜は少しずつ覚醒する意識にあわせ、ゆっくりと瞼を開けた。
「起きた? さっきはありがと。キミが彼らの目を引いてくれたおかげで、不意打ちで楽に殺せたよ」
 女の子の声がした。
 後頭部に柔らかい感触。
 視界の先にはほどよい、いや、十分な二つの膨らみがあった。
 女の子、柔らかい、二つの膨らみ。
 頭の中にそんなキーワードが浮かび上がる。
 時夜は喉をごくりと鳴らし、膝枕されていることと、視線の先にある立派なふくらみが何であるかを理解する。
「……俺、助けられたんだな。いづづ……顔、腫れてる?」
 膨らみに触れないよう、しかし視界から逃さないようにその部位を映しつつ起き上がる。
 周囲は一面、グラウンドのように平らな砂地。
 視界左手には城の形をした会館があり、視界右手には小さな池がある。
 時夜は今いる場所を把握した。
 暴行を受けた場所から徒歩五分、駅前観光地のひとつ、豊跡とよあと城だ。
 豊跡市民であれば、誰もが一度は来たことがあるだろう。
 城自体は会議会館として内装を作り変えられており、庭は砂地のまま駐車場として利用されている。
 会館への扉は閉ざされているが、城内庭までなら二十四時間出入り可能となっている。
 時夜と少女がいる場所は入口付近に設置された、背もたれつきの木製ベンチだった。
「ケガを確認したいなら、写メ撮ってあげるね。……はい、こんな感じ」
 少女はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、時夜の顔を撮影して見せる。
 画面に映る時夜の顔は青痣だらけで、瞼は腫れあがり、口元には血がこびりついていて、鼻血と混じって固まっている。
「うわっ! 俺ぶっさ! 超ぶっさ! つか、喋ると身体痛ぇ……っ!」
 時夜は容姿の変貌ぶりに驚き、身体に奔る痛みにうずくまる。
「結構明るいんだね、キミ。もっとクールな感じかと思った」
「そうか? まあ、喧嘩ふっかけちまったからな。闘う時はクールになるもんなんじゃねえかな」
「喧嘩好き?」
「いいや、喧嘩なんざ小学生以来さ」
「じゃあ、そんな久々の喧嘩で助けられた私は運が良いのかもね」
「俺はやられただけだぜ……ってそうだ! お前、もしかしてアイツらを――」
「殺したよ。キミのおかげで楽に。誰にも見つからずに殺せたから、助かったんだよ」
 少女は笑みを浮かべた。
 それは恐ろしい笑顔などではなく、ごくごく普通の少女の微笑ほほえみだった。
「もしかして今までにも、人を殺したことがあるのか?」
 時夜の声が若干低くなる。
「あるよ。私に敵意を向けて、具体的な行動を取ったらアウト」
 少女はジェスチャーで自分の首を刎ねる仕草をして見せる。
「……人を殺したときって、後悔とかするのか?」
「後悔? うーん、私は『敵』を人として見ないから、別にないかな」
「人を殺すことについて、どう考えてる?」
「自分が安全快適に生きるためには、排除しなきゃいけないものがたくさんある。時に人の命を奪うことがあるのは当然って考えてるかな。人を殺してもバレなければ良いだけだから、検挙率九五%以上を誇る優秀な警察組織を欺ける自信があれば、殺す方が得だよ」
 少女は友達とおしゃべりするようなトーンで会話を続ける。
「ちなみに豊跡市は人を殺しやすい地域で、なんと殺人検挙率はたったの六二%。この六二%っていうのは去年の数値で、検挙二三件/認知三七件で六二%。一件一人で考えると、三十七人殺しても十四人分はバレないのが豊跡市。
 で、普通の人は人殺しなんてしないからったときに簡単に捕まっちゃうんだけど、実は殺人をしようと思って過去の事例とか現在の殺人事件の捜査方法とかを勉強すると、一気に捕まる可能性を減らすことができるんだよね。
 簡単に言うと『目撃されない』『殺人時の音を聞かれない』『現場ごとに凶器、殺人方法、服、靴とかを変える』『家宅で人を殺すときは自分以外の髪の毛を現場に残しておく』とかかな。
 まだまだいっぱいあるんだけど、証拠になりうるものをひとつひとつ隠蔽、偽装していけば、捕まる可能性をどんどん下げられるよ。
 ついでにいうとウチの窃盗検挙率は四〇%くらいだから、日常的に『窃盗した方が得』だったりするよ」
 少女は楽しそうに話した。
 時夜は少女の話を感心するように聞きつつ、
「窃盗もしてるのか?」
 質問を投げかけた。
「窃盗はしてないよ。別に欲しいものとかないし。お金にも困ってないし。私が人生で犯した犯罪はただひとつ『殺人』だけ。
 もちろん、殺したのは『敵』だけだよ。殺人なんてアタマの悪いことはしたくないけど、敵は敵になった時点で殺しておかないと復讐、粘着、つけあがりのリスクがあるからね。
 その場で始末する方が合理的かな。ってか、正当防衛でナイフでの殺人がアリだったら良いんだけど、過剰防衛扱いされちゃうからホントめんどいんだよね。それさえなければ殺しやすいし、隠蔽もしなくて済むからラクなのに。
 何で加害者に手厚いようにできてるんだろうね」
 やれやれと肩をすくめる少女。
 だが、特に憤慨してるという様子もなく、
「ま、法律ルールがどうであろうと、好きなようにするけどね」
 少女は目を細めてニヤリと笑う。
 時夜は右頬に汗をたらしながら、だが、少し嬉しそうに、
「それでお前は自分の望む幸せというか、より楽しい明日を手に入れることができてんだよな?」
 望む答えを返してくれといわんばかりに問いかけた。
「うーん、どうかなぁ。どちらかといえば、楽しい毎日が邪魔されないようにしてるだけなんだけどね。楽しく生きていたいから、邪魔なモノを斬り捨てる。取捨選択が速くて上手ければ、迷う間もなく幸せが続く。『あ、わたし得できてるー』みたいな感じだよ」
 それが少女の回答だった。
 その答えに時夜の顔が崩れる。
 怒りでも悲しみでもなく、喜びで歪む。
 顔を片手で押さえるが、喜びに溢れんばかりの感情を抱いていることは誰が見ても明らかだった。
 もう片方の手は力強く握られ、顔の横でわなわなと震えている。
「あった……あるもんなんだな……俺の望んだ在り方……その、体現!」
 時夜は両手を広げ、夜空を仰ぐ。
「見つけた! 俺の最大幸福! こんなキチガイに出会えるなんて、ホント、すげーじゃねえか、俺の人生……っ!!」
 噛み締めるように、押し殺すように、威圧を込めた啼声なきごえをあげる。
「アレ? 私今、すっごい失礼なこと言われた?」
 困った表情を浮かべる少女。
 時夜は少女に駆け寄り、その手を取る。
「惚れた。好きだ。お前の全てを教えてくれ。俺の名前は月峰時夜。知りたいことの優先順位は殺人技術、お前自身、あと……性癖その他諸々だ!」
 少女は当然のことに戸惑いつつ、ひとつ深呼吸。
 落ち着いたところで、
「やだ。好きくない。教えない。殺人技術は自分で覚えるもの。他人の事は日常会話から探るもの。そして……性癖は隠すものだよ」
 したり顔で答える。少女は小さく「ドヤァ…」とつぶやく。
「そうか、わかった。よし、殺人技術の前に、まずは名前を教えてくれ」
「話聞いてないね、キミ……」
「名前♪ 名前♪」
 時夜は楽しそうな感情を一切隠さず、少女に名前の公開を要求する。
 少女は呆れたようにため息をつき、自身の名前と所属を口にした。
「……魅刻悠里。君と同じ学校。クラスは二年B組」
 時夜は鼻息を荒くして少女から出てくる情報を興味深々に聞く。
「なるほどなるほど……ってアレ? 何で同じ学校ってわかったんだ? 男子の夏服はどこも似たようなもんだし、学校の特定とかできなくないか?」
 少女――魅刻悠里はニヤリとして、スカートのポケットからソレ・ ・を取り出し時夜にほうり投げた。
「財布? しかも……俺のっ!?」
「財布に個人情報詰めてたら、そりゃあわかるよね~」
 時夜はあわてて財布の中身を確認する。
 小銭も紙幣もポイントカードも図書カードもクオカードもなくなっていた。
 学生証だけはどうでもいいといわんばかりに残っている。
 時夜はジト目で悠里を見やる。
「窃盗はしないんじゃなかったっけか?」
「うんしないよ。キミが死んだときのために預かっておいただけ。でも、返すのめんどいし、『名前を教えてあげた代』として貰っておくね。ほら、これで窃盗じゃありませーん」
 まったく悪びれもせず、悠里は天使のように悪意のない笑みを浮かべた。
 その笑顔に見とれ、時夜は頬を赤らめる。
「なるほど……窃盗の検挙率が低いわけだ」
 愚痴るように、照れを隠すようにつぶやく。
 午前二時半、奇妙な出会いがそこにあった。






============= 第二章 各人各様 =============






 平地に囲まれた小さな山の頂点に位置する県立豊跡とよあと高校。
 その通学路や ま み ち。通学以外に利用されない専用道路の脇に、一人の男子生徒が立っていた。
 上り坂が始まらんとするその開始地点で、
「来いよ悠里、今日こそ一緒に登校してみせるぜ」
 月峰時夜は通学カバンを片手に一人の少女――魅刻悠里を待っていた。
 時夜と悠里が出会って一ヶ月、二人は頻繁に話すようになった。
 が、決して恋人関係などではない。
 時夜の執拗なアタックに対し、悠里はソレを即答で断り、拒否し、遠慮し続けた。
 数にして二七回。食べ物を驕るデートの誘いであれば一〇〇の確率で成功するが、恋愛関係になろうという誘いはてんで駄目だった。
 不意に、一人の男子生徒が時夜に話しかけてきた。
「時夜、今日もなんだな。まぁ……頑張れよ。今六時だけど、登校時間八時だけど、今日も頑張れよ」
「おう、そっちも朝練がんばれよな。一人で坂登んのが寂しかったら、俺がどれだけ悠里のことが好きか語るけど、聞くか?」
 時夜は満面の笑みで返事を返す。
「勘弁してくれ、この一ヶ月で死ぬほど聞いた。朝練の、剣道のイメトレがしたくて仕方がないくらいさ」  
 苦笑いを浮かべ、学友は坂を上り始める。
「剣の道がんばれよ~」
 時夜はその背を見送って、一人楽しそうに悠里を待つ。
「さて、今日は当たるかねぇ……」
 時夜はこの一ヶ月で思い知ったことがある。
 それは魅刻悠里という女子がとにもかくにもマイペースだということだ。
 彼女は登校時間や通学ルートをその日の気分で変える。当然のように変更するのだ。
 悠里に対し、待ち伏せが有効な場所はただ二つ。
 正門ルートか裏門ルートだ。
 豊跡高校は小さな山のいただきにある。
 学校への通学山道路は、山頂である学校を中心にして、正反対に一ヶ所ずつ。
 正門ルート。緩い斜面で通路が広く、道路整備のされた一般通学路。
 裏門ルート。急な斜面で通路が狭く、道路整備のない山道。
 時夜は『今日の悠里は正門ルートから来る』と判断し、緩い斜面で彼女を待ち伏せる。
「つーか、悠里が待ち合わせとかしてくれればなぁ」
 時夜は肩を落として愚痴る。
 魅刻悠里と待ち合わせが出来れば話は早いのだが、彼女は待ち合わせをしない。
 仮に待ち合わせても、まず間違いなく時間通りに来ない。
 時夜は一度、一緒に登校しようとしつこく誘い尽くし、彼女と待ち合わせたことがある。
 だが、悠里は当たり前のように遅刻した。というか来なかった。
 待ち合わせに遅刻したというよりも、朝起きれなくて、昼から登校したのだ。
 本人曰く『その日の夜にインターネットで面白いことがあったら、次の日は起きた時間が起床時間。欠席も持さない』とのこと。
 彼女が豊かな胸をそらしてそう言ったのを、時夜は胸を凝視しながら聞いていた。
「マイペースっつうか、ダメ人間だな、アイツ」
 魅刻悠里の人間性について批評を行い、
「まあ、悠里はキチガイだからな」
 と、時夜は納得したように笑ってうなづいた。
「時夜にだけは言われたくないなぁ」
 横から軽く小突かれる。
「よー悠里、おはよう」
「おはよー。昨日は早く寝たから早く起きちゃった」
 軽い挨拶を終えたところで、時刻は六時十五分。
 帰宅部の二人が登校するには早すぎる時間帯だ。
「久々に早起きしたし、早く学校に行って静かに過ごすのも良いよね」
 このように、魅刻悠里の登校時間は早いときは極端に早く、遅いときは昼を越える。
 一種の問題児的行動をなんの躊躇いもなく取る。
「お前、先生から怒られたりしねーの?」
「全然。だって、遅刻するときはちゃんと嘘つくもん。言い訳と演技は得意なのだぜ!」
 悠里は親指を立て「><」の表情で自身の悪行を自慢する。
 時夜は頬を緩ませ「コイツ可愛い」と小さくつぶやきつつ、
「んじゃま、ちょっと早いけど坂、登るか」
「Oh Yeah!」
 足並みをそろえ、二人はゆっくりと坂を登り始めた。
 数秒歩いて、 
「で、俺の初殺人に選んだ害悪ク ズが殺された事件の話がしたい」
 時夜は早朝に似つかわしくない話題を切り出した。
 二日前の夜、豊跡高校二年C組の男子生徒四人が殺されるという事件が起きた。
 翌日朝には『男子生徒四人猟奇殺害事件』と銘打たれ報道された。
「昨日からそればっかりだね。そんなに標的を殺されちゃったことが悔しいの?」
「超悔しい。昨日殺すつもりだったのに、学校来て『アレ? アイツらいなくね? → 昨晩殺されました』だぜ? どんな性典の癖歴だよ」
「青天の霹靂ね。その字面だと性癖本の歴史になっちゃうからね」
「文字でボケたくなるくらいにやってられねーってこった」
 ぶっきらぼうに言う時夜。
 悠里は頭に指を当てて、
「うーん。自分の手を汚さずにすんだんだから、喜ぶべきことだと思うんだけど?」
「わかってねーなー。『害悪排除ク ズ ご ろ し』は自分の手でやんなきゃダメなんだよ」
「ふーん。で、事件の詳細調べたんだっけ? どんな感じだったの?」
「報道を見る限り、佐田、今村、梶原は公園で刺殺、撲殺、斬殺されて、斉藤力也は自宅で銃殺されたって話だ。四人全員を殺すまでにかかった時間はおよそ一時間。犯人の人数は不明だが、動機は金って推測されてる。俺は『金はカモフラージュで、俺と似た考えの持ち主が一人でやった』って思ってる」
「犯行に一時間かけてるところを考えると、私も犯人は一人説に賛成。お金に関しては、報道だけじゃ何が真実かは判断できないね。それで、もし犯人の動機が『クズだから殺した』って話だった場合、時夜はどう思うの? 仲間が出来て嬉しいのかな?」
「全然。むしろ逆、ぜってー許さねえ」
 時夜は呆れたように唇をとがらせた。
 悠里は不思議そうに首をかしげる。
 時夜はムスっとした表情のまま、
「思うに、この犯人は『殺すこと』が目的なんだ。四人の死因、全部違うだろ? 斬って、殴って、刺して、撃ち殺してる。
 俺だったら全員同じ方法で殺す。
 一回の犯行でわざわざ違う殺し方をする意味も理由もメリットもない。だけど、この殺人犯は全員違う殺し方をしてる。ってことはきっと『殺すことそのもの』に価値を見出しているんだ」
 時夜がふてくされたように話すのを聞いて、悠里は納得したように手を合わせる。
「そっか、時夜の場合は『殺した結果・ ・、より楽しい明日が手に入る』って考えで人を殺そうと思ってるから、殺人そのものは機械的で良いんだ」
「そゆこと。だから、バリエーションを変えて殺すだなんて、そんな楽しむような殺し方は理解できない。だって人殺しだぜ? それ自体は決して楽しむべきものじゃねーだろ?」
「そこは同意。でも、私の場合、殺すときに効率ばっかり考えてるから、職人的な殺人技術への充実感は求めてるかな。殺人が上手くいったら気分が良いというか、楽しい気持ちになるし」
「殺人は楽しくて良いと思うぜ。敵を殺すことによって人生から障害が取り除かれるわけだから、楽しくて当然。俺が言いたいのは『殺す最中を楽しむのがどーかと思う』って話さ。まあ、もし犯人の思想が俺と同じような害悪排除ク ズ ご ろ しだとしたら、俺が殺すべき相手は何にも優先してそいつになる。理由なんかない。ただの嫌悪。上手く言葉に出来ねーけど、なんつーか『引っ込め、俺に殺させろ!』って感じだ」
 眉間にしわを寄せる時夜。
 気持ちを上手く言葉にできず、もどかしそうにする。
 悠里は冷静な表情で、
「『思想を持って人を殺す』のはマイナーな在り方だから、その行為を自分だけで独占したいのかもね。他の人がしないことをするのは、それ自体に希少価値があるっていうし」
「なるほど、そういう心情はあるかもしれねーな」
「とりあえず正門が見えてきたし、物騒な話は終り。昼休みにまた、寂しがり屋の時夜に付き合ってあげるよ。じゃ、私は食堂に大事な交渉をしにいくから」
 悠里は敬礼の真似事をしつつ、正門をくぐり、食堂の方へ向かっていった。
 時夜はその後姿を見やり、踵を返して、登ってきた坂を降り始める。
「……早い日は、コンビニで立ち読みでもしねーと暇すぎんだよなぁ」
 時刻は六時三十分。
 朝のホームルームはまだまだ先だ。








 豊跡高校二年A組。
 あと五分でホームルームという頃。
「時夜、面白いニュースを聞かせてやろう」
 時夜の肩を叩き、クラスメイトの猪狩明道が話題をふってきた。
「一昨日、二年C組の斉藤、佐田、今村、梶原が殺されたそうだ」
「もう皆知ってるっつの。つーか、お前昨日なんで学校来なかったんだよ? 左腕に包帯巻いてるし、眼鏡まではずして……イメチェンか?」
 いつもと雰囲気の違うクラスメイトに、時夜は訝しげな視線を送る。
「俺も高校生だ。見た目くらい時期よって変わることもある。左腕はアイドルのダンスをマネして転んで盛大にぶつけただけだ。
 それより、四人が死んだニュースだ。
 俺は昨日学校に行く前にそのニュースを知ったからな、それを調べるために自主休暇を取った。
 同じ学校の人間が四人も死ねば当然気になるだろう? 
 それに一ヶ月前、駅前では他校の男子高校生が六人も殺されている。男子高校生だけが短期間で十人も死ねば、同じ男子高校生として身の危険を感じざるを得ない。何が起きているのか把握しておくべきだろう?」
 明道は中指を眉間に持っていく。だが、眼鏡がないためそのまま眉間を押してしまう。
 時夜は苦笑いで明道を見つつ、
「……男好きのキチガイでもいるのかねぇ」
 視線を左上に向け肩をすくめる。
「未成年好きと考えれば、趣味の偏った女性かもしれん。いや、むしろ男性であった方が話としては面白い。最近の男性は男好きが多いからな」
 明道は嘆く。
 時夜は腕を組み、
「何にせよ、放課後はすぐに帰宅した方がよさそうだな。で、明道は二年C組の四人が殺された事件、先月の男子六人が殺された事件と合わせてどう見てるんだ?」
 明道も同様に腕を組み、
「俺は『一ヶ月前の男子高校生六人の殺人事件と一昨日の四人の殺人事件は関連している』という世間の見方とは違う見方をしている。先月の事件は芸術的な斬殺だったの対し、一昨日の事件は猟奇的で殺し方が多彩だったらしいからな。かかわった人数はわからないが、違う人間が殺人に関わったのは確かだろう」
 明道の言葉に、時夜は眉をひそめる。
「芸術的な斬殺ってのはどこの情報だ? 初めて聞いたぜ」
「ネットだ。第一発見者が通報する前に死体の撮影をした奴がいたみたいでな。
 ネットの片隅に死体の画像が落ちていた。斬殺の跡を見る限り、先月の六人は機械に殺されたのではないかというくらいに、的確に急所を狙われ命を絶たれていた。
 豆腐を切ったのではないかというくらいに、殺傷の跡が綺麗だった。
 そんな斬殺犯が二年C組の男子四人を殺すのに一時間もかけるとは到底思えない。関わった可能性はあるが、報道で『猟奇』と謳われていることを考えると関係は薄いと見て良いだろう。
 先月のは芸術、今回のは猟奇。この差は圧倒的だ。それで、時夜は二つの事件をどういう風に見てるんだ?」
 明道は事件についての感想を語り終え、時夜に感想を促す。
「俺が興味あるのは犯人が『どういう思想でどんな人間を殺したのか』ってとこだな。ネットの掲示板とか見ると、どっちの事件も殺されたのは『不良』だったって話だ。
 それぞれの事件の犯人が違うのなら、『似ているけれども決して一致することのない思想』で人を殺した可能性がある。俺はその『思想の違い』に興味があるな。どっちも殺人犯だけど、そこに至る過程とか殺し方の違いってのはやっぱ『その人間の本質』が関わってるだろうからさ。犯人が何を考えているのか、興味本位で知りてーな」
「なるほど、時夜らしい感想だ。着眼点が思想ということは、それだけお前は人間に興味を持っているのだろう。俺にはないものだ。もしその違いがわかったら教えてくれ」
 言葉と同時にチャイムが鳴る。
 時夜は思い出したように、
「それはそうと、例のカンニング補助代、やっぱちょっとだけ負けてくんない。一万四〇〇〇円+延滞料はキツイって」
「断る。払え。そもそも、お前は俺に頼らなくとも欠点など取らないだろう。彼女が出来たのかなんだか知らないが、急に勉強しなくなったな」
「え? 彼女? あー、うん、彼女だよな。うん、悠里はぁ~俺のぉ~カノジョぉ~ぐへへへへ」
 時夜は緩い表情で体をくねくねとさせる。
「……何も言うまい」
 明道は数歩退いて、自分の席に戻った。
 今日が始まった。








 三限目。
 本来なら教室で授業を受けているはずの猪狩明道は、なぜか物理教室にいた
「すみません。休憩中にお呼びして」
 そう言って自称美人物理教師――倉田物成に頭を下げる。
「構わないよ。超常現象についての質問とあらば、教師の雑務なんて余裕で後回しだ。それで、何を聞きたいんだい?」
「この模様を見ていただけますか?」
 明道はポケットから四つ折りにした紙を取り出し、開き、その模様とやらを倉田に見せる。
 紙には奇怪な紋様が描かれていた。
「この模様が何かを知りたいんです。おそらくですが、超常現象と関係があると思います。一昨日の夜、涼むつもりで外を散歩してたらこの模様の光を見かけたんです。
 信じられないと思いますが、こう、宙に模様と言うか、緑色の光が浮いてて、そのあと凄い勢いで消えたんです。
 それがもし超常現象と関係があるなら、本当にお金になるかもしれない。
 ネットや県の図書館ではそれらしい資料を見つけることができませんでした。
 先生がこの模様について何か知ってたら教えてください」
 訊ねられた倉田は両手の人差し指で左右のこめかみを押し込み、うーんうーんとうなる。
 しばらくうねった後に、
「思い出した! そう、文化財センターで見たんだよ、この模様」
 指をぱちんと鳴らし、知っている情報を話し出した。
「一昨日話した県の埋蔵文化財センターの話を覚えてるかい? あそこに展示されている文化財の一つに水晶があって、その水晶にこれと同じ模様が刻まれてたよ。資料を見せてもらったんだけど、『狩猟の成功を祈願する祭具である可能性がある』って話だったよ」
「『可能性がある』ということは、確定ではないんですか?」
「うん。大学の教授と連携をとって調べてみたらしいけど、大昔、この地で狩猟を行っていた頃のモノって事以外は全部が推測のレベルでしか語れないそうだ。
 局長曰く、同時に発見された石版に『人』を中心にして『目』『鼻』『耳』『太陽』が描かれていたことと、時代背景と狩猟が上手くいっていたという歴史的な資料や事実から、
 狩猟をサポートするための道具、もしくは信仰の祭具だと考えられるんだってさ。
 超常現象好きな僕としては、狩猟を円滑に行うために目、鼻、耳を強化するアイテムだったって考えたいけどね。
 なんせ水晶に紋章が刻まれてるんだ。その水晶が超常現象を引き起こすものだったと思うほうがロマンがある。
 おっと、『科学的じゃない』なんてつまらないことを言わないでくれよ。起こり得た現象が全てに優先して、それを数字と論理で解き明かすのが科学。現象に対して起こり得ないだなんていうのは暗記バカの言うことだ」
 倉田は楽しそうに、長々と説明をしてくれた。
「ありがとうございます。狩猟に関係するものだったなら、紋章が過去を忍んで夜の豊跡をさまよっていた、と思えば納得できなくもありません。ええ、実にロマンのある話です」
 明道はやれやれといった様子で肩をすくめ、
「思ったより、超常現象というのは面白いですね。今度、文化財センターに行ってみます」
「その紋章、センターでは狩猟の紋章って呼ばれてるみたいだよ。僕も超常現象に関係してると思ってるから、何かわかったら教えてくれ」
「はい。もし何かわかればお伝えします。では、怪しまれないうちに教室に戻ります。腹痛にしても、帰りが遅すぎると疑われてしまいますからね」
 明道は席を立つ。
「ところで明道、左腕の包帯と、眼鏡を外したのは何でだい? ケガ? イメチェン?」
 明道を見上げ、倉田は尋ねる。
 明道は視線を斜め右下に向け、頭をかきながら、
「左腕はアイドルのダンスをマネして転んで盛大にぶつけただけです。眼鏡を外したのはコンタクトの方が良いって好きな女の子に言われたからですよ」
「明道は恥ずかしげもなく言うから、ホントか嘘かがわかりにくいな。ま、疑って意味のあることでもないし、話はこれでおしまいにしよう」
 会話を終え、二人は物理教室をあとにした。








 午前十一時。
 住宅街。
 斉藤力也宅付近。
「ご協力ありがとうございました」
 そう言って、一軒家からスーツの女性が出てきた。
 見たところ二十代半ばといったところ。若さに満ち溢れた眼差しをしている。
 女性が住宅路に出ると同時に、一台の車がやってきて、女性の前で停まった。
 ウィンドウが開く。
「昨日できなかったぶんの聞き込み。こっちは全部終わったぜ。そっちは?」
 分厚い男性の声が女性に問いかける。
「こちらも全部終わりました。署に戻りましょう、課長」
 女性はドアを開け、助手席に座る。
 車は署とやらを目指して発進する。
「こっちは収穫ナシ。そっちはなんか新しい情報あったのか?」
 運転席。角ばったジャガイモのような顔をした男性が話を切り出す。
 見たところ三十代後半、精悍な顔立ちだが、眼差しはややグロッキーである。
 男性もスーツだったが、ネクタイはしていなかった。
「ないですね。誰一人目撃者も、不審に思ったこともなかったそうです」
「となると、現場に残った情報と被害者の交友関係から出てくる証言とかが頼りだな」
「このあとの捜査会議で新しい情報来ますかね?」
「たぶん来ねぇだろうな。出るのは『殺されたヤツが周りから好かれてなかった』って話だけだろ。
 さっき鑑識に聞いた。
 いつもどおり『過去の豊跡市内未解決殺人事件の犯行現場に残った靴跡と全て一致しない・ ・ ・ ・ ・』『犯人が捜査かく乱のために撒いたと思われる複数の髪の毛があった』だとよ。
 ひでー殺し方は一致するが、現場に残った証拠がちっとも一致しないパターン。
 銃殺ってことで狩猟免許持ってる人間を片っ端から洗ったが、これまたいつもどおり全員シロ。ここ数ヶ月、店舗、ネットで購入された『犯行に使われたものと同じ銃弾』の行方にも不振な点はナシ。
 めんどくせーけど、『猟奇ヤ ツ』だ」
 男は憂鬱そうに溜息をつく。
 女性も同じく溜息をつき、
「やっぱ『猟奇ヤ ツ』ですかぁ~……また胃がキリキリする日々ですかぁ~。もう無理ですって、犯人人間じゃないんじゃないですか? 
 定期的に人を殺して目撃も証拠も残さないっておかしいじゃないですか。全国の殺人検挙率が九五%くらいなのに、『猟奇ヤ ツ』のせいで私の大好きな豊跡市の殺人検挙率六二%ですよ。
 もうアホかって話ですよ。
 えーえーマスコミにもテレビにも散々無能扱いされましたよ! 県警からも所轄の私らがクズだのなんだの言われましたよ! 
 それなのに『猟奇ヤ ツ』は殺されるべきクズを殺しているとかでネットじゃヒーローだったりしますよもう!」
 泣きそうな声で訴える。
「今年ペースはやくないですか? いつもだったらもうちょい間隔空けるのに、なんで先月六人、一昨日四人で十人も殺しますかねぇ……」
 女性は言葉に力を込め、嫌味を言うような声音でぶつくされる。
 男性の眉がピクリと動く。
「ちょっと待て。九道……てめぇ管轄が違うからって、事件の詳細ちゃんと見てなかったな? 先月と昨日の事件は殺し方が明らかに違うから犯人は別人だぞ」
 男性は覇気のある低い声で言う。
 九道と呼ばれた女性はびくりと肩を震わせ、
「えっ、そうなんですか!?」
「『えっ、そうなんですか』じゃねえこのヒヨッコ!」
「うぎゃっ!?」
 男性は小さめに怒鳴り、九道の側頭部を小突く。
 痛かったらしく、九道は涙目で側頭部をさすりながら頭を下げる。
「す、すみませんでした。で、その……詳細教えてください」
 謝りながらお願いする。
 申し訳なさそうにちじこまり、顔の前で両手の人差し指を合わせている。
 男性は「ったく」と不機嫌そうにしながら、
「先月の事件は『死体の切り傷が芸術的に綺麗だった』ことと『殺された男子生徒以外の血液、指紋があった』こと『被害者が不良だった』ことから『機械ヤ ツ』の犯行で、『救われた誰かがいた』っていう見方になってる。んで――」
「――すみません、『機械ヤ ツ』ってなんでしたっけ? ド忘れしちゃいました!」
 会話をさえぎり、九道は手のひらを正面に突き出し、正直にそう言った。
 男性は脱力し、
「……萎えた。自分で調べろ」
「そ、そんなっ!」
「刑事たるもの、自分で調べる能力も必要なんだよ。あとでテストな。答えられなかったら南署の刑事課全員にメシ驕れよ」
「のぅ! ヤです! 若者なんでお金ないです!」
「じゃあ、勉強するこったな。これを機会に、『機械ヤ ツ』と『猟奇ヤ ツ』の資料を五年~八年分、じっくり読み込んで来い」
「うぅ……麻生課長のスパルタオヤジ~」
 九藤は泣きつくような声でうなだれる。
 その後も九道は説明を頼んだが、麻生なる男性が答えることはなった。








 県立豊跡高校。昼休み。
「せいっ、は……っ!」
 炎天下の中、月峰時夜は屋上にて訓練に励む。
 片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを用いた近接戦闘演習。
 誰もいない空間に仮想の敵を想定し、斬りと突き、時に拳打を交えて想像上の殺人をこなしていく。
 短刀操作、空手技術、ともに独学。
 魅刻悠里に教えを請うたものの、最低限の事しか教えてもらえなかった。
「最低限でも、教えてくれるだけありがたいんだけどな」
 深呼吸、教わったことをつぶやくように反芻はんすうし、再現する。 

壱 殺すべき標的に接近し、

弐 狙うべき焦点を目測し、

参 一撃で斬り殺す。

 それが悠里に教わった殺し方きほん
 余裕があれば、二撃、三撃でより確実に止めを刺すのもアリとのこと。
「なあ悠里、アタマで仮想イメージする敵は確実に殺せるようになったんだが、実践で一撃必殺なんてできんのか? 素人意見で悪いんだが、ナイフで一撃必殺なんて無理じゃねーか?」
 時夜は借りたナイフを見つめながら問いかける。
 問いかけた先、ナイフの持ち主である悠里は、
「へ、らに? ひまマぐお食べへるからひほがしい」
 と言い、小皿に載ったマグロの刺身をぱくぱくと、それはもう至上の幸福の最中であると誰が見てもわかるように、にこやかに食べていた。
 小皿の刺身を食べ終え、傍らに置いたクーラーボックスから『新たなマグロの刺身』を取り出す。
 幾度となく食堂に交渉し、調理師と友好関係を築き、五人前のマグロの刺身を予約した成果がここにある。
 胸ポケットからお気に入りのさしみしょうゆを取り出し、垂らし、胸ポケットにサッと戻す。
 流れるような無駄のない動き。
「すまん、自分で考える」
 時夜は壱、弐、参を繰り返し、仮想演習を続けた。
 後ろで「いや~ん、マッグン超おいし~大好き~」などという甘ったるい声が聞こえ、時夜の顔が一瞬にやけそうになる。
 が、思考の冷徹化につとめるように表情を固めて、鍛錬を継続する。
 数秒あれば鍛錬に集中できるようで、時夜は教わった行動を機械の如く、同じ速さ、力量、速度で繰り返す。
 感情を殺したように、決められた行動を決められた労力で遂行する。
「つーか、どれだけ即死を狙っても、痛みはゼロじゃないよな」
 壱、弐、参を繰り返し、
「……今の俺じゃ、無理か」
 肩を落とし、瞼を瞑る。
 瞼の裏に、先月の殺人風景が映し出される。
 一ヶ月前、月峰時夜の心を焦がして止まなかった魅刻悠里の芸術さつじん
 まるで静止したときの中を奔るように、銀の軌道だけが鮮明だった。
 彼女に『敵』と定められた者が、確定した絶命に向かって時を刻む畜生に成り果てる様を見た。
 時間を数えようとしたときにはもう、絶命を終えている。
「そんな、刹那の殺人だったよな……アイツら、殺されたことにも気づいてないように見えたし」
 時夜の身体が震える。
 瞼を開けると、日差しはなおも暑く照っていた。
「何時思い出しても……俺の嫁は綺麗過ぎる」
 そういって見やった意中の相手はマグロの刺身五皿を完食し、時夜のお金で買ったペットボトルのお茶を飲み、幸福に浸っていた。
「はーあたしゃー満足だよー。んで、時夜、何か用?」
「いや、自己解決した。悠里先生と俺とでは、技術と経験の差が圧倒的らしい。ま、愚直に努力するわ」
 時夜はそう返答して、基本の拳打、斬り突き、壱弐参を繰り返す。
 悠里はそんな時夜の姿をぼーっと眺め、
「そういえば時夜の『より楽しい明日のために害悪ク ズを殺す』っていう考え方について質問があるんだけど、より楽しい明日って、人を殺さなくても手に入るんじゃないの?」
 時夜は鍛錬の手を緩めず、
「考え付く限り、自分の幸せは求め、実践し尽くしたさ。で、もっと楽しく生きれたら良いよなって考えて、害悪排除ク ズ ご ろ しだけが残った。俺がこれ以上楽しむためには、俺以外の人がもっと楽しく生きて、世の中を面白くしてもらう必要があると思った」
「でも、人がより面白いものを生み出すためには、反面教師としてその害悪ク ズっていうのが必要なんじゃない? 害悪ク ズに出会って散々な想いをしたからこそ、強い心、魂、信念、執着を持つって考えることも出来る。世の中の凄い人って、結構幼い頃のトラウマを元に強くなってたりするじゃない?」
「言うとおり、そういった経験で強い意志を持つことは大事だ。
 だけど害悪ク ズがそのまま生き続けてるってのが気に食わない。
 誰かに強い動機を与える意味ではある程度害悪ク ズも必要だろうさ。
 けど、世の中害悪ク ズが多すぎんだよ。無限にいるなら、俺個人が目に見える範囲で何人、何十人の害悪ク ズを殺したところで、この世に生れ落ちた害悪ク ズの総数からいえば誤差の範囲だぜ」
「誤差なら、害悪ク ズを殺す意味はないんじゃない?」
「意味ならあるさ。俺が幸福を感じることができる……はずなんだ。俺は正義で動くわけじゃない。
 害悪ク ズが消えることで、世界がより面白くなる可能性に賭けてる。今までは倫理的、常識的に挑むことができなかった。
 でも、挑むだけの、挑んでみたいと思わせるお前に出会った。まあ、なんつーか、お前に惚れたから、自分を貫いて戦ってみたいんだよ」
「なるほど、わからん。まあ、自分が正しいと思ったんなら、最後まで貫けば良いよ。あ、私は時夜のこと好きじゃないから、そのへんはドンマイ」
 にこやかに言う悠里の前に、時夜の鍛錬の手が止まる。
 額の汗をぬぐい、
「……恋も理想も、困難な方が生きがいになるってもんだ!」
 負け惜しみのように、強がるように言葉の抑揚をあげ、鍛錬を再開しようとナイフを構える。
 一息吸い、腕を振りかぶって、
「――月峰君、いますか!」
 屋上のドアが勢いよく空けられた。
「いっ――っ!?」
 時夜は背後からした声と音に肩をびくつかせる。
 慌てて手に持った凶器を隠そうとして、
「……ない?」
 それが自分の手にない事に気づく。
 確かに握っていたはずのナイフがない。
「あらま火憐。どーしたの?」
 時夜の真横から悠里の声がした。
「ちょっと月峰君に用があって」
「何かやらかしたの、時夜?」 
 悠里はジトっとした横目で時夜を見て「ちゅういぶそくだらしない」と小声で毒づいた。
 その手にはナイフが隠すように握られており、突如現れた女子生徒、吸坂火憐からは死角になっている。
「えーと、俺、何かしたっけか?」
 思い当る節がないというように、時夜は頭をひねる。
 火憐はむすーっとして、
「カンニングをしました」
「あー……」
 時夜は過去の行いを思い出し、気まずそうに声を漏らす。
「いや、その、悠里のことを考えてたら勉強とか超どうでもよくなって、でも、勉強しなきゃいけなくて、そんでもって、お金で点数買えるならラクだなーと思って、つい」
「ついでやって良いことではないですよね」
 火憐は口を膨らませ、指を突きつけてくる。
「いいですか月峰君。貴方一人は『カンニングで点数が取れた。欠点をまぬがれた。万歳』それでいいかもしれません。別に貴方一人にしか影響が出ないのであれば、カンニングのするしないは貴方の人生において貴方が判断したことだから、私は文句を言いません。
 ですが、ここは学校、共同生活の場です。貴方がお金で点数買うことで、成績の順位などが本来あるべき正しい順位ではなくなります。
 また、他の生徒もお金で点数を買いたい、などとなってしまえば、モラルが崩れてしまいます。一度モラルを失ってしまうと、他のことでもモラルを失ってしまう可能性があります。そういった人が増えると平穏が乱れてしまいます。それはダメです。
 カンニングについてもう一つ、別の話をしましょう。
 例えば大学入試でカンニングをした場合、貴方は本来受かるはずだった誰かを蹴落として受験に合格することになります。それは貴方にとって心をまったく痛めない出来事ですか? 最低な行為だとは思いませんか? 
 月峰君がそこまで考えた上でカンニングをするのなら、私は止めません。
 ただ、現場を押さえるのみです。
 所詮カンニングかもしれません、でも、私にとってはされどカンニングです。
 平穏は一瞬で崩れます。小さなモラル崩壊でも、共同生活の場を崩壊に導くリスクは消すに越したことはありません」
 火憐は雄弁に語り、自身の主張を述べた。
 時夜は頭をかきながら、
「正論だ。いや、悪かった。そういう見方もあるよな。わかった、カンニングなんてもうしねーよ」
 すまなそうに、素直に頭を下げて謝罪した。
 火憐は瞳を輝かせ、時夜の手にぎって、
「おおおおおおおお!? どうしたんですか月峰君!? 今回はとても素直じゃないですか! 
 今までは猪狩君よりもひどくしつこい屁理屈をこねて私を困らせに困らせに困らせたのに、今日はまるで政治家のように態度が反転、逆転、くるりんぱじゃないですか! 
 いやはや、私の言葉がついに通じたんですかね! うんうん! きっとそうですね! 
 いやー、貴方ならわかってくれると思ってました! 
 ここでちゃんと『ごめんなんさい』が出来た貴方なら、きっと今後の人生でもヘンな誘惑に負けることはないでしょう! 月峰君の今後の人生を応援します! 
 悠里との関係も応援します! 頑張ってください!」
 捕まれた時夜の手が上下に勢いよく振られる。
「では、用事はこれだけなので失礼します。悠里、月峰君が改心したからデートしてあげてね。以上!」
 吸坂火憐は己の目的を達成し、スキップしながら屋上を去っていった。
「火憐、元気だねぇ~」
「ああ、こう、歳相応の若さってああいう感じなのかな」
「きっと正論を言えるから若いんだよ」
「納得」
 残された二人が年寄りめいた会話をする。
「まあ、デートしろってことだし、今日の放課後はらぶらぶデー――」
「――らぶらぶ抜きでアイスおごってくれるならいいよ」
 邪気のない笑みで、悠里は時夜にデートの条件を突きつける。
 時夜は財布の中を確認し、
「……マカセロ」
 夏の日差しがじりじりと屋上を焦がす。








 昼休み。時夜が火憐の説教を受けていた頃。
 職員室から最も遠い美術室。
 その手前に設置されたトイレに、
「ふー。でなぁ――」
 薄い煙が漂っていた。
「へー。はぁ――」
 煙草を吸う三人の男子生徒がそこにいた。
 夏服をだらしなく身体に着せている。
「ぷはー。そうそうー」
 トイレのドアが開かないように掃除用具で固定し、喫煙に浸る。
 昨日見たテレビの話、万引や盗撮自慢、他人の悪口、聞くに値しないどうでも良い話に彼らは花を咲かせる。
 煙でつながれた友情があるのか、彼らはお互いの話に興味心身で、どんな話をしても楽しそうに笑い、煙を吐く。
 三人のうち一人が、
「なあ、強姦レイプに興味ねえ?」
 唐突にそういった。
 残り二人は一瞬固まって、
「犯罪じゃん」
 と笑い飛ばした。
 発案者は携帯を取り出し、
「これ、水泳の授業を盗撮した奴なんだけど、ほらこの、超ヤリたくね?」
「うわ、勃ったわ。おっぱいでっけえ!」
「尻もいいわ。やべ、抜きてえ」
「だろ? だからこの娘を襲って、中にビュッビュッってしたいじゃん」
「……でもどうやんの?」
「だな、すっげーレイプしたいけど、方法がなぁ」
 三人は頭をひねり、策を出し合う。性欲の捌け口を求め、写真の女子生徒の強姦計画を真剣に練る。
 より具体的に、より成功率の高い犯罪を目指し、計画の現実性を高めていく。
「必要な道具はこれぐらいで、かかるお金がこれぐらいか……へへっ、イケるわこれ」
「つか、この娘処女かな? 処女をレイプできたらオレ逮捕されてもいいわ」
「写真とか動画を撮って脅したら何度も犯せんじゃね?」
 犯行への妄想を広げる三人。
 真剣に計画を練りすぎたせいか、トイレの奥、なぜかしまっていた個室が開いた事に気づかなかった。
 音もなく静かに開いた個室から、人影が露になる。
 一歩一歩、確実に人影は三人に近づいていく。
 三人は未だ気づかない。
 携帯の盗撮写真――女子生徒のスクール水着姿――を食い入るように見つめながら、三人は強姦の願望を実現させようと、さらに案を練る。
 人影はナイフを取り出し、振り上げる。
「今まで出た案で一番良いのは、やっぱ家までつけて、ドアを開けた瞬間に――」
 男子生徒の声が止まった。
「ドアを開けた瞬間になんだよ、はやく言えよ」
「言うまでもないってことだろ? つまり、そっから――」
 声を止めた一人の回答を待たず、二人は会話を続ける。
 想像の強姦現場に興奮し、声の抑揚は止まることを知らない。
 携帯画面のスクール水着の女子生徒を食い入るように見つめ、吐息を吐きかけ、服の上から自身の股間を愛撫する。
 その背後で友人が一人心臓を突き刺され倒れ伏しているという事実に気づくことなく、なお、強姦の計画に熱を込める。
「そういや、この娘なんて名前なの?」
「この写真じゃ名前が見えないな。他の画――」
 そしてまた一人、音もなく絶命する。
 正確に言えば、一人目が絶命した瞬間から多少の刺殺音が出ていたが、写真の女子生徒に夢中になっていたせいか、男子生徒達は気がつかなかった。
「次、次、次、あった、わかったぜ! ってあれ?」
 写真からふと目を逸らし、名前がわかったことを報告しようとして、
「満足イクまで妄想出来たか?」
 知らない男子生徒に話しかけられた。
 軍手を装着し、夏服の左袖を肩までまくりあげている。
 左肩から腕にかけて、奇怪な紋様が刺青のように入っている。
 右手には赤に染まったダガーナイフ。左手には――。
「本来なら雄の機能を殺すんだが、世の中には表現規制というものがあるからな。右手の恋人と別れてもらった」
 刺青の男子は右手を二つ放り投げた。
 赤く染まった二つの右手が、男子生徒の頬に当たる。
「ひっ――」
「おっと、声を出すなよ。大声を出すなら殺す前に斬り落とす」
 ナイフを向けられる。
 男子生徒は喉の動きがわかるように息を飲み、押し黙る。
 周囲を見渡してみると、左胸を真っ赤に濡らした友人二人が倒れていた。
 口元に血がこびりついている。
 口を押さえつけられ心臓を突き刺されたのなら、確かにそうなるかもしれない。
 犯人は刺青の生徒で間違いないだろう。
 男子生徒は震えながら両手を上げ、
「こここ、殺さないでくれ」
 命乞いをした。
「何だ、お前は殺される覚えがあるのか?」
 刺青の殺人犯は、血のついたナイフと男子生徒を交互に見やりそういった。
「へ?」
「おかしいな。俺はお前を知らない。たった今、ここで初めてお前の顔を見た。なのにどうして、俺はお前を殺すんだ? いや、なぜ俺がお前を殺すと思っているんだ? そもそも俺は、個室で一人、お気に入りの紋……刺青を眺めていただけだが?」
 殺人犯は楽しそうに問いかける。
 男子生徒は少しうつむき、目を閉じる。
 数秒そのままで、
「ない。そうだ、俺には殺される理由がない。そこの二人にはあったかもしれない。でも、俺には殺される理由がない。アンタが殺したことを誰にも言わないから、俺をこのまま逃がしてくれ!」
 男子生徒は汗をにじませ、頬から垂らしてそう答えた。
「お前がそういうのなら、そうなうなんだろう。よかろう、お前がこのことを口外しないと信じる。携帯を置いて、三秒以内にここから去れ」
「は、ははッ――!」
 引きつった笑みを浮かべ、男子生徒は指示通り携帯を置き、反転。
 ドアへ駆ける。
「!?」
 しかし、入り口のドアは簡単に開かないよう固定されている。
 ドアノブと室内上部の水道管がホースで結ばれており、トイレのドアは外側に開かないようになっている。
 男子生徒では水道管の位置まで手が届かない。手が届く一人はすでに殺されている。
 ドアノブ側のホースの結び目を解こうと試みた。が、思った以上に固く結ばれており、三秒で解くのには無理があった。
「三秒経った。視界から消えないのなら死んでもらおう」
 殺人犯はつぶやく。その口ぶりは、元々殺すつもりだったように感じさせる。
「ちっ、こうなったら……っ!」
 男子生徒はドアに体当たりを放った。
 全体重、命を守るための決死の突撃。
 ドアは前方に倒れるように壊れ、ホースに引っぱられ、弱々しく内側に引きずられる。
「っし!」
 男子生徒は壊れて横たわったドアを飛び越えて、外へ向かう。
「ぐぁ――っ!?」
 しかしトイレから脱出した瞬間、男子生徒の左肩に激痛が奔る。
 背面左肩、三角筋を貫くようにしてナイフが突き刺さっている。
 先ほど殺人犯が手にしていたのとは違うナイフ、投擲用の手投げナイフだ。
 男子生徒がよろけてうずくまる。
 殺人犯がトイレの中から出てくる。
 男子生徒は職員室方面へ向けて逃げようと向き直り、
 殺人犯はその行方を遮らんとダガーナイフを振り上げ、
「死ねるか!」「死ね!」
 嬉々として振り下ろされるナイフ。
 標的にされた男子生徒は体を横転させて回避する。
 立ち位置の関係上、男子生徒が横転できた方向は他の生徒や職員がいる教室や職員室側ではなく、誰もいない、いるはずもない行き止まり、美術室側だった。
 男子生徒は苦虫をつぶすような表情で唯一の逃げ場、美術室に入り込む。
 殺人犯は追わず、一旦トイレに戻り、盗撮画像が入っている携帯電話を拾い上げた。
「さて、誰を犯そうとしていたのか……」
 携帯電話の液晶画面をのぞく。
 そこには発育の良い女子生徒。その顔と胸と尻、全身図が複数枚撮影されていた。
「あぁ、時夜の彼女か。まあ、スタイルは抜群だな。だが、俺は画面の隅に写ってるつるぺたの火憐の方が……と、画像の堪能はあとでいいか」
 殺人犯――猪狩明道は盗撮画像の入った携帯をポケットにしまい、美術室へ向かった。








 美術室。職員室からもっとも遠い教室。
 猪狩明道はダガーナイフを片手に教室に入る。
 乱雑に置かれた机。
 散らばった水彩道具。
 デッサン用の石膏像などが目に映る。
「さて――」
 授業でもなければ、部活でなければ誰もいないはずの教室。
「――どうしたものか」
「ち、近づけばこいつを殺す」
 石膏像の横、人質・ ・を取っている男子生徒の姿が映った。
 先ほどまで左肩に刺さっていた投擲用のナイフを引き抜き、人質の首筋に赤に染まったナイフを当てている。
 男子生徒は震えながら、人質を盾にするようにして叫ぶ。
「ど、どっかいけ!」
 おそるおそるといった様子だ。
 明道はさほど気にした様子もなく、 
「運が悪いな、在素ありもと
 人質に話しかけた。
「まったくだ。俺は一人楽しく嫁を描いていただけなんだがな」
 在素と呼ばれた人質は不満を最大限に表す。
 側にはノートパソコンとタブレットが置かれている。
 画面にはお絵描きソフトが開かれており、可愛らしくも凛々しいアニメ調の女の子が描かれている。
 右手にはパソコンで絵を描くためのペンが軽く握られていた。
「しゃ、しゃべるな! 本当に殺すぞ!」
「お前の方こそ殺すぞ凡人モ ブ
 人質は空気を凍りつかせるような低い声でそう言った。
「お前が誰かは知らない。お前が誰かなんてどうでもいい。だが、俺の創作を邪魔し、俺が嫁と触れ合う時間を奪って……お前の方こそこのままただで済むと思ってんのか? あぁ……ムカつくんだよこのゴミクズ野郎!!!」
 人質は自らの首に当てがわれたナイフを左手で握り、奪い取り、振り向きざまに男子生徒を殴り飛ばす。
「……ほう、在素が怒るのを始めてみた」
 明道は「珍しい」と喜びながら、人質ではなくなった男子生徒――在素ありもと創一そういちの動向を見守る。
 創壱はナイフを力強く握り込んだ左手を見やり、舌打ち。
 手のひらに食い込んだナイフを引き抜き、逆手に持ち直す。
 殴り倒した男子生徒の胸倉を掴み、
「創作家にとって何よりも大事な手、俺の左手が俺の命ごときを守る為に怪我をした。この怒り、この殺意……死んで思い知れ!!!」
 ナイフが男子生徒の右眼球に向かって振り下ろされる。
「ぅ――がっ!?」
 男子生徒は痛みのあまり叫ぼうとしたが、即座に喉をわしづかみにされて発声を封じられた。
「しゃべんな凡人モ ブ。お前はもう死ぬんだよ、俺を殺そうとして正当防衛で殺されるんだよ。名前すら知られず自業自得で死ぬんだよ!!!」
 右眼球に突き刺さったナイフが勢いよく引き抜かれ、勢いよく左眼球に突き刺さる。
「でも安心しろ。俺は創作家だ。この殺人、表現の糧にしてみせる。あー感謝してやるよ。殺人は初体験だが、やっぱ創られた殺人劇よりも、実践の方が心を動かす最高の実体験だよなぁああああああ!!!」
 一突き、二突き、三突き、四突き、五、六、七、八、九、十……。
 右手で喉を握りつぶしながら、ひらすら顔面にのみナイフを突き立て続ける。
 虐殺のごとき私刑。
「手に伝わる脈の鼓動! ナイフを引き抜くたびに吹き上がる血液! 色! 匂い! 顔色変化! この感情ム ネの高鳴り! 追求するべき創作素材に魂を揺さぶられる! いいぞ! いいぞ! いいぞ! 死ね!!!」
 叫びながら、さらにナイフを突き刺す。
 男子生徒はとうに息絶えていた。
 創壱は死が確定した相手を見やり、
「十五秒! 俺の初殺人は十五秒か! 役に立ったぞ凡人モ ブ! さあ、服をはいでやる! 当然失禁してるよな? 絞殺っていったら失禁だよな! オーケー予想通りだ!
 そうだな、こういうときに尿の色や温度から殺した相手が何を食べていたのか、健康状態はどうなのかを描写できたりしたら、俺の表現は、俺の嫁を彩る世界の描写はさらに深まるよなぁぁあああああ!!!」
 狂ったように奇声をあげる創壱。
 狂気を越えた狂喜。
 明道は創壱の心底楽しみ狂う様を見て、
「実に素晴らしい殺し方だったぞ在素。君は本当に尊敬できる。ああ、上級生とはこうあるべきだ」
 拍手を持って賛辞を送る。
 拍手の音で我に返ったのか、創壱は急に大人しくなり、
「さて、逮捕されないためにはどうするべきか……明道、何か良い隠蔽方法を知らないか?」
 明道は肩をすくめ、
「隠蔽は知らんが、証拠の偽装は得意だ。任せてくれ」
 現場を見渡し、てきぱきと工作を行う。
 創壱のパソコンが置いてある机の横に他の机を持ってくる。
 その机の上に木材と彫刻刀を置く。
「創壱、この木材と彫刻刀に君の血を付けておいてくれ。
 君は周知の事実として、美術室を良く使っている。
 だから何かしら、捜査のために情報を求められることがあるだろう。
 確認する時間がないんだが、さっきナイフを握ったせいで、君の血液が床に落ちてしまった可能性がある。
 念のため『大好きな嫁を彫刻で表現しようと思った。
 が、いざやろうとして手を切ってしまい。萎えて、友人の猪狩明道と休憩がてら校内を散歩した。
 トイレでゲラゲラ笑う声がしたが、前々から煙草を吸う不良がいたことを知っていたので、触れず、そのまま校内をうろうろしていた』というシナリオにしておこう。
 より具体的な時間と二人の行動をあとで決める。
 証言の食い違いをなくすことは、逮捕までの時間を限りなく延ばせすことに繋がるからな。
 君なら大丈夫だと思うが、いつもと違う表情、人を殺してビクビクするような表情はするなよ」
「もちろんだ。そんな凡人モ ブみたいなことはしない」
「警察は優秀だ。捕まる可能性を考慮しつつ、いざ本格的に疑われたときのために、逃走手段、経路を練っておくといい。よし、制服についた血は水と絵の具で誤魔化して、とっととここを離れよう」
 工作を行い、二人は美術室を出て何事もなかったかのように校内を歩き回る。
 つい今まで殺人をしていたなどとは思えないほどに、二人は日常会話に華を咲かせる。
 二人の殺人犯は何事もなかったかのように昇降口付近の自販機の前に立ち、一人はウォータークーラーの水を、一人は自販機の炭酸飲料に口をつける。

――だ、誰か!!! 人が死んでます!!!

 遠く、美術室の方から聞こえた悲鳴を肴に、互い、好きな飲料を飲み下す。
「「ああ、旨い」」
 昼休み終了のチャイムが鳴った。








 時刻は午後三時。
 学校裏手のショッピングモール。国道沿いに一.五キロメートルにわたって建てられた県内最大規模の複合商店施設――豊跡タウン。
 市民からは『とっタン』と呼ばれ、豊跡高校の学生などは帰りにゲームセンターで遊んだり、飲食店エリアでご飯を食べて帰ることが多い。
 そんな豊跡タウンの休憩エリア。
 ベンチとテーブルが定間隔に設置された広い室内の片隅に、月峰時夜と魅刻悠里の姿があった。
 二人がけの小さな円形テーブルに、対面するように座っている。
「美術室前で殺人があったって噂、どう思う?」
 時夜は身銭をきって買ったアイスを悠里に渡しながら訊ねる。
「さあ? 事実が明かされない限り、何を考えても想像でしかないよ。それより、私はアイスを楽しみたいから面白くない話はだめー」
 悠里は渡されたレモンアイスをちろちろと舐め、幸せそうに頬を撫でる。
「りょーかい」
 時夜は半目でうなづき、バニラアイスを舐める。
 学校は急遽休校となった。
 詳しい事情は知らされず『学校運営上の深刻な諸問題に教員全員で対処するため休校にする』という校内放送だけが生徒には伝えられた。 
「よくわかんねー言い回し……」
 詳細は知らされていないが、もっぱら『美術室付近で殺人があった』とのウワサである。
 回りまわってきた話であるため、確認もしてなければ、殺人があったのかどうかさえわからない。
「考えても無駄だな。よし悠里、ゲーセン行こうぜ! 格ゲーだ格ゲー」
「いいよー。今日もボッコボコにしてあげる。あ、もちろん初回のワンコインは時夜のお金で」
「ひでぇ!」
「だいじょぶ! そのワンコインがあれば居座れるから!」
 事実、それから数時間、魅刻悠里はただの一度も格闘ゲームで負ける事はなかった。








 時刻は午後十時。ほぼ全店の営業が終了した豊跡タウン。
 裏側駐車場の外側に、月峰時夜と魅刻悠里の姿があった。
 あたりは真っ暗で、他の客は見当たらない。
 時夜の予定ではゲームセンターで遊んだら帰る予定だった。
 しかし、圧倒的無敗で格闘ゲームを満喫した悠里があまりにもご機嫌で、急遽デートの継続を申し出たのである。
 その珍事に驚きつつ、時夜は即答でデートの延長を承諾した。
 が、悠里の真意は時夜と一緒にいたいとかではなく、夕飯をおごって欲しかっただけだった。
 悠里は焼肉を驕って欲しいと言った。
 時夜は二つ返事をしようとしたが、財布の事情を考えて断った。
 が、悠里はあろうことか、体――主にその発育の良い胸の柔肉を時夜に押し合てて上目遣いで懇願してきたのだ。
 こうなれば時夜に拒否権などない。
 時夜は一切の不満なく、むしろデレにデレて、悠里との焼肉デートをガッツポーズで承諾した。
 結果、飲食店エリアの閉店時間まで焼肉食べ放題を堪能し、現在に至る。
「いやっはー。余は満足ぢゃ。ちこうよれ時夜、褒めて使わすぞい」
 口を「ω」の字にして時夜の頭を撫でる悠里。
 時夜は恥ずかしそうに、
「や、やめ……すんません、もっと撫でてください。もう存分に撫でてください」
「素直でかわいいのぅ~」
「お年玉と小遣い溜めてて良かった! ホントよかった!」
 頭を撫でてもらい、時夜は今にも昇天しそうな勢いである。
 俗に言うリア充がそこにいた。
 第三者が見れば誰もが爆発しろと言いたくなるような二人は、他愛ない会話をしながら、駐車場わきの歩道を歩く。
 あとは帰るだけだ。
 不意に、時夜の視界の傍ら、一台の車が駐車場に入り込むのが見えた。
「ん? 今の時間からここに来て何すんだ?」 
「映画じゃない? 確か深夜一時くらいまで映画やってたはずだよ」
「なるほど……金に余裕があれば、今からでも映画デートに持ち込めたのか」
「映画よりご飯おごってくれるデートの方が乗り気になるよ。うん、次は回らないお寿司屋さんとかが良いな」
「……小遣い降ろしとく」
 溜息を吐きつつ、時夜は「交際費……」と小さくつぶやき、遠くを見る。
「ってあれ? 今入った車、駐車場こんなにあいてるのに、何でわざわざすでに止まってる車の隣に止めたんだ?」
 映画を見に来たと思われる乗用車は駐車場奥、ポツリと止められていた一台の車の真横に停車した。
 停車して少し時間が経つが、車内から人が出てくる気配はない。
 しばらくして、ドアが開く音がした。
 同時に、下品な笑い声が聞こえた。
 悠里の表情が急に凛々しくなり、
「伏せて」
 声と同時に、時夜の膝がかくんと曲げられる。
「のっ――んぐ……」
 反射的に声を出そうとした時夜の口がふさがれる。
「しっ」
 耳元でささやかれ、時夜は正座のまま大人しくした。
 駐車場わきの歩道、駐車場よりも低い位置の路面から、不審な駐車をのぞき見る。
 同じ向きに止められた二台の車。
 悠里と時夜の位置からだと、もともと停車してあった車が手前に、さきほど停車したばかりの車の後部が奥にかすかに見える程度だ。
「何か作業してるね……車上荒らし、かな。人数は、二人」
 姿、体型、性別などは死角になって見えないが、車の下の隙間から、足の数だけは確認できる。
 小さいが、ガラスが割れるような音が聞こえた。
 周囲は道路、山、畑が多くを占めているため、通行人でもいなければこの音を聞いた者はいないだろう。
 近くに民家やマンションが数件あるが、たいして大きくないガラスの音が届いているとは思えない。
 聞こえたとして、確認する必要を感じるほど大きな音でもない。
「車上荒らし確定だね……見てみぬ振りをすれば、問題なくここを去れるね。時夜、見つからないように帰ろ――って、何不機嫌そうな顔してるの?」
「別に。いや、見てみぬ振りをするのが正解だけどよ、このまま車上荒らしが金品奪って得するのは腹立つぜ」
「じゃあ、通報すればいいよ。車のナンバーをチェックして、警察にトゥルル」
「……そうする」
 携帯を取り出す時夜。未だ作業を続ける二人組みの小さな作業音だけがこちらに響いてくる。
 気づかれないように顔を乗り出し、そのナンバーを覚える。
 そして一一〇番通報をしようと通話ボタンを押そうとしたところで、
「何してんの、オマエラ?」
 背後から呼びかけられた。
 時夜はハッとして振り向く。
 振り向いた先には視界を埋め尽くすほどの大きな拳。
「っでぇ!」
 直後、時夜の体は仰向きに浮き、背中から倒れる。
 殴られた拍子に携帯電話も宙に浮いたが、それは悠里がキャッチし、ダイヤル画面を切って、スカートのポケットにしまった。
「おーい。"トモダチ"が来たぜー」
 青年は何事もなかったかのように、軽い声を駐車場奥の不審な車に投げかける。
「あいよ、今行くー」
 同じように軽い返事が返り、車の影から一人、こちらに向けて歩き出す。
 どうやら相手は三人体制だったようだ。
「月峰君、大丈夫!」
 突然、とてつもなく女の子らしい仕草で悠里が時夜に近寄った。
「へ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げる時夜。
 悠里は尻餅をついた時夜を抱き起こすようにして、

――実践、する?

 そっと耳元でつぶやいた。

――覚悟が定まってるなら、貸すよ・ ・ ・

 時夜の肩がビクンと反応する。
 現状、月峰時夜の目の前に害悪ク ズがいる。
 他人の車を荒らし、金品を強奪し、目撃者を殴るという、確かな害悪ク ズが目の前にいる。
 仲間と思しき一人がこちらに向かっている。
 もう一人は車に乗り込んだらしく、犯人達の車は駐車場を出ようとしており、こちら側にウインカーを光らせている。
 時夜はそれぞれを見やり、
「殺すほどじゃ……ない」
 答えをつぶやく。
 それに反応して青年は「あ?」と、怪訝そうに眉をひそめる。
「てめーらは害悪ク ズだけど、殺すほどじゃねえ。奪ったものを素直に返して、なんか壊したなら修理代置いて、警察に自首するか家に帰れ」
 時夜は青年の目を見据えて言った。
 悠里はやれやれといった表情で「お優しいことで」とつぶやき、ジト目な視線を横にずらす。
「お前何言ってんの? おい聞いてくれよ仲居。こいつ、俺たちに自首しろとか言ってんだけど? 何もしてない、善良な俺たちに」
「へー、そいつは遺憾だなぁ。まことに遺憾だわぁ……名誉毀損だわぁ……訴えるわぁ」
 仲居と呼ばれた男が時夜達のもとへ到着する。
 ニヤニヤとしながら、手に持った赤い短棒状のモノ――自動車用の緊急脱出ハンマーで自身の肩を叩く。
「その制服、すぐそこの学校のだろ? 覚えた。殴んないでおいてやるから――ほら」
 手のひらを差し出してくる仲居。
 時夜はその手のひらに唾を吐きかけ、
「ざけんな。黙っててやるからお前が金を出せ」
 そう言って仲居の股間を蹴り上げる。
 内股になって悶絶する仲居。
 前のめりになった仲居の首に、時夜のつま先蹴りが叩き入れられる。
 仲居は喉から変な音を出し、前倒する。
 時夜は仲居の手から赤いハンマーを奪い、傍らの青年に殴りかかった。
 短くも赤い槌撃が空間を薙ぐ。
「あぶねっ――!」
 青年は後方に跳躍し、間一髪でハンマーを避けた。
 時夜と青年の間に距離ができる。
「桜井、コレ使え!」
 いつまにか近くに停車していた犯行グループの車から金属バットが放り投げられる。
 桜井と呼ばれた青年は金属バットを受け取り、正面に構え、時夜に向き直る。
「へへっ、ガキの正義なんざ、大人の正義で叩きのめしてやんよ!」
 金属武器が振りかぶられ、勢いよく水平に抜かれる。
「何が正義だクズ野郎。んなもんこの世にねえっての!」
 時夜は大降りの攻撃をしゃがんでかわし、桜井の腹を押すようにして蹴り飛ばす。
 その勢いを利用して後方へ後ずさる。
「はぁ……はぁ」
 時夜の息は上がっていた。
 表情に余裕はなく、汗は滝のように流れている。
 唾を吐き捨て、
「オイ悠里。実践ってのは、殺しじゃなくても相当緊張するもんなんだな。こんな知らない奴でも、死んでも問題ない奴でも、戦うと決めて向き合うのには覚悟がいりやがる!」
 時夜は桜井に向けてハンマーを投げつけ、低姿勢で突進した。
 赤い短槌は回転しながら標的へ疾走する。
 当たれば内出血や青痣は避けられないだろう。
「くそったれ!!!」
 しかし、桜井はハンマーを顔面で受け、突進してくる時夜に向けて金属バットを縦一文字に振り下ろす。
「死ねっ――!!」
 額から血を流し、桜井は眼前低姿勢の時夜に叫びを上げる。
 金属バットが標的の頭蓋を目前に捉え、粉砕しようと直下する。
 だが、突如標的は突進の方向を捻じ曲げた。
 垂直に降ろされたバットに当たらないように、時夜は桜井の横を通り抜けるようにヘッドスライディングを決めた。
 バッドが地面に振り下ろされ、地面と激突する。
 その衝撃に桜井の表情が歪む。
 時夜はヘッドスライディングの姿勢から前転し、流れるように立ち上がって足を振りかぶる。
 桜井が振り向くのを見計らい、その顔面めがけて履いていた左足の靴を蹴り飛ばす。
 靴は桜井の視界を覆うようにして当たり、よろけさせた。
 先ほどハンマーが当たった箇所に靴のつま先があたったためか、桜井は悶絶し小さな呻き声を、そして力強く咆哮をあげる。
「っぜえ!!」
 桜井は目を見開き、怒り狂った形相でバッドを振りまわす。
 当然、目標を定めずに振るう暴撃のため、誰にも当たらない。
 時夜はバッドを振り終えた瞬間を狙い、跳躍、敵の正面で体をひねり、靴を履いた右足つま先を疾風迅雷の如く、桜井の喉下に叩き入れた。
「ごぶっ……!」 
 桜井は白目を向いて仰向けに傾き、
「ざまぁ……」
 時夜は空中から真下に向けて重力に導かれる。
 両者は同時に地面に落ち、おのおの呻き声漏らした。
「か、勝った……っ!」
 息を切らし、仰向けになる時夜。
「……ッ!」
 そして仰向けの視界を覆う、もう一人の敵に目を奪われた。
 車の運転手、桜井に金属バットを渡したラスト一人。
「残念でした……っ!」
 包丁を逆手に構え、時夜に向けて振り下ろす。
 回避できない。
 かわそうとしても、息切れした体では反応が追いつかない。
「っ―――!!」
 声にならない声をあげて体をひねろうとするが間に合わない。
 無傷の敵が全力で時夜を殺しにかかる――!
 

――"対物空間固定静止・伍"

 しかし、包丁が時夜の肉体カラダに突き刺さることはなかった。

――四。

 銀色の線が奔り、包丁を持った『敵』の首が切断される。

――参。

 包丁は時夜の心臓手前で空間に固定されたように静止している。
 
――弐。

 銀色の直線軌道が倒れていた仲居の心臓を貫通する。

――壱。

 肌色の美脚が倒れていた桜井の首を踏み粉いた。

――零。

 宙に静止していた包丁が自然の重力に引かれ、ゆっくりと時夜の胸に倒れかかる。
 殺意を忘れたように、包丁は時夜の胸で静かに横たわる。
「私は『敵は殺す』って考えるから、こうするかな。時夜みたいに叙情酌量するのはめんどくさい」
 返り血を一滴たりとも浴びずに、少女は明るくVサインを作ってみせる。
 時夜は倒れたまま、自然と見えてしまう悠里のスカートの中をチラチラとのぞきながら、  
「容赦ねーんだな。ま、その割り切った感じに憧れてるんだけどな」
「パンツのぞく人に憧れられても嬉しくないけどね」
「いやいや、俺もそのパンツみたいに、青一色、冷淡でありたい」
「私のパンツの色で話を広げるのもどうかと思うから、とりあえずここを離れよっか。いつ人が、車が通るかわからないからね。人を殺す上で大事なことは、目撃されないこと、現場に証拠を残さないことだよ。ほら、左の靴を回収して。とっとと逃げるよ。あと、靴の跡が敵の顔に残ってるから、もう明日からその靴で外出しちゃダメだからね」
「了解」
 二人はそうしてそそくさと現場を去った。








 虫の声がささやかに鳴り響く豊跡自然公園。
 豊跡タウンから徒歩三十分。
 一面を覆う芝生を乗り越えた公園奥、河原付近のベンチに時夜と悠里は腰を下ろしていた。
「敵意を向けられたわけだし、やっぱサクッと殺したほうが良かったのかもなぁ~」
 自販機で買ったペットボトルの緑茶を口に運び、時夜は一人、反省会に明け暮れる。
 悠里はその隣でスポーツ飲料水のペットボトルを四本空け、さらにもう一本に手を出していた。
 もちろんすべて、時夜のお金で購入したものである。
「結局、殺さない場合はただの肉弾戦になるから、それだったら逃げて警察呼ぶ方が正しいよなぁ……」
 時夜は立ち上がって前に出る。
 先ほどの戦闘で取った動きをゆっくり再現したり、腕を組んでぶつぶつとつぶやいたりを延々と繰り返した。
 しばらくそのまま時間が過ぎ、
「よし、一人反省会終わり。悠里、考えがまとまったから話を聞いてくれ」
「ん? あ、うん、良いよ~」
 ベンチで横になりながら、スマートフォンをいじっていた悠里が体を起こす。
「戦闘編。習ったとおりの格闘はできなかったけど、ほぼ無傷で生き延びれたから及第点だと思う」
「うん、始めて会ったときのフルボッコ状態よりは全然動けてたね。仮想イメージとはいえ、敵を意識して殴る、蹴るの動作を続けたのは意味があったってとこかな。六十七点」
「精神編。悠里が俺に『ナイフを使って殺すかどうか』の判断を迫った時。俺は、あそこで判断を間違えたんじゃないかって思う。今回の場合、敵は俺たちに危害を加える気まんまんだったし、説得が通じるような人間でもなかった。俺は始め、人的被害が出てないから殺す必要はないって思ったんたが、あいつらみたいに『犯行を見られたら危害を加える』ような害悪ク ズなら、さっさと殺したほうが良かったのかもしれない」
「難しいところだね。私みたいに『敵は殺す』っていうシンプルな行動原理ならともかく、時夜の場合は『より楽しい明日のために、障害となる害悪ク ズを殺す』だから、その時々で判断必要になるよね。で、それは私が決めることじゃないから、時夜自身が殺す基準をもっと明確に定めて、判断速度をあげるしかないんじゃないかな? ということで採点不可」
 簡潔な反省会はそれで終わった。
 時刻は深夜零時前。
 そろそろ帰ろうと言うことで、二人は公園の外を目指す。
 途中、誰もいない芝生の上で、
「それはそうと、さっきのアレ。包丁が止まったヤツ。何? 目の錯覚とかじゃなくて、確かに空中で包丁がピタって止まってたんだけど?」
 時夜は悠里に質問を投げた。
「さあ。世界を広げる『ふぁんたじー』なんじゃない?」
 悠里はニヤニヤしながら答える。
「知ってるけど教えてあげないって顔してんな。ムカつく……」
 時夜はぶつくされた。
「ま、時夜が本当に人を殺すことができたら、教えてあげるよ」
 悠里は唇に人差し指を当て、ウインクをした。
 時夜はにやけないようにつとめながら、結局にやけた。
 月のない夜。
 星は綺麗に光っていた。




第一章 副業/本業/外道

※作品概要はこちら
※PDF版のダウンロードはこちら
序章 銀色の刻
第二章 各人各様






============= 第一章 副業/本業/外道 =============





 平野に囲まれた小さな山。
 その頂上に、ひとつの学校が建てられている。
 県立豊跡とよあと高校。文武両道を心掛ける普通科高校である。
 七月中旬。昼休みの教室は、返されたばかりの期末テストの話で盛り上がっていた。
「請求の時間だ。期末テストのカンニング補助代、一科目二〇〇〇円×七で一万四〇〇〇円だ」
 二年A組――猪狩明道いかりあきみち男子生徒クラスメイトの前に立ちはだかり、手のひらを差し出す。
「いやー、おかげさまでこの点数。無意味な暗記せずに済んで助かったぜ。んじゃ、約束どおり全額払……あー……うん、明道君、一科目一〇〇円なんてどうかね?」
 男子生徒クラスメイトは苦笑いで財布の中を見つめる。
 明道の楕円眼鏡がキラリと光る。
「わかった。学年主任に自首してこよう。何、気にすることはない。お前が脅したといえば学校側は信じるだろう」
「わー! 待った待った! 払う! 明日までにちゃんと貯金崩してくるから一日待って!」
「良いだろう。ただし、延滞料で一科目につきプラス二〇〇円だ」
「お前は鬼かっ!?」
「残念ながら人間だ。俺が鬼なら金よりお前の肉を食う」
 明道は男子生徒クラスメイトにそう言って、満足げな表情で教室を出る。
 足取りはやや早め、次の目的地へ向かう。
 彼の昼休みは忙しい。
 副業・ ・をたくさん抱えているため、一人の客に時間をかけすぎることは出来ない。



「頼まれた宿題終わったぞ。もちろん、筆跡も真似てある」
「どれどれ……すっごーい、これならバレないね! ありがと!」
 ¥宿題代行 数学 八〇〇円


「文具一式、買ってきたぞ」
「サンキュー! どうしてもこのメーカの文具が使いたくてさぁ」
 ¥買物代行 一〇〇〇円


「友達が出来ない? 安心しろ、俺も友達はいない。が、人生は超楽しい。自分の人生を楽しいと感じる心を持っていれば、毎日は輝かしいぞ」
「そっか……ぼっちでもいいのかも。ありがと」
 ¥悩み相談 孤独 七〇〇円


「やりたいことがないから進路を決められない? なら、働けば良い。生活に金が必要である以上、やりたいことがあろうがなかろうが最終的に為さなければならないのが労働だ」
「でも、良いところで働くためには大学に行ったほうが良いんだろ?」
「そうでもない。何をしようがどこへ行こうが、不況下での就職は運で決まる。
 そもそも『働くこと=雇われること』としか考えられないのは危険だ。
 経済不況デフレが続く以上、どこもかしこも労働環境が厳しくなるのは当たり前、苦しくなるのは当たり前なんだ。
 泥舟だらけの市場の中、安定して航海ができる会社を見つけることすら難しい。
 不況というものを、政治に興味を持たなかった大多数の国民が招いた結果だと考えるなら、世の中の上司になりうる連中はそろいもそろって経済オンチだらけだろうさ。人としてはともかく、ビジネスとして信用できるヤツなどそうそういない。
 だから俺のオススメは、簡単に入れる会社で手を抜いて働きながら、自分個人で稼ぐ方法をみつけることだ。例えば俺のように、お金を払ってくれる生徒を相手に小遣い稼ぎをするのはビジネスの良い練習になる。
 世の中面倒くさいことを代わりにやるだけでお金をくれるお客様がたくさんいるからな。ビジネスの大前提はそこにある。
 まあ、面白いと思えるなら、雇われようという発想おうどうから踏み外してみるといい」
「ちょっと俺には難しい話だなぁ。でも、世の中がどういうふうになってるかを考えるのは大事なんだなって思った。よく考えたら『雇われたい』って思ってる人がたくさんいたら、そりゃ就職やとわれ先も足りなくなるって話だもんな。よし、学校はバイト禁止だから、ビジネスの勉強してみるわ。サンキュー!」
 ¥悩み相談 進路 九五〇円



「今日も小銭集めは順調だ」
 明道は眼鏡の真ん中ブリッジを中指で押し上げ、得意げに廊下を歩く。
 彼の副業は『誰かが面倒くさいと思っていることを代わりにやってあげる』というものだ。
 客探しは単純。面倒くさがっている人間に、例えそれが初対面の相手だろうが話しかける。
 目的は金。善意などではない。

――お前がしたくないことを俺がやってやろう。だから金をくれ。成果報酬で構わん。
 
 実にシンプル。
 一〇〇人、二〇〇人と話しかけ、本当にしたくないことを抱えている者や、興味本位で依頼をする者に出くわすのを待つ。
 そして現れた依頼主の頼み事を完璧にこなす。
 依頼に対して精度の高い結果を返す。
 安い値段で十分に満足する結果が返ってくるなら、そこには信頼が生まれる。
 信頼を得れば、また何かを頼まれる。時には別の誰かが頼み事をもちかけてくる。
 明道は自分に実現可能なことであればなんでもやった。
 中学生の頃からそんなことを続けていたため、校内はもちろん、市内各所にも客は多い。
 最近では、話しかけるより先に、誰かに依頼されることが多かった。 
「所詮副業のクセに、これがどうにも金になる」
 やれやれと髪をかきあげ、愉快そうに笑う。
「猪狩君、また副業してますね」
 背後から声をかけられる。
 振り返ると、ロングヘアーの女子生徒が生徒手帳を片手にしかめっ面をしていた。
 二年B組――吸坂火憐すいさかかれんである。
 火憐はその長くツヤのある髪を揺らし、明道ににじり寄る。
「今日の副業を全部チェックさせてもらいました。
 人の悩み相談に乗るのは良いことです。買い物の代行も特に問題があるとは思いません。それでお金を稼ぐことを悪いとも言いません。
 でも、宿題の代行とカンニングの補助でお金を得るのはダメです。本人達のためにならないからダメです。カンニングの方は一科目二〇〇〇円と単価が高いので、稼ぎ方が超絶気に食わないです。ムカつきます」
 呆れたような、嫉妬のような口調。
 明道は爽やかな笑顔で、
「稼ぎ方が気に食わない、というのは良い表現だ。俺もそう思う。なんせ労力をかければ済む事を、甘言で堕落させてお金を払わせているのだからな。
 あぁ、実に他人をダメにしている。
 だが、彼らがダメになろうと俺の知ったことではない。彼らはあくまで自分で判断してお金を払っている。
 宿題代行もカンニング補助も『ラクをするためにお金を払う』と判断したのは俺ではない。正したいのなら、俺よりも彼ら本人に言うべきだ。
 さて火憐、俺がこう答えるとわかっていた君のターンだ。聞こう、今日はどんな議論をふっかけたいんだ?」
 楽しそうに火憐に問いかける。
 その余裕そうな態度に気を悪くしたのか、火憐は口を尖らせる。
「本人達に直接言えって言うなら、宿題代行を頼んだ女子生徒にはもうとっくに言ってます。
『宿題を自分でやるほうが出費がなくて済みます。そのお金で好きな服を買う方が得ですよ』とか『人生で本当に必要ないと判断した特定の科目があるにしても、無料でやってくれる友達を探す方が良いですよ』とか色々言いました。
 で、それでもやるなら止めませんってのも言ってます。本当にそれで後悔しないのなら、私がとやかく言うことでありませんからね。
 大事なのは『ちゃんと考えてからその行動を取ったのか?』ってところです。考えずに行動することが一番ダメです。
 その行動に明確な意志がないのは究極にダメです」
 一旦会話を途切り、深呼吸。
 ここからが本番だと言わんばかりに、火憐は明道に指を突きつける。
「カンニング補助の件は捻くれ二大巨頭の貴方と彼ですからね。
 今回は猪狩君からお話をさせて頂きます。カンニング補助――これは宿題の代行とは周りに与える影響、不愉快のレベルが違います。
 宿題と違って、テストには順位があります。加えて、欠点を取ったら進級に影響するリスクもあります。だから誰かがラクをしてしまうと、苦労した生徒が妬みを抱いてしまう恐れがあります。
 それは点数の高さ低さに関係なく、『自分が苦労している中、誰かがラクをしている』ということに、人は不満を抱きます。
 小さな妬みや不満は、よからぬ行為の引金になります。例えば男子A君が彼女にフラれて、それはもう不機嫌なときに、猪狩君達の不正行為を見て『次から俺もカンニングするわぁ……』ってなったらダメですよね? もちろん、心の弱いA君自身にも問題はあります。
 ですが、A君のように心が弱っている誰かを不徳の道へ誘いかねない不正行為は控えて欲しいんです。
 ほんのささいな不正が、ソレを見てしまった犯罪予備軍だ れ かの最後のワンプッシュになってしまうこともあるんです」
 凛として言い放つ。校舎の窓から入る日光に照らされた髪が、言葉の熱さを代弁しているかように紅く揺れる。
 だが次の瞬間、火憐は人が変わったかのように歳相応の少女らしい笑みを浮かべ、
「だから正しく健やかに。たったこれだけで日常生活の平穏が維持できるなら、それは素敵なことですよね」
 穢れを知らない天使のごとく、明道に微笑みかけた。
 明道は一連の言動を美酒銘酒を嗜むような表情で眺めて、言葉を返す。
「相変わらず君の意見は聞き心地が良い。
 さて、君のためにあえて質問を投げかけよう。
 皆が正しく健やかであれば平穏の維持はとても容易いだろう。
 だが、人はバカで賢くないからそれができない。
 注意を注意として、素直に反省できる人間はごくわずかだ。
 これが真実なら、例えば今回オ レのような学校教育上不都合な存在――平穏を乱しかねない人間には、注意をするのではなく排除をすることが望ましいだろう。

『そういうことをするなら学校に来るな』。

 これを言う方が、君の望む平穏が出来上がるだろう。
 さて、『今後の人生、君の言葉を真摯に受け止めてくれる人間が圧倒的に少ないというシチュエーション』に直面した場合、政治家志望の吸坂火憐先生はどう動く?」
 仮定の話を火憐に振る。
 与えられた問いに、火憐は三秒ほど思案して答えを出した。
「そのシチュエーションでも、私がすることは変わりませんね。
 人の話を聞かないというのは個人の問題でもありますが、数が多いのであれば、それは教育の問題――道徳や知的レベルの低さの問題です。なので時間をかけて丁寧に、なぜダメか、何がダメか、どうしてダメなのかを一つ一つ教えていくしかありません。
 猪狩君の言う排除という手段はとても手軽ではありますが、最後の手段にするのが望ましいと考えています。人の話を聞けない人がたくさんいる状況――例えば『知的レベル:一』の人が一〇〇〇人いるなら、一〇〇〇人排除するよりも、一〇〇〇人の知的レベルを二にあげるほうが、学校や国家の運営としては効率が良いでしょう。
 極端なことを言うなら、一〇〇〇人殺すよりも、一〇〇〇人真っ当な人を生み出すほうが世の中が円滑に回って皆が暮らしやすくなります。
 やはり、まずは言葉での説得、改心が先でしょう。ストーカーレベルで説得を続けるのは大得意なので、私個人がするぶんには、根負けはありえませんよ」
 回答を終える。
 明道は眼鏡の真ん中ブリッジを押し上げ、
「実に君らしい。そのやり方で毎日がより平穏で暮らしやすくなる日が来るのを楽しみにさせてもらおう」
 期待に満ちた声音でそう言った。
 火憐は自信ありげに、
「その期待、裏切りませんよ。それで、今回は『カンニングの補助はこれっきりにしましょうね』って話でしたけど、ちゃんとわかってもらえましたよね?」
「もちろん。君が注意をしたんだ。納得できなかったはずがない。思慮不足を認めよう。カンニングの補助は二度としない」
 明道は火憐の瞳をまっすぐ見てそう答えた。
「よかったぁ~」
 火憐は安堵したように、胸をなでおろす。
「うんうん、これでまた平穏度が上がるというものです。あ、さっきの話ですけど、もしも私が『猪狩君、もう二度と学校に来ないでください!』って言ったらどうするんですか?」
 純粋な瞳で火憐は疑問を口にした。
 明道はニヤリと頬を歪め、
「普通に登校する。それで火憐が困るなら楽しいだろう?」
「なっ!?」
「そのリアクションが案外好きでね。君は見ているだけでとても面白い動物だ」
「ど、どうぶ……っ!? 侮辱です! ひどいです! 謝罪を要求します!」
 火憐は頬を膨らませじだんだを踏む。
 その姿を見て、明道は腹を抱えて爆笑する。
「はっはっは! この程度で腹を立てていては政治家にはなれんぞ。あれほど侮辱される仕事もない。立派な議員になるのなら、煽り耐性は鍛えておけ。っと……では火憐、後ろで君に話しかけたがってる倉田先生の相手をしてやってくれ」
「え?」
 反射的に後ろを振り返る火憐。
 しかし、教師どころか、誰一人として背後にはいなかった。
 後ろを向いた体を前に戻すと、同じように、誰一人いなくなっていた。
 一瞬の間が空く。
 火憐は肩をわなわなと震わせ、
「嘘はダメーーー!」
 そんな声が、昼休みの校内に響き渡った。








 放課後、猪狩明道の副業は後半戦に突入する。



-- 校内 武道会館 --
「せいっ……!」
「ふんっ……!」
「ふぅ、受けの型しかできないが、役に立てたか?」
「ああ、明道の受けは空手の良い練習になる。ホント、ウチに入れよ」
「遠慮しておく。俺はいざ戦うような事態になれば、遠距離からの攻撃に特化する。空手の受けだけ出来るのは、近接に持ち込まれたときの対策に過ぎない。まあ、拳による肉弾戦はさっぱりということだ」
 ¥練習相手 空手 二〇〇〇円



-- 校内 生徒指導室 --
「二年E組の井上さん、やはり先生の事が好きなようです。が、彼女は『教師と交際することそのもの』に抵抗感があるようです。説き伏せるのは容易ではないでしょう。論理的な説明が通じる性格ではないようなので、安心感……つまりは感覚的なもので彼女の心を撫でてあげると良いかと思います」
「そうか! だよな、やっぱ井上は俺のこと好きなんだよな! うし、助かった明道、アドバイス通り頑張ってくるわ!」
 ¥教師と生徒の恋愛事情 素行調査 八〇〇〇円



--校内 美術室--
「今日は描いたイラストの感想が欲しい。パソコンを見てくれ。どうだ、俺の嫁は美しいか?」
「以前より線が太くなったな。だが、決してごつくは見えない。むしろ肉体の骨の部分や、服の重なった部分などの強弱がついていて印象度が上がった、といったところか。だが、線の色が濃い。もう少し黒を薄めた方が、目に優しい嫁が描けると思うぞ」
「なるほど。助かった。次回も頼む。しばらくは絵の練習をしている」
「応援しよう。そのときまでに、萌え系イラストというものについてもう少し建設的な意見が出来るように勉強しておく」
 \批評、助言 イラスト 一〇〇円(継続的に依頼があるため、特別価格)



 休憩。
 猪狩明道は眼鏡をクリーナーで拭きながら、一階昇降口の近くにある自販機の前に立つ。
 埃をふき取ったレンズを光らせながら、
「自販機、俺はお前に金を払わんぞ」
 としたり顔でつぶやき、隣にあるウォータークーラーの水を飲む。
 生き返る、といった表情で悦に浸る。
「悔しいか自販機、だが思い知るが良い。このデフレ期に貴様に払う金はないのだとな!」
 腰に手を当て、自販機に向かいひとり、優越感に浸る。
 たまたま近くを通り過ぎた陸上部の女子生徒たちはその姿を見て、見なかったことしてそそくさとその場を去っていった。
 明道はそんなこともつゆ知らず、ひとり、自販機にむかい、
「見ろこの金額を! 紙幣を! 俺は今日も稼いで見せた。お前よりも稼いで見せた。経費は〇円だ。俺は俺の能力、労力だけで維持費のかかるお前よりも利益をあげた。さあどんな気持ちだ自販機? なあ自販機? じーちゃん? プギャァー!」
 自販機に指をさし、高々と大爆笑を打ち上げる。
「俺は今月の売り上げで自分の頬だって叩けるぞ」
 明道は自身が稼いだ紙幣で自らの頬を叩く。
「また自慢しに来てやろう。残念だが今日はここまでだ。あと一つ副業が残っているからな。自販機、貴様も貴様で頑張るが良い」
 そういって、自販機に背を向ける。
 本日、明道には最大利益が見込める案件が残っていた。
 依頼人が待つ三階物理教室に向き直り、一歩踏み出して、
「…ラッ……金……よっ!」
 かすかに、荒い声を聞いた。
 男性のもので間違いないだろう。
「……ら、早く……!」
 声は学校を囲う森の中から聞こえているようだ。豊跡高校は平野に囲まれた小さな山の中に建てられているため、校舎の周りは緑色の自然風景が広がっている。
 明道は耳をすまし、声の方角を確定させる。
 足音を消し、森へ踏み入っていく。
 森に入って十数メートル。男子生徒五人の姿が目に入る。
「もっともってねーのかよっ!」
 一人の男子生徒が声をあげる。
 声を上げた生徒の後ろに三人、前に一人の生徒がいる。
 四人で一人の男子生徒を囲っているという構図だ。
 明道は木によじ登り、遠目から生徒達の顔を確認する。
 一人を囲ってる四人の男子生徒には見覚えがあった。
「二年C組の斉藤、佐田、今村、梶原か」
 評判が悪い生徒達だ。
 彼らが万引きや恐喝を行っているという噂は、二年生の間ではそれなりに知られた話である。
 今、明道の視線の先で行われているのは恐喝で間違いないだろう。
「俺よりも彼らに働きかけるべきだな、火憐。いや、君が精一杯勇気をふり絞ってる事は十分に知ってるのだか……」
 明道は小さく溜息をつきつつ、状況を観察する。
「金は? ねえ、もっとお金もってないのぉ?」  
 斉藤達は卑下た笑みを浮かべ、一人の生徒ににじりよる。
 斉藤は男子生徒の胸倉を掴み、金を要求する。
 唾を吐きかけ、髪を引っ張り、恐喝と暴行が続く。
 明道は音を立てないように木から降りる。
 そして校舎に向けて踵を返し、
「彼らの外道を実際に見るのは初めてだったが……よくある事だ。俺以外の誰かが救ってやるといい」
 愉快そうにあさっての方向に言葉を投げて、その場を去った。
 来た時と同じように足音を消し、森を抜けて校舎に戻る。
 校舎に入る手前、自販機の前に立ち、やれやれと肩をすくめる。
 未だ小さな罵声が聞こえる方角を横目で見やり、
「効率の悪い稼ぎ方だろう? 彼らはバカなんだ。財布を狙うなら……」
 何かを言いかけ、何も言わず、明道は目的の物理教室へと向かった。
 その足取りは軽く、どこか愉快そうだった。








 閉校一時間前、三階物理教室では将棋の音が響いていた。
「小さなビジネスは大盛況のようだね」
 白衣を着た女性は柔らかい口調で言い、軽い手つきで『角』を進軍させる。
「日によってはアルバイトよりも稼げますよ。学校がアルバイトを許可すれば、新卒と同じくらい稼げるかもしれません」
 『角』に合わせて『歩』を進めなら、女性の対戦相手――猪狩明道は質問に答えた。
「明道はいつか、大きなお金を動かす人になるのかもしれないね。今は校内でのお金稼ぎが多いようだけど、ネットでもお金儲けとかしてるのかい?」
「アフィリエイトやメルマガのようなものでしたら」
「クリックで稼ぐポイントサイトとかいうのはやってないのかい? アレもそれなりに小遣い稼ぎになるって聞いたけど?」
「ポイントサイトは単価低いから嫌いですね。アフィリエイトやメルマガの方が商品を売るために文章を考えたり、色々調べたりするので、文章力や知識が鍛えられて好きです。
 どうしても『クリックで』というなら、クリック報酬型の広告を自分のサイトに貼り付けておく方が良いでしょう。自分で押すより押してもらう方がラクです。サイトのコンテンツが充実していれば、存分に稼げますよ。
 ネットの副業に興味があるんですか、倉田先生?」
「うん。僕も副業で生活費が稼げれば教師をやめて物理の世界に没頭したいからね」
 倉田と呼ばれた女性教師は深いため息をつき、
「好きなことだけをずっとできる生活。生きるためのお金さえ稼げれば、それができる。あと五年、三十歳までにそんな生活を手にして見せる!」
 語気を強め『飛車』で『歩』を討ち取る。
 憎い敵を打ちのめしたといわんばかりに、明道の『歩』は倉田の手に落ちる。
「誰もが持つ願いですね。努力すれば、いつか叶うかもしれません」
 優しい笑顔で明道は答えた。
 同時に、盤上で討たれた『歩』の後釜に『銀』をあてがい、『飛車』を牽制する。
「話は変わるけど、最近超常現象――横文字にするならオカルト――にハマってるんだけど、明道はそういう話に興味ある?」
「金のネタになりそうなものなら何でも興味を持ちますよ」
 倉田は首をかしげ、
「お金のネタになりそうなもの……。よし、お金になりそうな超常現象の話をしよう」
 楽しそうに語り口を開いた。
「まずは超常現象について。超常現象というのはその名の通り、通常では起こり得ない現象のこと。人によって定義が変わるけど、今から僕が話すのは『人間が意図的に起こす超常現象について』だ。
 透視を例にしてみようか。
 夏だし、透視という超常現象を起こすことができたら毎日幸せだろうね。
 この透視を人為的に実現するためには、

 ・時間帯
 ・季節、天候
 ・宇宙、星の状態
 ・月の満ち欠け
 ・魔法円やアイテムの用意
 ・発声、踊り、祈り
 ・悪魔、天使、妖精との契約、生贄の献上

 などなど、実現したい透視の精度にあわせて、あげればきりがないほどの条件をその都度適切に満たさなければならない。
 もちろん、手順に少しでも間違いがあれば現象は行使されない。
 つまり、超常現象というものを人の手で為そうとすれば、面倒くさい手順を完璧にこなさなければならない。
 手間がかかりすぎて超非効率。どこかで透視スコープを買うほうがマシって話になる」
 倉田は息を吸い、
「そ、こ、で! 昔の頭の良い人達は効率化を図り、超常現象を為すための工程の短縮化、簡略化を図ったわけですよ明道君!」
 急に人が変わったようにテンションが跳ね上がった。
「……スイッチ入りましたね」
 明道はかぼそくつぶやいた。
 倉田は目を輝かせて会話を続ける。
「魔術、呪術、錬金術、占星術といった知的なアプローチもあれば、紋章に現象を圧縮したり、道具に現象操作一式を組み込んだり、その人個人でしか使えないように独創術技化したりと、ホントあったまいいことやったんだ、この星のご先祖さんたちは!」
「先生、そろそろ本題を……俺は金になる話が聞きたい」
「今から本題さ! さて、術式化、道具化、固有化の中でお金になりそうなものは何か? そう、道具化。超常現象を組み込まれた道具こそがモノとしての価値を持つ! 勉強や詠唱が必要なものとはわけが違う。目に見える、形になっている超常現象再現器。例えば透視が可能な眼鏡――超常現象だから透視しても誰にもバレない――なんてものがあれば、僕は五〇万まで出す」
「確かに、透視ができる眼鏡があれば、俺も一〇〇万は出しますね」
「だろう? つまり、そういうことさ。メリットのある道具で希少価値があるもの。その効果をちゃんと証明できれば買い手がいる! あぁ~欲しいなぁ、透視眼鏡! 漫画でしか見たことないけど超欲しい! 若い男の子のカラダ超見たい!」
 他の教員や生徒に聞かせるわけにはいかないようなことを、倉田は力を込めて訴える。
 明道はやれやれといった様子で、
「実際に透視眼鏡がこの世に存在して、でも、バレるわけにはいかないから誰かが隠している。とかだったら面白いですね」
「現実的に考えれば存在しないけど、ロマンはもっていたいよな!」
 倉田は無邪気な子供のように目を輝かせた。
 明道は額に中指を押し当て、思案顔を作る。
「例えば一ヶ月かけて超常現象とやらを宿した道具を見つけて、買い手がいれば五〇万。中々良い黒字になりますね。問題はどうやって探すか」
 具体的に考えようとする明道。
 倉田は手を上げて、
「僕も一回それを考えた事があってね。県の埋蔵文化財センターって知ってるかい? その名の通り、埋蔵物を保管してあるところ。埋蔵物というのは過去の貴重品、道具、武具、遺物などだ。それらの中にはきっと超常現象を宿した埋蔵物があると思う。何回か見学に行ったんだけど、もう全部が全部、一個ずつ研究したい! ガチでマジで!」
 息を荒げながら唸る。
「先生、結構本気で超常現象にハマってますね」
「うん! 超常現象を宿してそうな埋蔵物を手に入れるために、センターの局長さんとコネクションをつくったからね。息子さんがなんと、二年C組の斉藤君。彼に頼んで局長さんに会うところまで頑張ったんだよ!」
 力いっぱい自慢げに話す倉田。
「……で、結果手に入らなかったと」
「……残念ながら、息子に似ず立派な方でね。『センターに保管してあるものを私個人の裁量で譲渡することはできない。局員たちが日々調査、研究を行っているので、見学、議論、公開資料の閲覧は大歓迎ですが、一個人に貸し出すことは出来ない』ってさ。はぁ、息子さんくらい怠惰であればよかったんだけど」
 深くため息をつく倉田。
 明道は笑いを堪えるようにして、
「先生、一応教師なんですから、そういう発言は危ないですよ」
「おとと、一個人として喋りすぎちゃったか。ここは公の場、美人物理教師、倉田物成くらたものなりとして至極真っ当な発言を心がけなければね」
「まったくもって女性らしくない先生の心がけを応援する意味で、俺の『飛車』で先生の『王』を獲らせてもらいます。王手の声も聞こえないくらいに自分の話に熱中してると、遠方から狙撃されてしまいますよ」
「え? あっ! いつのまに!」
 盤上、明道は自身の『飛車』で敵王将を叩き潰す。
 甲高い木製の衝突音。
 勝利は猪狩明道の手に。
「では、買ったのでお金を」
「仕方ないなぁ。はい、一二〇〇〇円」
 しょぼんとする倉田をよそに、明道は満足の限りを尽くした表情で賞金を財布にしまう。
 それと同時に下校のチャイムが鳴る。
 本日の副業はこれにて終了。完全制覇。
 猪狩明道は存分に副業を満喫した。 









――完全無慈悲。外道ク ズを虐殺せよ。



 稼ぎ、稼ぎ、稼ぎ、稼ぐ。
 夜。今からが猪狩明道の本業である。
 豊跡高校がある山を降り、平地をまっすぐ。
 ゆるやかな坂道を登り、住宅街へ。
 学校同様、もともと森林地帯であった場所に作られた居住区。
 区画の端は森で囲まれている。
 時刻は午後八時を回ったばかり。
 猪狩明道は森の中、一本の木の上に身を潜めていた。
 先ほどとは服装を替え、全身を黒の外套で覆い、フードを被っている。
 素肌、顔、体型、性別の情報を外界から遮断するその姿は、まるで暗殺者のようである。
 肩には猟銃を収めたガンケース。
 手元にはハンドバッグ。中には靴、双眼鏡、銃弾、ナイフなど、様々な道具が綺麗に収納されている。
 明道は双眼鏡を取り出し、一五〇メートル遠方の公園を監視する。
 人気のない夜の公園。
 夏服の学生達がブランコの周囲にたむろしていた。
 男子生徒が四人。
 紙幣二枚を得意げに広げ、品のない笑い声をあげている。
 数時間前、豊跡高校を囲う森の中で恐喝を行っていた生徒達である。
 彼らは万引きや恐喝を行った後、必ずここに来る。
 この公園でこの時間帯に、自らがやった行いを賛美し、缶コーラで祝杯をあげる。 
 今宵も例に漏れず。
 明道の双眼鏡には宴会気分の少年四人が写っている。
「実に幸せそうだ。が、今まで誰もお前たちを救わなかったことを、俺の前でその外道ク ズを晒した事を悔やむが良い」
 つぶやき、手持ちの装備を一つ一つ確認していく。
 今夜の装備は、
 
・散弾銃『BERETTA 686E BLACK LIMITED』 ※所持弾種×4 各六発 上下二連、ともに銃弾未装填
・ダガーナイフ×2
・手投げナイフ×6
・CDラジカセ×1    ※CDセット済み。盗品。
・自作ミニ四駆×1  ※コックピット部にピンポン玉製スモーク弾装填
・防刃手袋      ※両手装着済み
・盗んだ靴×2セット ※一足はすでに着用済み。ハンドバックにスペア。

「さて、本業・ ・といこうか」
 ハンドバックを木に隠すようにして置き、猟銃を収納した皮製のガンケースを肩に背負う。
 木から降り、右手にミニ四駆、左手にCDラジカセを携える。
 どう見てもただの変質者。
 しかし、冗談の欠片も持ち合わせない気配がそこにある。
「set――」
 もう一度瞼を閉じて深呼吸。
 一拍。のち、目を見開いて、
「――hunt」
 ここに、猪狩明道の"外道虐殺ク ズ ご ろ し"が開幕を告げた。







 
「マジ、超大儲け」
 斉藤力也はご満悦だった。
 いつものように恐喝を成功させ、あたりまえのように夜の公園で缶コーラの祝杯をあげる。
 チームのリーダーである彼は、残る三人――佐田、今村、梶原――と次のターゲットについて話しながら、買い置きしていた次の缶コーラに手を伸ばす。
「……ん? 何の音だ」
 缶コーラに触れた瞬間、周囲からドリルの音を小さく、甲高くしたような音が聞こえた。
 遠くから、小さなレースカーらしき物が近づいてくる。
「何アレ、ミニ四駆?」
「昔アニメでやってたやつか?」
「ガキの頃見てたわ~」
 周りの三人も気づいたらしく、それぞれが喋りだす。
「見たことねーマシンだけど、誰か知ってる?」
「知らん。でもミニ四駆って今も漫画でやってるらしいぜ。最近のじゃね?」
「何にせよ、俺がハマってたころを思い出して懐かしいぜ!」
 公園の砂地を、ゆるやかな速度で四駆は走る。
 楕円軌道を描き、人が歩く早さで力也達の元へ迫る。
「ふーん。昔からあるオモチャなのか……」
 力也は缶コーラを置き、立ち上がる。
 ミニ四駆がこちらに来るより先に、その小さな車体に近づき、拾い上げる。
「へー、結構よくできて――うわッ!?」
 拾い上げた直後、ミニ四駆はコックピットから灰色の煙を吐き出した。
 その車体からは予測できないほどの煙量が、消火器を控えめにしたような音とともに高速で噴出する。
 力也は反射的にミニ四駆から手を放していた。
 ミニ四駆は正常位のまま地面に着地し、走りながらなおも煙を撒き散らす。
 楕円軌道を描き、周りにいた三人の方へ向かう。
「おっ、こっちに来るぞ」
「アレ何の煙?」
「さあ? でもカッケーなぁ」
 周りの三人は多少驚きはしたが、楽しそうに煙を吐き散らす小さな走行車を眺めていた。
 この謎のサプライズに喜んでいるようだ。
 煙で視界が覆われ、誰がどこにいるのかを視認できなくなったが、三人にそんなことを気にする様子は見られない。「ひゅー!」などと、楽しそうに口笛を吹いている。
「よくわかんねぇなぁ……」
 力也がそう言い終わるのと同時に、三人の方角から何かのメロディが流れてくる。
「お、この曲もしかし――でぇっ!?」
 煙の向こう、何かを言おうとした佐田の声が途中で途絶えた。
 短いイントロが終り、明るいメロディとともに可愛らしい女性の、少女と思われる歌声が響き始める。
「おい、佐田、どうし――ァ!」
 次は今村。
「ャ――!!!」
 そして梶原の声も途絶えた。
 決してうるさいとは言いきれない音量で曲が流れ続ける。
 だが、曲のせいで、視界を覆う煙のせいで、力也は三人に何が起きたのかを推測できない。
「ど、どうしたってんだよ。おい、お前ら! お前ら、返事しろ!」
 返答はない。
「な……なんだってんだ」
 力也は身を屈め、じっと煙の向こうを注視する。
 人差し指を太腿にあて、一秒おきに軽く叩く。
 待つように、観察するように力也は静止した。
 ただ時間が経過していく。
 消火器のような音はいつ間にか止んでいた。
 不意に曲も止まった。
 視界がだんだんと晴れていく。
 灰色の気体は闇に溶け、なじんだ公園の景色が力也の視界に帰ってくる。
「ッ――!?」
 見慣れたはず公園は、いつもより赤かった。
 かつてないほどに、視界を赤が埋めていた。
「し、死んでんのか……?」
 見慣れた友人の血で染まっている異常な惨景。
 佐田は首にナイフを突き立てられていた。胴体には複数の赤いシミがあり、ナイフで何度も突き刺されたことが連想される。
 今村は顔面を汚く切り刻まれていた。鼻が潰れ、首がひしゃげ、腕が本来とは違う曲がり方をしている。
 梶原は右眼球、首、左腕、右手、左腿、右足首に小さなナイフが刺さっていた。心臓にもえぐりこむように、佐田の首にあるものと同じナイフが突き刺さっている。
 三人はスピーカーを囲むように倒れて、いや、死んでいた。
「な……は……?」
 尻餅をつき、後ずさる。
「良いマシンだったろう? シャーシ、ボディ、モーター、ギア、電池、全て自家製オリジナルだ」
 力也の背後から低い、男性とおぼしき声が聞こえた。
「曲の方は――」
 振り返ろうとして、後頭部に何かを突きつけられていることに気づき、振り返ることをやめた。
「――すまん、曲名をド忘れした。まあ、流行の二次元アイドルの曲だ。死ぬなら明るい気持ちで死にたいと思ってな。特別に用意した。感謝しろ」
 声と同時に力也の肩が蹴り飛ばされる。
 身体が反転し、仰向けになる。
「ここからが本番だ。喜べ主犯。紙幣二枚のぶん愉悦、しっかり教えてやる」
 月のない夜空を背に、全身を黒の外套に包んだ殺人犯が猟銃を構えている。
 銃口が力也の喉元に固定される。
 力也は言葉を発しないまま、ただ目を見開いて汗を垂れ流す。
 その息は荒く、何度も何度も唾を飲む。
「おいおい、お前は恐喝が得意なんだろう? 銃口を押し当てられたくらいで怯えてどうする?」
 外套の殺人犯は愉快そうに言う。
 力也は奮え、ただひたすらに唾を飲む。
 殺人犯は「やれやれ」とつぶやき、
「ひとつ同情するなら、お前達は運が悪かった。今日この日まで、誰もお前達を救わなかった。どこかで更正していればこうはならなかった。どこかで道徳的に正しく軌道修正していればこうはならなかった。そう、お前達の周りに誰か一人でも、お前達のことを叱ってくれる人、注意してくれる人がいれば血を見ることはなかった。いや、一人だけいたか? まあ、彼女の話を聞かなかったのなら、自己責任だな」
 とても優しい声で殺人犯は言う。
 猟銃を力也の首に押しこみ、引金に指をあてがう。
「さあ、死ね」
「や、やめてくれっ!?」
 殺人犯がいざ殺さんと引金を引こうとした瞬間、力也はようやく言葉を発した。
 殺さないでくれと、何か悪いことをしたのなら謝ると、懇願した。
 殺人犯は引金の手を止める。
 そしてため息をつき、
「お前があまりにもみじめだから、ひとつ、提案をしてやろう」
 殺人犯は力也の顎に銃身を当て、顔を上向かせる。
「俺が今やってることはただの恐喝、いや、強盗殺人か? まあ、目的は金だ。お前があり金を譲り、今日の出来事をすべて黙秘できるなら、こいつらみたいに殺さなくてもいい。できるか?」
 力也は静かに、首を縦に振る。
 それと同時に力也の喉を銃口が突き、嗚咽を漏らそうと開かれた口に銃口が押し込まれた。
「答えは言葉で返すといい。意思を明確にしないのなら、俺はお前が死にたがっていると判断する」
 力也を見下す殺人犯は、一向に顔を見せないまま楽しそうに良い放つ。
 銃口を口から抜き、返答を促す。
「な、何も言わない。全部、なかったことにする。こ、殺さないでくれ、いや、殺さないでください!」
 それが斉藤力也の答えだった。
「よかろう。金、服、携帯、すべて残して全裸で去れ」
 その脅しに驚きながらも、力也はその要求を全てのみ、公園を走って立ち去った。
 何かを隠し持っていないかということで、口内、肛門、陰茎、耳穴、髪の中などを確認されたが、生き延びれたことの方が嬉しかったのだろう、恐怖にまみれながらも、力也の口元は生還の喜びで歪み緩みきっていた。
 汗、涙、涎を垂らしながら、自宅へ向けて全裸で疾走する。
 その後ろ姿を見つめ、
「なんだ、思った以上に彼は素直な性格らしい」
 殺人犯は公園の隅で小さなマシン音を鳴らす自作ミニ四駆と、佐田、梶原に刺したナイフを回収しながら小さく笑う。殺した三人のポケットから財布を奪うのも忘れない。
 CDラジカセからCDだけ回収し、ケースに入れて外套にしまう。
 今村にCDラジカセの持ち手を握らせ、もう片方の手でラジカセをぺたぺたと触らせる。
「おめでとう、ラジカセを盗んだ真犯人は君に決まりだ」
 とても楽しそうな声で言う。
 ついで、三人の死体から髪の毛を思いきり引っ張り、抜く。
 そのうち数本を、ラジカセのスピーカー部分に丁寧に差し込む。 
 外套から小さな円筒状のケースを取り出し、蓋を開ける。
 中には様々な色、太さの髪の毛が入っている。
 そこに残った三人の髪の毛を加え、蓋を閉じ、外套の奥にしまった。
 一旦森に戻り、ハンドバッグにミニ四駆とCDをしまい、スペアの靴に履き替える。
 ガンケースを置き、猟銃のみを手に取る。
 先ほどは未装填だった十二口径の上下二連に、七.五号の散弾を装填する。
 装備確認。
 猟銃。ナイフ。防刃手袋。
「よし、休憩終了」
 殺人犯は力也が逃げ去った方角を向き、歩き出した。
 黒の外套は闇夜に溶け、その本業を継続する。







 
「なんで! 俺が! こんな目に!」
 夜の住宅街を全裸で走る人影。
 斉藤力也は殺されなかった喜びと、殺されそうになった怒りを混じ合わせたような表情で、コンクリートの路面を駆け抜ける。
「金を盗っただけ、そんな大それた悪事じゃない。ただ金を盗っただけ、なのに、なんで! なんで! なんで!」
 繰り返し同じことをつぶやきながら、息が切れても休むことなく、自宅へ駆けた。
 幸か不幸か、誰にも目撃されず自宅まで帰り着いた。
 自室に入り、ベッドにもぐりこむ。
「でも、俺は殺されなかった。アイツらは殺されたけど、俺は生き延びた。きっと、俺は、特別」
 ガタガタと震えながら、笑みを浮かべてタオルケットに包まる。
 膝を抱え、恐怖を忘れるように目を閉じて、
「大丈夫、大丈夫」
 という言葉を重ねていく。
 何度も「大丈夫」を重ね、十五分ほど経過する。
「だい、じょう、ぶ」
 つぶやきすぎたせいか、喉が渇いてうまくしゃべれなくなっていた。
 力也はベッドから出て、服を着た。
 喉を潤すために、台所へ向かう。
 親は外出中。父親から『今夜は母さんとご飯を食べに行く。作り置きのうな重を食べてくれ』とメールがあった。
 台所の電気はつけっぱなしのようで、廊下まで光が漏れている。
 斉藤家ではよくあることだ。
「俺がこんな目にあってるときにのんきな……」
 眉間にシワを寄せながら台所の引き戸をスライドさせる。
「ん? 何だ、お前からこっちに来たのか。このうな重を食べてから会いに行こうと思ってたんだがな」
 小さな台所に中型の長方形テーブル。
 そんな見慣れた風景の中で、フードを被った黒い外套の人間がうな重を食べている姿を目の当たりにした。
 しかも土足である。
「おっ、おっ、おっ、おまっ、おまえ!?」
 力也は家宅侵入者に人差し指を向けて狼狽する。
 予想外の出来事だったらしく、腰を抜かし、ただひらすらに「お」と「ま」の発音を繰り返す。
「いやな、お前の携帯メールに『作り置きのうな重を食べてくれ』と書いてあったんだ。なら、俺はうな重を食わざるを得ないだろう?」
 顔を隠したまま、不法侵入者は満足げに笑い声を上げ、うな重をかっくらう。
 その傍らには先ほどの猟銃が置かれている。
 生物を殺す銃火器が、嫌味なまでに黒光る。
「ひ、ひいい――」
 力也は声をあげ、逃げ出した。
 が、反転したところで髪を掴れ地面に叩きつけられる。
 そのまま猟銃を口に押し込まれ、
「騒ぐな。本当に死ぬことになるぞ」
 注がれる殺意。力也に為す術はない。
 力也は涙を浮かべ、体を震わせる。
「安心しろ、俺は他の用事でここに来た。殺す気はない。本題は別だ。お前の父親が埋蔵文化財センターの局長をやっていると聞いてな。この家に、ひとつでも埋蔵物を持って帰ってないか?」
 問いと同時に、押し込まれた銃口の圧力が緩む。
「し、知らない」
「そうか、なら、お前の父親の部屋にあった鉄金庫。あれの開錠方法はわかるか? 四ケタのダイヤル式のようだが、俺が思いつく範囲の数字では開かなかった」
 侵入者は問いかける。
 力也は脱水症状になるのではないかというくらいに汗をにじませながら、
「金庫、四ケタ、親父、数字、埋蔵物、局長……」
 頭を抱えて、単語をつぶやく。
「思い出すことをオススメする。それで君の平穏は確定する」
 その言葉のせいか、少年は呼気を荒げ、単語を紡いで行く。
「親父、趣味、外食、お袋、飯、ディナー、メニュー……値段! そうだ! 親父とお袋が外食するとき、いつも食べてるメニューがある。その値段!」
 瞳をぐっと開き、少年は解答を出す。
「よし、答え合わせだ」
 力也は銃を背中に突きつけられたまま父親の部屋まで歩かされ、金庫の開錠を要求された。
 銀のダイヤル式施錠をひねり、数字を合わせていく。
 力也が震えながら選んだナンバーは『一八八〇』。
「なるほど、中級の肉を満喫してるといったところか」
「いや、うな重だ」
「……」
 一瞬の間。
 外套の侵入者は「うな重一家か……」とうらやむような声を出し、金庫を銃身で開く。
 金庫の中には、
「水晶玉? 紋様が入ってるが……何だ?」
「さ、さあ?」
 力也の反応は嘘をついているようには見えない。
「そうか。では、約束通り、俺はお前を殺す気がないから――」
 銃口の圧力が少年の背中を解放する。
 力也は疲れ切った表情で、しかし、限りなく安堵したといわんばかりに息を大量に吸い込み、

――俺の思想しんじょうに従って死ぬと良い。

 乾いた炸裂音と共に頭蓋を吹き飛ばされた。
 即頭部からの零距離射撃。
 散弾銃『BERETTA 686E BLACK LIMITED』より発射された散弾は、標的の頭肉を放射状にえぐり、吹き飛ばした。
 肉が散り、壁にこびりつくように付着する。
 散弾一発に込められた小粒――数にして二九四の鉛が人体頭部を挽肉ミンチにした。
 射者は外套のフードを取り、満足げに頭部が削られた死体を見る。
外道ク ズは虐殺する。それが俺の生きがいでね。まあ、運が悪かっただけさ。来世ではもっと上手く恐喝をすることだ」
 満足げに殺人犯――猪狩明道は死体の喉仏を人差し指でぐりぐりとねじる。
 なんとも幸せそうな表情で、死体を眺め、触る。
「――great。俺、満足」
 外套から円筒状のケースを取り出し、その中から多種多様の髪を数える程度につまむ。
 台所や玄関、各寝室とトイレに行き、謎の髪の毛を一、二本ずつ添える。
 その後うな重の食器と箸を洗い、台所にあったビニール袋に入れ、力也父の部屋に戻ってきた。
「家宅での殺人は色々と面倒で困る……」
 愚痴を吐きながら、明道は力也の髪を引き千切り、円筒ケースに入れ、外套の中にしまった。
 うな重の食器類を入れたビニール袋を床に置く。
「さて……」
 金庫の水晶に向き直る。
 見たことのない、ヘンな紋様が刻まれた直径十二センチほどの水晶玉。
 淡い緑色を帯びている。
 金庫から出そうとして、
「おい、これは触っても大丈夫なのか? ……ああそうか、さっき喋れなくしてしまったか」
 倒れた死体に話しかけたが、当然返事はない。
 視線を己の手に移す。
 防刃手袋をした両手。
「触るだけであれば、仮に盗難防止用に毒が塗られていても大丈夫だろう」
 眼鏡を整え直し、両手を交互に見やる。
「よし」
 と小さくつぶやき、明道は左手を水晶に伸ばした。
 右手で猟銃を持ち、銃床――銃を構えたときに肩に当てる部分――を水晶に向ける。
 防刃手袋をした左手が水晶に触れる。何も起きない。
 左手が水晶を掴む。何も起きない。
 金庫から水晶を持ち上げて取り出す。何も起きない。
 水晶は明道の手中に収められた。
「……ふぅ」
 安堵の表情、何もなかった安心からか、手に持つ水晶に顔を近づけて見やる。
 その瞬間、水晶が唐突に光を帯び始めた。
「なっ……!」
 明道は反射的に水晶から手を離し、後方に跳躍する。
 宙に投げ捨てられた水晶はさらに光を強め、緑色の発光を撒き散らす。
 光の奔流は結集し、勢いを持って明道の左肩に飛び掛かった。
 その速さはまさに光の如く。
 音速を超え、光速で空間を駆け抜ける。
 跳躍中の明道にかわす術はない。
「ぐ……ぁッ」
 発光体は明道の左肩を突き刺すようにして侵入した・ ・ ・ ・
「―――――!!!」
 声にならない声をあげる。
 外套は緑光で焼き千切られた。
 右手の猟銃が落ちる。
 左肩から肉が焼ける音がする。
 豚肉よりも良い音を奏で、緑光は人体を貪り喰う。
 明道は血が出るほどに唇を噛みしめ、顔面を歪める。
 だが、出血ならば左肩の方が酷い。
 焼き切られたとはいえ、服があったから出血が飛び散ることはなかった。
 だが、すでに左腕は真っ赤。
 血液は腕を滴り、床に落下せんと水滴化している。
「ッ――!?」
 外套を剥ぎ、零れ落ちる血液の下に敷く。
 間一髪。出血が床に付着するようなことはなかった。
 そのまま流れるような作業で落とした猟銃に手を伸ばし、銃口を左肩に向ける。
 薬室には散弾があと一発残っている。
 左肩でなおも緑光を放ち続けている部分のみに照準を合わせる。
 右手と左足で銃身を固定し、右足親指を引金にあてがう。
 数秒固まる。瞼を閉じ、渋い顔で重い息を漏らす。
 さらに数秒して、意を決したように靴下越しのトリガーに力を加えていく。
「ァ――――!」
 緑の発光が強まり、明道の呼吸が一瞬止まる。
 引金への加圧が中断される。 
 体内を侵食する熱は殺す勢いでさらに強まっていく。
 明道は力強く目を見開き、
「一秒躊躇う毎に肉体が殺されていく……っ!」
 先ほど吹き飛ばし、脳がこびりついた壁を見る。
「脳が飛び散るよりマシだ。証拠隠滅も諦める。生きて、逃げればそれでいい……っ!」
 自身に言い聞かせるように強く訴えかける。
 唇を噛んだまま、断裂する呼吸のまま、右足親指に力を込めた。











――引くな。
 
 引金を引こうとしたまさにその瞬間、明道の脳裏に得たいの知れない感覚が炸裂した。
 視界が赤く明滅し、明道の呼吸が停止する。
 数秒で明滅は収まり、呼吸ができるようになった。
 明道は咳き込みながら左腕を見やり、
「撃つべきではない……のか?」
 自身が感じたことを口にした。
 脳裏を電流のように奔った直感のような警告モ ノ
 何の理論的根拠もない警鐘モ ノ
「だが……感じた」
 音のような、文字列のような、どうしてもそれを言葉にするなら、
「第六感……? はっ、馬鹿な」
 首を振った。
 患部を切除しなければ熱は体を焼き殺す。
 そのような状況で、第六感などという感覚モ ノがなぜ警告を出すのか。
 どうしてそれを信用できようか。
「……」
 だが、引金を引こうとするたびに警告ソ レは頭に響く。
 引金から指を離せば警告ソ レは収まる。
 何度繰り返しても警告ソ レは反応する。
「『結果起こりうる損傷ダメージを予測』してるとでも言うのか」
 疑問が脳内を駆け巡る。
 しかし、解決するための情報がない。
「なら……起きたことを事実として考えろ」
 自身を叱咤する。
 だが、起きたことを事実として捉えたところで、出来ることは『引金を引かない』ことだけだ。
「はぁ――はぁ――」
 呼吸が乱れる。
 明道にはもう気力が残っていない。
 身体は緑光と熱に犯され、体力はほぼすべてもっていかれた。
 意識も視界も時間と共に薄れていく。
 慣れたのか、神経が死んだのか、だいぶ痛みを感じなくなっていた。
 緑光も淡い光り方で、先ほどよりも穏やかだ。
 見ると、いつのまにか出血は止まっていた。
 再出血防止のために、外套を千切って左肩に巻く。
 あとは放っておくことしかできない。
 できることは何もない。
「寝る……死んだら……知らん」
 ゆっくりと立ち上がり、他人の父親のベッドに倒れこもうとして、

――逃げろ。

 頭の中を痛みともなう警告音が駆け抜けた。
 脳に銃弾をねじり込むような痛み。
 最速で意識が覚醒する。
 視界が赤く明滅し眼球が熱く滾る。
 眉間を抑え、数秒静止。
 その後呆れたように小さな笑みを浮かべ、
「警告を出してるのは、俺自身……だな。本能って奴か?」
 正解はわからない。
 しかし、確かに自分自身の内側から警告が発令されていると理解した。
「で、何から逃げろと?」
 警告を素直に受け入れたとして、具体的に何が起きているのかが把握できなければ適切な行動は取れない。

――今日のうな重も美味しかったわね、貴方。
――ああ。力也にも食べさせてやりたかったが、まあ、妻と二人きりで食事をしたい時もある。

 明道の耳にそんな会話が届く。
 頭をかき、
「……ヘンな声が聞こえる。この家に向かっている足音が聞こえる。おいおい、何で俺はそれが死体コ レの家族だって思うんだ? ああもう、意味がわからんが撤退だ!」
 明道は犯行の証拠を残していないか確認し、猟銃、食器が入ったビニール袋等を抱えて会話と反対方向へ移動する。
 庭の窓をそっと開け、家から脱出。
 塀をまたぎ、住宅路へ。
 息を荒げながらも、無音での移動は決して崩さない。
「さて、どう逃げ……れば誰にも見つからないのかも、教えてくれるわけか!」
 頭に響く警告音は、どこへ逃げるべきかを感覚的に掲示してくれる。
 丁寧にも、ハンドバッグの回収を忘れるなという助言つき。
「本当に……第六感というヤツか」
 疑いようがなくなってきていた。
 取るべき行動を本能が通知し、それを確信できるなど、本来ありえないことだ。
 しかしそれを言うならば、明道の左肩で熱を放つ緑の光がすでにありえない。
「殺されそうになって本能が目覚めたのか、もしくは、この緑の光が俺の本能を刺激しているのか……いずれにせよこの第六感。信用できるうちは頼らせてもらう!」
 瀕死の明道からしてみれば、誰にも見つからずに安全地帯へ移動できる事は大変都合が良い。
 信頼できるものがあるのなら信用し、活かすべきだと判断した。
「論理的ではない、感覚的なものに頼るとはな……ああ、だから人間は機械になれないのか」
 頭に響く痛みを忘れるようにつぶやき、警告のままに住宅路を駆け抜ける。
 しばらく走り、肉体の限界を五度ほど悟った頃、第六感が導いた安全地帯に到達する。
「……」
 声が出なかった。だが、溜息は出た。
 明道の目の前に現れた光景は『排水路』。
 かさの浅いにごった水がゆるやかに流れている。
 にごりとともに、油汚れのようなものが見て取れる。
 空き缶が半分突き刺さるようにして水路に埋まってる様を見る限り、清掃などとは無縁の状態で放置されているようだ。
 清掃されていない水路は当然のように、異臭を放つ。
 高さと幅はちょうど一人の人間が進んでいける程。
 つまり、入れということだろう。
「俺の第六感は、少々キチガイめいた感覚を持っているようだ」
 第六感の判断に文句をつけつつ、屈み、水路を進む。
 ある程度進んだところで身を落ち着かせた。
 いつの間にか、痛みは引いていた。
 だが、身体は重く、左腕にいたっては感覚はあるが動かすことができない。
 ぼーっとしていると、急に視界がぐにゃりと曲がった。
 ゴミでもついたのかと、眼鏡を外す。
「?」
 すると、眼鏡をかけたときよりも視界が鮮明になった。
 眼鏡をかけると、歪む。
 外すと、良くなる。
「……あとで考えるとしよう。面倒だ」
 つぶやき、ため息を吐く。
「……惨めで、無様だ」
 そう自嘲する。
 だが、犯行現場にも逃走路にも一切の証拠を残さなかった。
 細かく言えば、証拠になりうるものは極少数残っているが、事件発覚後すぐに猪狩明道を犯人だと断定できる犯行現場にならないように努めた。
「それで十分、及第点だろう。今度こそ……寝る」
 壁を背にしたまま瞼を閉じる。
 猪狩明道は今宵の本業を終え、悪臭漂う水路にて眠りにつく。
 得た資金は紙幣二枚と、小銭だらけの財布四つ。
 金額で言えば、副業の方が儲かった。
「すぅ……すぅ……」
 安らかな寝息。
 左肩。巻かれた布の下では、なおも緑光が淡い光を放っていた。
 肩はただ焼かれただけでなく、そこに奇妙な紋様をのこしていた。
 訴えるように強く。
 叫ぶように雄々しく。





序章 銀色の刻

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第一章 副業/本業/外道





============= 序章 銀色の刻 =============





――より楽しい明日の追求。それこそが人生だ。





 少年が小学生の時のこと。
 平凡な毎日の中で『楽しかった』と強く感じた日があった。
 だから明日は今日よりも楽しく生きようと思った。
 目標どおり、明日を楽しく生きることができた。
 なら、明後日はもっと楽しく生きられるはずだと思った。
 明後日も楽しく生きることができたから、明々後日も、今週も、来週も、来月も、再来月も、半年後も、来年も……毎日加速するように楽しく生きられると思った。
 しかし一ヵ月後。
 加速するはずだった楽しい日々は減速するように、昨日の楽しさを越えることが難しくなっていった。
 なぜだろうと考え、
 遊びの幅を広げたり、
 友達を増やしたり、
 本を読んだり、
 大人と話したりと、
 未知のモノ、知らないモノに手を出すことを心掛けた。
 が、数ヶ月で限界が訪れた。
 新しい物事に手を出すことは確かに新鮮だったが、少年はまだ小学生だ。
 考えつく遊び、
 作れる友達、
 理解できる本の内容、
 話を合わせてくれる大人、
 すべてにおいて幅、数、質に限界があった。
 しかし、少年は挫けず、限界を超えるまで愚直な行動と思考をしつこく重ねた。
 それだけで大抵の限界は突破できた。
 限界に挑戦する中で『苦労をともなって何かを為す楽しさ』のようなものを知った。
 それは達成感というものらしく、三ヶ月はそれにハマッた。
 が、三ヶ月と一日目には飽きてしまった。
 より楽しい明日を求める道は険しいのだと、改めて思った。
 だが、限界に挑戦をしたことは無駄ではなかった。
 ひとつ、より楽しい明日に届くための根幹となる考え方を手に入れた。
 それは『何か一つの難易度:一〇〇』に挑むよりも、『ありとあらゆる難易度:二〇以下』に触れる方が楽しいということだ。
 例えば『算数』は楽に出来たが、中学レベルの『数学』になると少年にはさっぱりだった。
 時間をかければなんとか理解できたが、その間、別の簡単な難易度モ ノをひとつ突破するほうがよっぽど意味があると思った。
 達成感の心地良さは捨てがたいが、それよりも他の『楽しい』を複数手に入れるほうがお得だったのだ。
 それ以来『楽しいに至るまでの労力』や『手に入る楽しさ』といったものをその時々で秤にかけ、『効率的にほどよい質と量の楽しさ』を求めるようになった。
 もちろん、楽しさの追求に『こうしなければならない』というルールはない。
 最終的に手に入る楽しさの質が莫大ならば『難易度:九〇』に挑んだ。
 逆に、気分的に安価な楽しさが欲しければ『難易度:一』の物事に幅広く手をつけた。
 他人から見れば極端なのか柔軟なのかよくわからない子供だっただろう。
 しかし、少年の中では、その時欲しいと思った楽しさを最速最短最効率で手に入れるという、少年なりの一貫した考え方を貫き通していた。
 このようにして、少年は効率重視のより楽しい明日を構築するに至った。
 だが、それでも少年は満足できなかった。
 確かに今日という日は嘘偽りなく最高に楽しい。
 だけど、昨日よりもプラス〇.〇一しか楽しくなっていない。
 考えうる最高効率の行動を取っている。
 なぜもっと楽しくならないのかと考えて、考えて、考えた結果、

――そうか、他人だ! 俺じゃない、俺以外の人! みんながもっと楽しければ、雰囲気とか空気が明るくなって楽しくなるかもだ!

 そういう発想に至った。
 今までは自分が楽しく生きるために、自分に直接還元される楽しさというものを突き詰めてきた。
 だからこそ、未知の領域、他人から与えられる楽しさというものを考えた。

――俺は一人だけど、俺以外俺以外・ ・ ・はたくさんいるんだ! だったら、他の人が世の中を楽しくしてくれれば、俺はもっと楽しく生きられるかもしれない!

 少年は自分にとって面白い人を探すという視点で世の中全体を見回してみた。
 もっとも面白いと感じたのは『一生懸命頑張る人』だった。
 ここでいう面白いは『オモシロオカシイ』の意味ではなく、心をひかれ、心底応援したくなる、生きることをより素晴らしいと感じさせてくれる人を指している。
 正論で戦う政治家、経済好転を目指す評論家、医療問題の改善を訴える医師、人のために働く民間企業、己の限界に挑み続けるアスリート、人の心を熱く強く豊かにするエンターテイナー……例をあげればきりがないほどに『何か一つの難易度:一〇〇』に挑み、理想と戦う人々がいた。
 その姿、その在り方を美しいと感じた。
 焦がれ、応援したいと、何か自分にできることはないかと思うほどに、戦う勇者ヒ ト達に感動した。
 
――他人、スゲェ……っ!!!

 少年は思い直した。
 自分もすでに『より楽しい明日を目指すことにおいて、難易度:一〇〇』を目指していたのだと。
 特化している人達は『難易度:一〇一』を、それよりさらに高い難易度を目指して戦い続けているのだと。
 自分にもまだできることはある。
 まだ楽しく生きることができるはずなのだ。
 懸命に頑張る人の姿に心と魂が揺さぶられたのならば、より楽しい明日を求めて戦わないわけにはいかない。

――で、何をしようか?

 懸命な人達が世の中を素晴らしいものにしてくれている。
 自分はその姿にチカラを貰った。
 貰ったチカラでより楽しい明日に届くことができた。

――さらに楽しい明日を手に入れるためには、懸命な人がより素晴らしく生きられるように『何かをする』ことが必要なのかな?

 嘘偽りなく、懸命な人達のために『何かをしたい』と思った。
 何かをすることで、自分がもっと楽しく生きられる確信があった。
 だが、何をしたらいいかわからなかった。
 考えても考えても、自分に出来ることはなかった。
 だからもっと考えて、考えて、考え抜いた。
 そして小学校を卒業した日、ふと思い浮かんだ。

――つまらない人間がいなくなれば、世の中は素晴らしいもので満ち溢れるのかな?
 
 他人を排除する。そういう考え方をしてみた。
 例えば雨の日に傘を盗む奴がいる。
 スーパーで万引きする奴がいる。
 夜中に暴走する奴がいる。
 少年はその手の輩は排除さつがいするべきだと思った。
 楽しいものを追い求めてきた少年にとって、そんな『殺しても何の問題もないつ ま ら な い人間が生きている』ことは大きな疑問だった。
 なぜ排除さつがいしないのか、できないのかがわからなかった。
 小学校六年間、何度考えても答えが見つからなかった。
 結果、排除しても問題ない人間のことを害悪ク ズと呼び、無視し続けて来た。

――中学生になったし、もう一度考え直してみよう。

 世の中には無限に害悪ク ズがいる。
 他人の心を踏みにじり、
 他人の身体を弄び、
 他人の財産を貪り尽くす。
 何一つ面白い事をしない、何一つ面白い物を生まない、取るに足らない我欲のために迷惑を撒き散らす害悪。
 無限と表現するほどに、正義のない、理念のない、酌量するべき叙情など何一つない、本当に腐りきった害悪ク ズがこの世にはいる。
 殺人、恐喝、強盗、詐欺、強姦、放火、器物損壊、通貨偽造、電子計算機損壊等業務妨害……罪状を数えることすら疲れるほどに、害悪ク ズは不徳を為す。
 なぜか害悪ク ズは絶滅しない。
 なぜか見飽きるほどに目につく。

――でも、自分に害がないから捨て置いた。楽しくないから無視してきた。

 鬱陶しいと思ったことはある。
 死んで欲しいと思ったこともある。
 なんなら自分が殺してやろうかと思ったことさえある。
 だが、正義感のようなもので害悪ク ズを殺しても、少年には何の得もない。
 ただ殺人犯になるだけだ。
 だから何もしなかった。
 正義などとというものは、少年にとってなんら行動する動機にはなりえなかった。
 動く理由がない以上、動く必要はない。
 無視するのが一番良い、相手にしないほうが楽しい。
 そう考えてきた。

――だが、それでいいのだろうか?
  害悪ク ズはいずれ、素敵で楽しいこの世界を面白くないものにしてしまうのではないだろうか?
  面白いこの世をつまらなくしてしまう害悪ク ズは取り除かれるべきではないだろうか?

 しかし、世界、国、県、市、町、村、家庭……少年が調べる限りで、マニュアル化された害悪ク ズ排除さつがいする仕組みシステムは存在しなかった。
 当然と言えば当然。
 害悪ク ズの定義は人それぞれで、一概に断定できるものではない。
 出来るのは『犯し終えた迷惑な行動』が『どれだけ迷惑だったか』を判断して処分を下すことだけだ。
 あらかじめ『あいつは害悪ク ズだから排除しよう』ということはできない。
 処分を下す際に『どれほど害悪ク ズなのか』が考慮されるが、優先順位は『具体的にどの法を犯したか』の方が高い。
 そして下される処分は、禁固、罰金、懲役のようなものが大半で、死刑はめったにない。
 少年はそこが気に食わなかった。
『死刑』のハードルが高いことが、どうにも納得できなかった。
 少年が特に納得できなかったもののひとつに、小学六年生の時に市内で起きた『少女連続準強姦事件』というものがある。
 手口はすべて同じ。犯人は少女に睡眠薬を飲ませ、昏睡させてから猥褻行為に及んだ。
 暴行や脅迫を行うことはなく、昏睡させて姦淫を行ったので、強姦ではなく準強姦と呼ばれた。
 犯人は自分なりの美学を持っていたのか、『必ず少女を眠らせてから姦淫に及び、その光景を少女の携帯電話で撮影し、登録されている全ての宛先に写真を添付したメールを送信する』という行動を取っていた。
 恥をかかせることが目的だったのか、脅迫を行い被害者に金銭や再度姦淫を迫るようなことはなく、誰一人、被害者を殺さなかった。
 だが、精神的には殺されたようなものだろう。
 自分が犯されたという事実を知り合い全員が知っている。
 心の傷は、常人には理解できないほどに深いはずだ。
 精神的な苦痛に耐え切れず、被害者二十九名のうち七名が自殺を図った。
 また、七名のうち三名は、家庭が貧しかったため、引っ越すなどの事件を忘れるための手段を考えたが実行できずに自殺した。
 犯人は三十人目の被害者を出す前に逮捕された。
 動機は『一番欲情できるシチュエーションで性処理をしただけ』とのことだった。
 これは少年が定義するところの害悪ク ズに完全一致、完璧に該当する。
 我欲のために害を撒き散らし、迷惑のみを振りまく、生かしているメリットがわからない者だった。
 もちろん、それはあくまで少年の考えでしかなく、テレビのコメンテーターの中には『犯人の家庭には問題があったはずだ』『犯人の心情、事情を慮るべきだ』『犯人はまだ若いんだから、未来がある。刑を重くするべきではない』という違う見方、意見をする者もいた。
 少年にとってその考え方は受け入れられるものではなかったが、冷静に流した。
 少年が冷静でいられたのは『犯人は死刑になる』と確信していたからだった。
 女の子にひどいことをして、結果自殺にまで追い込んだ犯人が、法の下で裁かれないなどありえないと信じていた。
 それゆえ、誰が犯人をかばうような事を言っても、呆れて笑うことが出来た。
 最終判決は少年が中学二年生の時に出た。
 懲役三十年、決して死刑などではなかった。
 てっきり死刑になると思っていた少年からすれば、それは予想外の出来事。
 気になって調べてみたところ、犯人が行ったのはあくまで『少女を眠らせて犯し、その一部始終を写真にとって、少女の知り合いに写メを送っただけ』で、殺人をしたわけではない。
 強姦は性犯罪の中でもっとも重い罪とされているが、死刑は犯人自らが被害者を死に至らしめた場合でないと適用されないようだった。
 被害者の女の子が処女だった場合、処女膜を破ったら強姦致傷という罪にもなり得るらしいが、それだけで死刑になったという前例を見つけることはできなかった。
 中学二年生ししゅんきということもあり、少年は処女の意味などには興味も関心もあって当たり前のように知っていた。
 周りの女子にとって、とても大事なものなのだと思っていた。
 だからなおさら死刑にしない意味がわからなかった。
 
――間違いなく心を殺しているのに、なんで犯人は死刑にならないんだ?

 疑問に思い、強姦に関する罪で死刑になった人がいるのかどうかを調べてみた。
 県の図書館にあった資料などを見る限り、強姦で死刑になったのはいずれも殺人を犯した強盗強姦罪、強姦致死傷罪、強姦罪で、数える程度しかなかった。
 この事件は眠らせて犯しただけの準強姦。
 処女を奪っただけの、致ではない――死に至ってない――強姦致
 これでは死刑にできない。他の罪とあわせても懲役が伸びるだけで死刑にはできない。いや、しない・ ・ ・というのが現状の法律ルールなのだと、少年は把握した。
 それがこの国を作ってきた人たちが定めた、強姦という罪への考え方なのだろうと、悔しく思った。
 せめてもっと重い罪を科して欲しいと自分一人が思っても、国という大きな存在が決めたルールなのだから、抗いようがない。
 考え方が、解釈が根本から違うのだろう。
 だが、この違いに対する憤りのようなものがなければ、世の中はより美しい姿を目指すことはなかったかもしれない。
 世の中は絶えず問題を抱えていて、常に改善されて今がある。
 もしかしたら、強姦罪への疑問を自分以外にも抱えている人がいるかもしれない。
 同じ疑問を持つ人が多くなれば、いつかきっと、改善されるだろう。
 少年はそう結論づけた。
 だが、ふと、

――いつか強姦罪に死刑が適用されるようになったとしても、罪を犯し終えたあの性犯罪者が『今』死刑になることはない。

 不満の根本に辿り着いた。

――そうか。俺は、害悪ク ズとわかった段階で、そいつに死んで欲しいんだ。

 法や倫理といったものはどうでもよく、食欲や性欲のような欲求で害悪ク ズに死んで欲しい。
 懸命な人がより素晴らしく生きるために害悪ク ズを排除できたら良いのではないか、というのが思考のスタートだったが、それとは別に、自分自身にとっても不愉快だから害悪ク ズに消えて欲しいというゴールに辿り着いた。
 徹底的に害悪ク ズを無視してきたがゆえに、単純な事に気づいていなかった。
 より楽しい明日を目指す少年にとって、不愉快たる害悪ク ズを排除することは自分自身にとってもメリットがあることだったのだ。
 ならば、自分の手で害悪ク ズ排除さつがいするのはどうだろうかと考えてみた。
 そもそも、法の中身を一言一句完全に暗記して意識して生活している人間などいないのだから、

 起きた出来事に対し、   /害悪ク ズを発見したら、
 為すべき行動を判断し、  /殺すか否かを裁定し、
 結果に至れば良い。    /有害ならば排除する。

 深く考えずに、たったそれだけのシンプルなスタンスで良いのではないかと、少年は思った。
 それはまぎれもなく殺人で、強姦よりも罪は重い。
 だが事実として、死ぬべき者が死に、生きるべき者に危害が加わらないなら、そんな世の中は自分により楽しい明日を提供してくれるだろう。
 
――自分が本当にそうすべきだと思ったことを貫くのなら、例え法からズレたとしても間違いじゃないはずだ。

 そう考えた時、少年は『準強姦犯の事情を慮るべきだ』という見方、考え方を素直に納得することができた。
 少女を眠らせて犯すことで、犯人が『より楽しい明日』を手に入れる事ができるのならば、その部分に関して、犯人は自分と一致する。
 自身の欲求に素直であるという点で、全ての人間ヒ トは等しく同じ動物だ。
 ただ欲求と、ソレをどうやって満たすのかが違うだけ。

――そうか、これが人の違いか。どうりで世の中争いが絶えないわけだ。

 もちろん、少年にとってくだんの準強姦犯は殺すべき害悪ク ズでしかない。
 犯人はただ性欲に身を任せただけ。
 そんな害悪ク ズが減るに越したことはない。
 この世に蔓延はびこ害悪ク ズを殺して何が悪いというのだ。
 故に『害悪排除ク ズ ご ろ し』――それこそが世の中の面白さを損なわない、最も効率的な害悪ク ズへの対処方法なのだという結論に少年は至った。 
 自分一人が道を外すことでこの世の面白さ、素晴らしさが穢れないのであれば、自分が外道ク ズに身を落とすのも悪くない。

――皆の変わりに、俺が害悪排除ク ズ ご ろ しを代行しよう。
 
 そう考えた。
 そして考えるだけにとどめた。
 ソレを実行するのは狂っている。
 コレは考えるだけにどとめておくべき類のことだ。

――害悪ク ズを無視したって、俺の、月峰時夜つきみねときや日常たのしいは何ひとつ壊れない。

 他人のために、自ら外道に成り果てる理由はない。
 自分の楽しさは十二分に確保できている。
 他人のために行動するなんて、そんな自己犠牲は出来ない。
 それが中学三年間で辿り着いた、月峰時夜の結論だった。
 もう中学校を卒業するのだから、『害悪を排除する』などということを考えるのも卒業するべきだと思い、考えることをやめた。
 人間らしく、ごく普通の立ち回りで生きることを選んだ。
 もとより、少年にとって一番大事なことは、より楽しい明日を目指して生きることだ。
 懸命な人が健やかに生きることができれば世の中がもっと面白くなると思った。
 その結果、自分がもっと楽しく生きれると思った。
 そのために害悪を排除したら良いと思った。
 だが、害悪ク ズを排除しなくとも、少年の毎日が楽しさで満ちたりていることに変わりはない。

――なら、自分ために自分の『楽しい』を求めるだけ。今までのやり方で十分だ。

 月峰時夜は普通の高校生になる道を選んだ。
 







 時は経過し、月峰時夜は高校二年生になった。
 二年生が始まって二ヶ月と少々。
 本日より着用許可が降りた夏服を着て、
「夏服最高ぅ!」
 などと喜びながら、放課後、市内中心地である豊跡とよあと駅前に来ていた。
 駅から見た概観は大きく分けて三つ。

 左手:商店街やデパートなどの買い物エリア。
 正面:会社ビル郡、銀行などのビジネスエリア。
 右手:県庁、図書館、古城などの公共エリア。

 時夜は買い物エリアの商店街を闊歩していた。
「ゲーセンで格ゲーするもよし、本屋で漫画を買うもよし、服屋で服を買うもよし、さて、何すっかなー!」
 自分の楽しさだけを求めると決めた彼にとって、悩みを切り捨てた日々は愉悦の限りであった。
 元々明るく行動派だったため、交友関係も広ければ、趣味の幅も、遊びの幅も広い。
 中学時代に彼が『害悪排除ク ズ ご ろ し』などという思想を持とうとしていたことさえ、誰一人知る者はいない。
 加速する幸福と快楽は、右肩上がりに無限に伸びていく。
 少年は極楽気分で意味もなく、ただ楽しむためだけに商店街をぶらぶらと歩き回る。
 ふと携帯電話を開き、現在の時刻を確認する。
 画面のデジタル時計は午後七時を表示していた。
「よーし、メシだメシ!」
 商店街飲食店エリアに入り、迷わず一軒のラーメン屋に入る。
「オヤジ、今度の麻雀で俺の勝利が確定してっから、今日はチャーシュー麺大盛り半額な!」
「ざけんなクソガキ。オレが役満出すから二倍払ってけ!」
 いつものようにそんなやり取りを行って、夕飯を快適に過ごす。
 その店、その店主とだけではない。
 色んな場所で色んなノリを楽しみ、色んな人と知り合い、毎日をより明るく、楽しく進化させていく。
 それが月峰時夜の極楽向上循環式ハッピースパイラル
 小学校時代に築き上げた、彼だけに適用される絶対理論。
 頼り頼られ、教え教えられ、守り守られ、相互扶助、共存繁栄の中でより楽しい明日を手に入れて人生を謳歌する。
 今日という日が昨日よりも〇.〇〇一以上は楽しくなっていることに満足して、少年はこの日常とこの世界に感謝した。



――ところで、今よりもっと楽しい明日ってあんのかな?






 駅前、午後十一時半。
 各商店はとうに営業を終了し、人も片手で数えられるくらいになっていた。
 時夜は意味もなく当たりをうろつき、暇を楽しむ。
 駅周辺を、何度も歩いた道々を散策する。
 日課のようなものだ。
 用もなく、あてもなく、意味もなく、ただなんとなく駅前に来て、歩いて、帰る。
 たまに本や服、ゲームを買ったり、少し離れた位置にある古城を見たりして帰る。
 自分はこの場所が好きなのだろう。時夜はそう理由付けていた。
 楽しいと感じているのだから、きっとそれがより楽しい明日に繋がることなのだろう。
 自分は満たされている。
 美味しいものを食べ、適度に知り合いにちょっかいを出して、ぶらぶらとおだやかな時を過ごす。
 不満などない。
 何も考えずに、今日という日も平和のまま、楽しいままタイムリミットまで駅周辺を散策すれば良い。
 そう思っていた。
「……さ、ちょっとだけ、……っと一緒に何か食べようってだけじゃん?」
 ふと、耳に不快感のある音が届いた。
 その方角を見やり、次に踏み出す一歩をそちらに向ける。
 建物と建物の間。
 狭い路地裏。
 通路幅二メートル。
 奥行きは十メートルで行き止まり。
「そのお誘いを断ってるんだけどなぁ。もう帰りたいし。ファミレスで寝すぎたせいでこんな時間だし。友達に置いてかれちゃったし。ご飯食べたからもう食べる必要ないし」
「そんなこといわずにさぁ」
 どうやらナンパの現場らしい。
 高校生らしき男子が六人と女子が一人。
 六人で一人を囲むようにしてアプローチをかけている。
「私一人でそっちが六人じゃバランスが悪いよ」
 女子生徒は壁を背に答える。
 明らかに嫌そうだ。
 少しハネ気味の髪をかきながら溜息をついている。
 男子生徒達はそんな女子生徒の気持ちなど知ったことではないというように、執拗にデートを強要する。
 時夜はそのやり取りを遠くから眺め、

――運が悪かったんだろうな。

 と、心で冷たく吐き捨てた。
 時夜には、だらしのない口調で誘いをかける男子生徒達がこのあとどういう行動に出るか手に取るようにわかった。
 男子生徒たちはプログラムされたように、性欲に忠実に、女子生徒に害を為すだろう。
 現在目の前で起きているやり取りは、まだ事が荒立っていないだけ。

――ま、俺には関係な……いとは言い切れないのか。

 いつものように・ ・ ・ ・ ・ ・ ・、よくみかける光景を視界から切り離して立ち去ろうとした。
 だが、女子生徒の制服が時夜と同じ学校の夏服モ ノだったことに気づき、とどまった。
 女子生徒の名前は知らない。暗闇でくっきりは見えないが、知っている顔と声でないことは確かだ。
 つながりは同じ学校と言うだけ。ただそれだけの縁。
 無視しても問題はない。
 むしろ、今まで何度も捨て置いてきた縁。

――見て見ぬ振りは、これを含めれば人生通算一〇〇〇回目か。四桁……。

 時夜の脳裏に、見捨ててきた映像が蘇る。
 暴行、恐喝、窃盗、盗撮、猥褻、侮辱、詐欺、隠蔽、差別……。
 同じような害悪ク ズが、同じようなシチュエーションで何度も何度も罪を重ねてきた。
 その都度、助ける理由がないから無視してきた。より楽しい明日を目指す自分にとって、そんな光景は無視と遮断さえすれば何の害もなかった。
 所詮ミクロの出来事。
 他人のために自分を犠牲にするやり方では、自分がより楽しい明日に至ることができないから行動しなかった。
 だが、さすがに一〇〇〇回も見過ごしたとあらば、もう二度と『より楽しい明日』が手に入らないのではないかと、自分にそれを求める資格はないのではないかと思い、立ち止まった。
 時夜は遠くからナンパの様子を眺めつつ、考え直すことにした。
「いやホント、帰らせてくれないかな?」
 逃げようとしても逃がしてもらえない状況で、少女はめんどくさそうに言葉を投げる。
「大丈夫だって、朝帰りでも別にいーじゃん。オレら全然気にしねーし」
 少女の要望は相変わらず男子生徒達に届かない。
「いーじゃん、いーじゃぁ~ん。うへへ」
 男子生徒の一人が薄気味悪い笑みを浮かべ、鼻の下を伸ばし、少女に近寄っていく。
 釣られたように、周りの男子生徒達も動き出す。
 視線を女子生徒のふくよかな胸元に向け、一歩一歩にじりよる。
「はぁ……ついてないなぁ。せめて誰か一人、好みのタイプでもいればいいのに。そろいもそろってDQNばかり」
「どきゅ……? よくわかんねーけど、俺たちとズコズコパンパンしよーぜ。つーか、させろよ」
 男子生徒は頬を緩め、伸びた鼻下をさらに伸ばし、女子生徒の胸に向けて手を伸ばす。
 指をにぎにぎさせながら少女の膨らみを求めた手は、
「……うぜぇんだよ害悪ク ズ
 時夜の手に進路を防がれた。
「な、なんだお前!?」
 手首をつかまれた男子生徒がおののく。
 周りの男子生徒達も一歩引いた。
「俺にもよくわかんねえよ……っと!」
 時夜は女子生徒をかばうように立ち、そのまま男子生徒の喉元めがけて拳をめり込ませた。
 小さな嗚咽が漏れる。
 男子生徒がよろけたところを狙い、頭部めがけて膝蹴りを入れる。
 そのまま髪を掴んで地面に引き落とし、首を踏み潰そうとして、
「ざけんな!」
 周りの男子生徒が時夜を殴った。
 時夜が仰け反ったところを狙い、別の男子生徒が落ちていた石を投げつける。
 手のひらサイズの石は見事時夜の頭に命中し、出血するほどの損傷を与えた。
「今だ、叩き込めー!!!」
 そこから反撃する猶予もなく、時夜は男子生徒五人から一方的な暴行を受けた。
 髪をつかまれ、反撃する間もなく、殴られ、蹴られた。
 少しして、最初にのされた一人が起き上がり暴行に加わる。
 一対六。勝ち目はない。

――ってアレ? 俺いつのまにでしゃばった? つーか、なんで喧嘩売ったんだ?

 自分がなぜそうしたのかがわからずに、月峰時夜の脳内は疑問符で埋め尽くされた。
 意識と視界が高速で薄れていく。

――痛ぇ、楽しくねぇ。








 男子生徒六人による月峰時夜への暴行は、およそ七分ほど続いた。
 最初に喉を殴られ膝蹴りを受けた生徒は心底腹を立てており、何度も何度も時夜を殴った。
「カス! ボケ! バカ! サル! ブタ! ザコ! キチガイ!」
 カタカナの罵倒を並べ立て、執拗に時夜を殴り続ける。
 女子生徒はいつのまにかいなくなっていた。
 時夜は両腕をはがいじめにされたまま、かすれそうな意識の中で、

――俺、何やってんだ?

 誰とも知らない人のために行動し、痛い目を見ている。
 今までのように、いつものように、普通の人と同じように・ ・ ・ ・ ・女子生徒を見捨てればよかったはずだ。
 何気ない散策の中で、幾度となく同じような現場を見捨ててきた。
 何度頭に選択肢を浮かべ、何度「助けても自分にメリットがない」と逃げてきたことか。
 それが一〇〇〇回。四桁に達したからなんだというのだ。
 自分が千回ならば、自分より年齢を経た人間は、一万回、十万回、百万回と害悪ク ズを見過ごしている。
 それでも世の中は回っている。
 それでも生活は成り立っている。
 それでも月峰時夜は楽しく生きている。
 
――他人のために自分が戦うなんて、そんなリスクを背負う理由が、信念が、俺にはない。

 中学を卒業するときに辿り着いた答え。
 辿り着いたのに、なぜか、未だその答えに抗っている。
 でも、殴られる中で気づいた。

――俺は『より楽しい明日』のために、違う答え・ ・ ・ ・を求めてる。

 だが、答えに届く言葉がない。
 答えに届く理念がない。
 取るべき行動だけは――『害悪排除ク ズ ご ろ し』という方法だけはわかっている。
 だが、どういう理念でソレをするかが定まらない。
 壊れない理論武装がない。
 魂の真髄に深く宿る、鉄の意志と呼ぶべきモノがない。
 そういったものがなければ、『害悪排除ク ズ ご ろ し』には踏み込めない。
 中途半端な思想で害悪ク ズは殺せない。
 やることは人殺しだ。
 踏み外すと決めたなら、もう引き帰す事が出来ない。
 引き返したところで、待つのは死刑、それだけだ。
 だからこそ、揺るがない信念がなければならない。

――でもそれがない・ ・んだ。

 より楽しい明日を目指して生きてきた。
 そんな目標を心に掲げ、求め、欲すくせに、答えまで見えているくせに、今本当にすべきだと思った行動を取ってない。
 効率的に最高の楽しさを求めていた頃の自分がいつの間にかいなくなっている。安価で質の低い、今求めてない楽しさで満足できるように、自分の心にうそぶき続けている。 

――何が、より楽しい明日だ。欲しいくせに、いつのまにか諦めてんじゃねえか……。

 何がきっかけだったのか、心は怠惰に溺れていた。
 いつの間にか、難易度の高いモノから目を背けるようになっていた。
 到達不可能なら諦めれば良い。
 実現不可能なら求めなければ良い。
 妥協の先には誰もが手にする安い幸せが待っている。
 この世で他人がどうなろうが、自分の楽しい毎日は壊れない。
 例え〇.〇〇〇一ずつしか楽しくならない毎日になったとしても、それの何が悪いというのだ。

――情けねぇ……。

 〇.〇〇〇一。
 そんなわずかなプラスで『昨日より楽しくなっている。自分は楽しく生きれている』などと思うようになっていた。
 毎日一〇〇ずつ楽しくしようと全力だった小学校時代あのころの自分は、どこでいなくなってしまったのだろうか。
 成長して、常識が身についただけで、どうしてこうも心はヘコたれてしまったのだろうか。
 わからない。

――心に嘘をついてたって、俺は本当に楽しく生きれてる。
  なのにどうして、それを捨てるような生き方がしたいんだ。
  『害悪排除ク ズ ご ろ し』をすることでより楽しく生きれると、なんで俺の心は確信してるんだ。

 悩むうちに、殴られていることすら忘れ、思考に没頭した。
 きっとこのまま殴られ続ければ、思考に埋没したまま殺されるだろう。
 理念を手にしないまま、思想こたえを秘めて死ぬのだろう。

――つーか、なんであのを助けようとしたんだろうな。

 ふと、そんなことを思った。
 あったこともない、話したこともない、ただ学校が同じなだけの女子生徒。
 思い出してみると、ちょっと可愛かったような気がする。
 スタイルもよかった。
 ハネ気味の髪も好みだった。
 叶うのなら、あの豊かな胸に顔をうずめてみたかったかもしれない。

――どうせ死ぬなら最後に痴漢のひとつくらい……なんだ、俺も害悪ク ズなんじゃねーか。

 最後に思うことがエロで情けないと思った。
 だが、納得した。
 自分が害悪ク ズであるならば、『害悪排除ク ズ ご ろ し』に踏み出せなかったことに納得が行く。
 自分という人間がより楽しい明日を求めるだけの、ただ我欲にまみれた害悪ク ズであるならば、思想を為すための理念を手に入れる事ができなくて当然だ。
 
――死ねよ、クズ

 その宣言に沿うように、拳と脚が時夜を襲う。
 もはや体の感覚は残っていない。
「死ね! このクズ野郎!!!」
 月峰時夜を殺す最後の拳撃が繰り出される。
 目を開けて、それを見つめることにした。
 コマ送りで近づいてくる拳。
 逆上を込めた全身全霊の悪意は、速度を上げて時夜の絶命を渇望し、



――"……空…固定…止"



 銀色の線によって分断された。
 切断された腕がを撒き散らしながら宙へ浮く。 
 腕をなくした男子生徒の表情は怒りに満ちたまま。
 今から腕が飛んだことに驚愕し、痛みに悲鳴をあげる姿が予測される。
 が、次に奔った銀線に首を断たれ、叶うことはなかった。
 周囲の男性生徒達は驚きのあまりか、それぞれその場で凍り付いていた。
 それとは対照的に、銀の滑走は勢いを強め、時夜を囲う残り五体へ向けて飛翔する。
 銀色の直線と曲線が中空に引かれ、そのたびにヒトの体が裂けていく。
 血飛沫七つ。三人殺されたところで、時夜はようやく銀の担い手と、その手に握られた片刃の短刀サ バ イ バ ル ナ イ フを視認した。
 担い手は孤高ひとり。淡々と、されど活き活きと、線を描き死を創る。
 線が重ねられる度に醜い血液が夜を汚す。
 だがそれゆえに、銀は闇夜コ コ
で絶美を主張する。
 標的に悲鳴は許されない。
 この殺人において、標的に許されたのは『死』のみだ。
 主役の殺劇に狂いはない。ならば畜生わきやくは舞台を映えさせるただそれだけのために死ぬのが道理である。
 織り成される銀撃は絶対不可避。
 一挙一動は機械の如く、洗練された軌道に沿って敵を斬殺する。
 人体六個の断命はわずか三秒で為し遂げられた。
 まばたきひとつするより先に、月峰時夜は窮地を救われた。
 四秒まではまだ遠い。
 吹き上がった血液が地面に降り注がれるまでにはまだ時間がある。
 余韻と呼ぶべき殺人の残滓。
 銀の担い手たる演者しょうじょは女神のように静謐せいひつな笑みを浮かべ、場にいっそうの風情をもたらした。
 少年の頬を一滴の涙が伝う。

――あぁ……きっと、この光景ありかたこそが。

 急緩整った銀色のとき。それは命の尊さを忘れる芸術さつじん
 再演にチケットがいるのなら、喜んで差し出そうと思った。
 意識は彼方に持っていかれ、湧き熾る感情が脳を焦がす。

――超、かっけー。

 子供のような感想。
 だが、それ以外に言いようがなかった。
 銀色の殺人が魂を惹きつけた。
 あの表情、あの動作、あの強さ。
 楽しそうで、機械的で、圧倒的。
 憧れなければ嘘だと思った。
「キミのおかげで楽に殺せたよ。ありがと」
 優しい声をふりかけられる。
 時夜はそれに答えようとして、声が出ず、意識の限界を迎える。
「寝てていいよ。キミの体は私が安全なとこまで運んでおくから」
 その声音に安心したように、時夜は瞼の力を抜いた。
 ただひとつ、見知らぬ少女へ焦がれながら、月峰時夜の意識は暗転した。
「おやすみ、勇者くん」
 殺人劇は、その一幕を優雅に閉じた。








銀色の刻/時

■オリジナル小説 『銀色の刻/時』



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あらすじ


 少年はより楽しい明日を目指して生きてきた。
 合理的に自分にとっての『楽しい』を突き詰めた。
 だが、満足できず、もっと明日を楽しくしたいと願う。
 考えた結果『他人が世の中を面白くすれば、回りまわって自分の生活がさらに楽しくなるのではないか?』という発想に至る。

 そのためには何をすれば良いのか?

 少年は『世の中を面白くするのは懸命な人達であり、その人達がより世の中を面白くするためには、殺しても問題ない人間――害悪の排除が必要だ』と考えた。
 だが、常識的に考えて人殺しは駄目だ。

 少年は『害悪の排除』という発想を捨て、今までどおりの楽しい生活を続けることにした。

 そんなある日、一人の少女が人を殺す瞬間を見た。
 命の尊さを忘れる芸術的な殺人。
 少年は少女の在り方に惹かれ、『害悪排除』という思想を育てていく。




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※銀色の刻/時(第四章まで)

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=== WEB版 (ダウンロードせずにネットで見たい場合はこちらへ!)===
序章 銀色の刻
第一章 副業/本業/外道
第二章 各人各様
第三章:機械の如く
第四章:思想修正



■登場人物(クリックで拡大図)


月峰時夜魅刻悠里猪狩明道_サムネ
吸坂火憐麻生幸作_サムネ2九道理沙_サムネ
倉田物成_サムネ在素創一針谷芯







■道具(クリックで拡大図)


ナイフ猟銃謎の水晶火憐の持ち物





■MAP(クリックで拡大図)


MAPⅡMAPⅠ


※マップは国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたデータを加工して作成しています。実際の地域、建物等とは一切関係ありません。





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第二章 各人各様
第三章:機械の如く
第四章:思想修正



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